エディ・スリマン:現代ファッション界の革命児

エディ・スリマンは、フランスを代表する現代ファッション界の革命児です。ロック音楽と少年性をテーマにコレクションを発表し続け、ディオールやサン・ローランなどビッグメゾンの発展に大きく寄与してきました。そのデザイナーとしての輝かしい軌跡とクリエイションの魅力について解説します。

エディ・スリマンの輝かしい経歴

エディ・スリマンは1968年7月5日にフランスのパリで生まれました。11歳の時にカメラに親しみ、16歳で自身の洋服をデザインすることに興味を持ち始めます。1992年にエコール・ド・ルーブルで歴史と美術を学んだ後、ファッションコンサルタントの補助として働き、ルイ・ヴィトンのイベントなどを経験しました。

1996年、イヴ・サンローラン(Yves Saint-Laurent)にメンズコレクションのディレクターとして招かれ、一躍ファッション界にその名が知れ渡ります。さらに2000年にはクリスチャン・ディオール(Christian Dior)においてディレクターに就任します。2001年に共同でデザインしたフレグランスのハイヤー(Higher)は、アメリカのファッションデザイン評議会CFDAから称賛を得ました。

徐々にミュージシャンや俳優と関わりが多くなり、彼の活動の幅は広がっていきましたが、2007年にディオールから去ることを決意。しばらくファッション界の第一線から退きますが、2012年には再びイヴ・サンローランにクリエイティブ・ディレクターとして招聘。2016年に退任するまでメンズだけでなくウィメンズのデザインも担当しました。

ロック音楽からの影響

モード界は、他のどんな領域よりも“変化”が重視される世界です。新奇さや新鮮さが消費者の購買意欲を掻き立て、売上を伸ばす理由になると考えられています。そのため、コレクション発表ごとにトレンドに応じてテイストやシルエットが大きく変わるのが一般的です。王道をいくメゾンのほとんどが、そうしたアプローチをとっています。そのため同じスタイルを踏襲し続けるデザイナーは決定的にマイノリティであると言えるでしょう。

エディ・スリマンはまさに稀有なデザイナーの一人。一貫して同じテーマでクリエイションを展開しています。しかし時代に取り残されるどころか、コレクション発表のたびにセンセーションを巻き起こし、熱狂的なファンを獲得し続けているのです。

エディ・スリマンが長年テーマとしているのが、ロック音楽と少年性です。エディ・スリマンはイギリスのロック音楽から多大な影響を受けていることを公言しており、とくに重要な存在であったのが、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)やポール・ウェラー(Paul Weller)、ザ・クラッシュ(The Clash)のベーシストとして知られるポール・シムノン(Paul Simonon)が挙げられます。エディ・スリマンはこれらロック・ミュージシャンに共通しているマスキュリニティ(従来的な意味での男性感)とはまったく異なる、繊細な男性感を抽出し、それをファッションとして表現してみせたのでした。

エディ・スリマンがイヴ・サンローランのディレクターに就任した1997年というと、世界的にヒップ・ホップ(Hip Hop)やR&Bが大流行し、パフ・ダディ(Puff Daddy)やR・ケリー(R. Kelly)といったミュージシャンらが大活躍していた時代です。彼らが着用していた衣装は必要以上にゆったりとしている傾向があり、一般的にもルーズなスタイルが人気を集めていました。エディ・スリマンはまさに時代に逆行する形で細身のスタイルを提案したと言うことができるでしょう。

社会への影響

エディ・スリマンがロック音楽と少年性を主題としてデザインしていることで二つの革命が生まれています。1つめは、本来ストリートに属するものであったロックファッションを、モードへと昇華させたこと。かつてロック音楽といえば、社会的に虐げられた階層に属する若者にとってのエンパワーメント(差別構造や抑圧を変革しするための自己決定力を回復・強化すること)を助けるものであり、権力や体制へのカウンターカルチャー運動と結びつけられて語られる場合がほとんどでした。

ところが、エディ・スリマンが、ロック音楽の中から繊細な男性感を「少年性」として抽出し、高い完成度でもってハイエンドのファッションに取り入れ、新しいスタイルとして再構成したことで、ロックファッションが潜在的に有していた新しい男性感が脚光を浴び、ファッション界で市民権を得ることに成功します。

2つめは、エディ・スリマンがロック音楽と少年性をテーマに提案したスタイルが、ジェンダーレスファッションの先駆けともなっていたということ。細身のスタイルによって繊細な男性感を表現することでジェンダーに揺さぶりをかけ、男性らしさ/女性らしさの境界を曖昧にすることになったのです。ロック音楽と少年性を架け橋として、激しく乖離していた男性らしさ/女性らしさを結びつけたという言い方ができるかもしれません。実際、エディ・スリマンがデザインしたディオール・オムのアイテムは多くの女性を魅了し、顧客としていたことが知られています。

ディオール・オムの成功

エディ・スリマンの名をモード界において不動のものとしたのがディオールでの成功です。そもそもディオールは、それ以前のクリスチャン・ディオール・ムッシュ(Christian Dior MONSIEUR)に代わって、エディ・スリマンが招かれると同時に新しく立ち上げられたブランド。ロック音楽と少年性にさらに磨きをかけ、コンパクトなジャケットや華奢なレザージャケット、驚くほどスキニーなジーンズなど、コレクション発表のたびに話題を集めます。かつて体重が100kgを超えていたあのモード界の重鎮、カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)が「スリマンのスーツが着たいからダイエットする」といわしめたことから、その人気ぶりが伺えます。

エディ・スリマンは2012年に古巣イヴ・サンローランにクリエイティブ・ディレクターとして招かれた際に、ブランド名はサン・ローラン(Saint Laurent)と改められることに。広く知られていたYSLのネームロゴも一新され、休止していたオートクチュールも再開されたことから、エディ・スリマンに対する期待の大きさを物語っていると言えるでしょう。

サン・ローランのリブランドは物議を醸しましたが、結果的に2011年の売上高が3億5370万ユーロだったのに対し、エディ・スリマンがクリエイティブ・ディレクターに就任した4年後には12億ユーロに達するなど、またしても大成功をおさめます。

最後に

2016にサン・ローランを去ったエディ・スリマン。その後の去就が注目されましたが、2018年、2019年の春夏コレクションより、セリーヌ(CELINE)のチーフデザイナーとしてモード界に復帰することが発表されました。かつてモード界の寵児と呼ばれ、数々のビッグメゾンの発展に寄与してきた華々しい経歴を持つエディ・スリマンの活躍から、今後も目が離せません。

出典:
【ウィキペディア】Hedi_Slimane 2021.02.08
【ウィキペディア】エディ・スリマン 2021.02.08
【Britannia】Slimane-Hedi 2021.02.08
【ウィキペディア】Council_of_Fashion_Designers_of_America 2021.02.08

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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