F・スコット・フィッツジェラルド:芸術の女神(ミューズ)に翻弄されて

『F. Scott Fitzgerald: Great American Writer – Fast Facts | History』

【F・スコット・フィッツジェラルドってどんな人?】

フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルド (1896年9月24日 ~ 1940年12月21日)は、アメリカ合衆国ミネソタ州のセントポールに生まれた小説家・脚本家です。
デビュー作、「楽園のこちら側」がベストセラーとなり、1920年代のアメリカ「ジャズ・エイジ」を象徴する作家として脚光を浴びました。また、今日ではヘミングウェイと同様に「ロスト・ジェネレーション」を代表する作家に位置付けられています。私生活では、ゼルダと激しい恋の末に結婚しますが、その魅惑的で奔放な性格に振り回され、執筆活動も乱れていきました。1940年、アルコール中毒による心臓発作で44年の生涯を閉じています。

【芸術の女神(ミューズ)に翻弄されて】

芸術家には、大きく分けて二つのタイプが存在します。一つ目は、幸運にも存命中に認知され、成功と名声を得るタイプ。二つ目は、不幸にも存命中には認められず、無名のまま亡くなりますが、何らかのきっかけで突然評価を得るタイプです。(絵画では、ファン・ゴッホがこれに該当するでしょう)偶然にも注目されなかったのか、はたまた作品が斬新すぎて時代の評価基準にそぐわなかったのか、様々な理由があります。

(Public Domain /‘Photograph of F. Scott Fitzgerald c. 1921’by The World’s Work. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

F・スコット・フィッツジェラルド(以下、フィッツジェラルドと記す)は、両方のタイプでした。時代の若者を瑞々しく描く流行作家としてデビューを飾り、人気と注目を集めますが、1929年の世界大恐慌以降は、不遇な時代を過ごします。精神病院で療養中の妻ゼルダとは疎遠になり、ゴシップ・コラムニストの愛人に養われながら、ハリウッドのシナリオライターとして生活を送っていました。フィッツジェラルドは「終わった作家」という評価のまま、ひっそりと亡くなります。

フィッツジェラルドの代表作といえば、アメリカ文学の古典として数えられる名作、「グレート・ギャツビー」です。

「グレート・ギャツビー」は、フィッツジェラルド渾身の作品でしたが、一部の批評家から称賛を受けるものの、文学作品として見なされる事はありませんでした。なぜなら、発表当時の彼は流行作家(世間一般で好まれる作品を描く作家)として活動していたからです。1930年代には絶版となった時期もあり、死後に再評価されるまではほとんど忘れ去られていました。

ここで強調しておきたいのは、フィッツジェラルドは生きている間には「アメリカ文学史に名を残す作家」として見なされず、晩年の彼自身も「才能が枯れてしまった」と思っていた事です。彼にも文学者としてのプライドがあったと思いますが、本質的に職業としての作家であり、金=生活費を稼ぐための執筆活動でした。

フィッツジェラルドは、ゼルダに翻弄され続けました。彼女の激しい気質や行動は、執筆するための落ち着いた環境を破壊していきます。それでも、彼にとっては創造の源であり、刺激とインスピレーションをくれる存在、理想の女性像、美の象徴、芸術の女神(ミューズ)でした。

(Public Domain /‘Zelda Fitzgerald, 1922’by Metropolitan Magazine. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

【ゼルダとの出会い】

フィッツジェラルドの作家としてのキャリアは、ゼルダと出会った所からスタートします。彼女は若くて美しく、奔放で活発、度を超えた浪費家、時に浮気性(同じ性質は少なからず、フィッツジェラルドも持ち合わせていました)で、周りの男たちを強く惹きつけ、翻弄しました。

フィッツジェラルドは、プリンストン大学を中退した後に陸軍へ入隊しますが、カントリー・クラブのダンス・パーティーでゼルダと出会い、恋に落ちます。そして、陸軍を除隊した後、二人は婚約しました。

しかし、それから間もなく、フィッツジェラルドの収入や生活力に疑問を持ったゼルダは、婚約を破棄してしまいます。アルコールに溺れた彼はミネソタ州・セントポールの実家へ戻り、書きかけの小説「ロマンティック・エゴティスト」の仕上げに取り掛かりました。彼は「本が出版されるなら結婚する」と約束したゼルダを取り戻そうと心血を注いだのです。

こうして「ロマンティック・エゴイスト」から改題し完成した「楽園のこちら側」は、出版社に価値を認められ、発売するや否やベストセラーとなります。そして、二人はニューヨークで結婚式を挙げ、翌年には娘も誕生しました。
もし彼の人生がここまでなら、美しいハッピーエンドでしょう。しかし、彼の人生は続き、「狂騒の20年代(Roaring Twenties)」に入っていきます。

※1920年代前半のニューヨーク

【ジャズ・エイジとフラッパー】

1920年代のアメリカは「狂騒の20年代(Roaring Twenties)」と呼ばれ、第一次世界大戦終結後、未曽有の好景気に沸きました。大量消費文化が始まり、自動車、映画、ラジオ等、新しいテクノロジーや文化が誕生していきます。豊かさは人々の生活様式を大きく変え、古い価値観を破壊。都市文化の華々しい発達は、新しい享楽的な若者像を求めました。

フィッツジェラルドとゼルダの個性は、その時代の最先端と見事に合致します。しかし、それらは彼らにも制御出来ず、歪で誇張された形のまま加速していくのです。

《ジャズ・エイジとは》

フィッツジェラルドの小説「ジャズ・エイジの物語」に由来し、第一次大戦の終結から世界大恐慌までのアメリカを指す言葉です。
※「JAZZ」は、流行したジャズ・ミュージックになぞらえた言葉であると共に、狂騒、興奮、くだらない、等の意味もあります。

《フラッパーとは》

1920年代のアメリカやヨーロッパで流行した、女性のファッション・生活スタイルです。その特徴は、ボブカット、濃い化粧、短いスカート、喫煙、飲酒、一晩中ジャズを踊るなど。そして、恋愛に対して積極的で自由な価値観を持ちます。
フィッツジェラルドは、フラッパーであるゼルダをモデルに、フラッパーの小説を大衆誌に執筆していきました。

1920年代前半、ニューヨークで暮らす二人は、噴水に飛び込む、タクシーのルーフに飛び乗る、公共の面前で服を脱ぐ、度を超えた馬鹿騒ぎでホテルを追い出される、酔って警官を殴る、等の奇行を繰り返します。

浪費も度を越していました。フィッツジェラルドは、大衆誌に短編小説を執筆した収入がありましたが、その全てをゼルダに渡してしまいます。お金は酒やパーティー、馬鹿騒ぎで綺麗さっぱりと消えてしまい、何も残りませんでした。さすがに彼らも生活を立て直そうと努力し、1924〜1925年に3作目の長編小説「グレート・ギャツビー」を執筆します。

『F. Scott Fitzgerald’s World in ‘The Great Gatsby’ – Exclusive Clip』

【グレート・ギャツビー】

(あらすじ)
1922年、主人公のニック・キャラウェイは、ニューヨーク郊外ロング・アイランドにあるウエスト・エッグへ引っ越してきました。そして、親戚のデイジー・ブキャナンと久しぶりに再会を果たします。(デイジーは、美しく天真爛漫で男を惑わす女性で、ゼルダがモデルになっています)
彼女には、ニックの友人でもあるシカゴの大金持ち、トム・ブキャナンという夫がいますが、高圧的で女癖の悪い人物です。

ニック家の隣にある大豪邸には、ジェイ・ギャツビーという謎多き人物が住んでおり、毎晩のように豪華なパーティーを開いていました。そのパーティーに呼ばれたニックは、ギャツビーと接近するうちに、長年胸に秘めていた想いを知る事になります。その昔、ギャツビーとデイジーは恋仲にあり、そして今もなお彼女を愛し、ギャツビーは復縁を願っていたのです。

ニックは、そんなギャツビーとデイジーとの再会を仲立ちしました。浮気を繰り返すトムに対して愛が冷めていたデイジーは、ギャツビーとのロマンティックな愛を思い起こします。

ある日、皆でニューヨークへ遊びに行った際、復縁を望んだギャツビーがトムに仕掛けました。しかし、決心が付かないデイジーは、ギャツビーとトムの口論に取り乱し、部屋を飛び出してしまいます。その後、ギャツビーとデイジーは同じ車で帰りますが、その帰り道に悲劇が待っていました。

「グレート・ギャツビー」は、一人の女性を愛し抜いた美しい悲劇です。
ギャツビーの行動は、デイジーを得るためだけに費やされた壮大な計画でした。涙ぐましい努力によって裏社会で成功し、財を成したとしても、得られない物があったのです。

本作は何度か映画化されています。1974年にはロバート・レッドフォード、2013年にはレオナルド・ディカプリオがギャツビーを演じました。1974年版は脚本が素晴らしく、静かで情緒ある作品のイメージにぴったりです。

『The Great Gatsby (1974) Trailer #1 | Movieclips Classic Trailers』

2013年版は古典から新たな解釈を取り入れ、衣装、美術、演出がとても派手になっています。
(ジェイ・Zなどが音楽を担当)

『The Great Gatsby – Official Trailer #1 [HD]』

※1930年代のニューヨーク、失業した女性のデモ

【世界大恐慌】

1929年、ウォール街の株価大暴落を発端に世界大恐慌が起こります。深刻な不況に陥ったアメリカは、失業者で溢れ、街に華やかさが無くなりました。これまで派手な生活を続けてきたフィッツジェラルドにも、ツケが回ってきます。原稿料は大幅に下がり、「グレート・ギャツビー」もさほど話題作にならず、彼の生活は困窮していきました。こうして彼の存在は、混乱する世の中から忘れ去られていったのです。

時を同じくして、妻ゼルダが発作で倒れ、精神病院に収容されました。フィッツジェラルドには、統合失調症と診断された彼女の入院費や娘の養育費が重くのしかかってきます。1934年に起死回生を賭けた「夜はやさし」を出版しますが、話題になる事はありませんでした。絶望に打ちひしがれた彼は、アルコールに溺れるようになり、彼女とも何度かの仲違いの末に疎遠となっていきます。

※フィッツジェラルドと妻ゼルダが眠る、メリーランド州セント・メアリー教会墓地

【まとめ】

晩年のフィッツジェラルドは、お金のためにハリウッドのシナリオライターまで身を落としました。最後の力を振り絞り「ラスト・タイクーン」を執筆しますが、未完成のまま1940年に心臓発作で亡くなります。(ゼルダは、1948年に精神病院の火事で亡くなります)

フィッツジェラルドの墓には、「グレート・ギャツビー」最後の文章が刻まれています。

So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past
(日本語訳:こうして僕たちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れに逆らう舟のように、力の限り漕ぎ進んでゆく) (野崎孝 訳)

人はどのような時代に生まれ、生きるかを選ぶ事が出来ません。成功するために大事なのは、自身の才能だけではなく、如何にして時代と調和していくかという事です。フィッツジェラルドという類まれな才能とアメリカの好景気が調和した事で、幾つもの素晴らしい表現が生まれました。しかし、不況の時代へ突入し、好景気時代のシンボルとされていた彼は、一気に古臭くなります。言ってみれば、大量消費文化に彼自身も消費されてしまったという事です。結局、死ぬまで自身のイメージを払拭する事は出来ませんでした。

フィッツジェラルドの素晴らしい文学性は、再び評価を受けるまで、ほとんど理解されていません。文学を親しむ読者層は、そもそも流行作家の本に手が伸びなかったのでしょう。

フィッツジェラルドは、ゼルダという理想の女性を手に入れるため、本格的な執筆活動を始めます。彼女と共に常軌を逸した浪費を続け、その分を稼ぐために執筆活動を行ました。晩年はアルコールに溺れながらも、彼女の入院費や娘の養育費を稼ぐために執筆します。創作の着想は、ほとんどゼルダとの生活から得ていたため、彼女と離れてからは創作意欲を失ってしまいました。

フィッツジェラルドの作風は、決して明るくありませんが、読み進めていくと華やかさの裏に崩壊、没落、滅びの感覚が予見されます。どんなに楽しく、満たされていても、心のどこかで“これが永遠に続くはずない”という思いを消す事が出来ません。しかし、その儚さが何とも美しく、読者の心に残るのです。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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