ベルタ・フォン・ズットナー:反戦と平和に尽力した小説家

ベルタ・フォン・ズットナー(1843-1914)はオーストリアの小説家・平和運動家です。ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルの秘書を務め、ノーベル平和賞が設立されるきっかけを作り女性では初のノーベル平和賞受賞者となりました。戦争や核兵器の国家間競争が激化していた時代に平和主義を主張、戦争の無意味さについて論じ、1889年に発表された著書『武器を捨てよ!』で世の中を震撼させました。現在ではその功績を讃えられ、オーストリアの2ユーロコインに肖像が刻まれています。

<ノーベル平和賞は永遠の平和運動>

ベルタは、1843年6月9日に現在はチェコ共和国首都であるプラハ市で生まれました。伯爵令嬢でしたが暮らしは貧しく、父はベルタが生まれる直前に亡くなります。残された母ゾフィーは貴族階級の出身ではなかったため父方の家族から突き放され、しかも残されたわずかな遺産をギャンブルにつぎ込んでしまい、家計は破綻していました。

1876年、ベルタに転機が訪れます。ダイナマイトを発明し、ノーベル賞を作ったアルフレッド・ノーベルがパリで秘書を探していました。語学が堪能で機転の利くベルタはすぐさまそれに応募し、住み込みで働くようになります。それからベルタとノーベルの関係は20年ほど続き、ベルタはノーベルに平和運動に協力してもらえるよう働きかけます。そしてノーベルはそれに応え、平和運動のために多額の寄付をしました。

ダイナマイトを発明したノーベルですが、ベルタに「戦争がそもそも行われなくなるような物質や機械を作りたい」と話していたそうです。ダイナマイトの破壊力の強大さを誰よりもわかっていたノーベルは、その発明者として、平和を主張していかなくてはならないという使命感があったのです。そして、ベルタも自分やノーベルが死んだ後の恒久の世界平和と、それを守っていく人が居続けることをいつも願っていました。平和への強い意志を持ったベルタと、資金力のあるノーベル。2人はお互いがお互いにないものを持っていて、需要と供給がうまく噛み合ったのでした。

<教え子アルトゥーアと駆け落ち>

ベルタは若くして貴族らから求婚されますが、お金のためだけに結婚することに抵抗がありました。そのため彼女は自分で働き生計を立て、質素な暮らしをすることを選びます。戦時下においても自分の暮らしを守り続け、金品は壊れたり失われたりしても知識や経験は誰にも奪われないという信念を忘れず、多言語を習得したりたくさんの書物を読破したりと意欲的に学び続けました。

そして1873年からズットナー家の4人の娘たちの家庭教師になります。そこでズットナー家の息子アルトゥールと出会い、2人は恋に落ちます。しかしアルトゥールの母親は、ベルタが息子よりも7歳も歳上だということと、ベルタの母親が過去に破門になっていたことから、彼女を認めませんでした。しかし反対されたからといってお互いの気持ちが消えるはずもなく、2人は密かに愛を育み続けました。その後、駆け落ち同然でパリを離れグルジアへ移り住みます。裕福ではなかったものの、ベルタは音楽を教えたり家庭教師をしたりして懸命に生計を支えました。

<自身の経験と主張を詰め込んだ渾身の著書>

1889年に彼女の初の著書『武器を捨てよ!』が出版されます。この小説は主人公の貴族が自分の生涯を振り返りながら進み、著者の自伝的な要素を孕んでいます。当時はまだ女性が主人公の作品自体が少なかった上に、ましてや戦下の女性の気持ちを赤裸々に綴るなどというのは、とても勇気のいる行動でした。そして、戦時中の苦難を乗り越えるためひたむきに生きる主人公の姿は、平和を志す人々の心に強く響きました。

『武器を捨てよ!』の主人公は貴族と結婚をしたものの、夫は戦地へ行ってしまいます。そして大敗したことを知り、彼女は夫を探しに戦地へ赴き戦火やコレラと闘うのでした。

反戦の想いがギュッと詰まっていて、戦争を知らない世代の人たちにもその不毛さをしっかりと伝えることができる内容になっています。この作品を出版して以来ベルタは、人間1人1人の人生を描き続けることがほかのどんなことよりも有効な反戦行動だと確信し、執筆活動を続けます。またこの作品は1914年にデンマークで映画化もされました。

<平和会議の設立者>

ベルタは1891年にオーストリア平和協会を設立し、その会長としてローマで開催された第3回世界平和会議に参加しました。また平和事務局の副総裁に就任し、平和会議の運営に知恵と時間を注ぎました。

そのため作家としての活動はそれほど活発ではなかったものの『武器を捨てよ!』から13年後にようやく、続編である『マルタの子供たち』を発表します。

しかしこの頃ベルタは最愛の夫アルトゥーアを亡くします。アルトゥーアの遺言の内容は1905年に発表した『亡き夫への手紙』と1909年の『回想録』の中で紹介されています。その内容は「自分の死後も平和への努力を惜しまぬ様いつもそばで応援している」というもので、アルトゥーアはベルタに、世界をいい方向に進めていくことを託してこの世を去りました。そしてアルトゥーアの死から約12年後、ベルタは72歳でこの世を去りました。

参考文献:
『武器を捨てよ!』『マルタの子供たち』『亡き夫への手紙』

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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