マンチェスター・ユナイテッド:デビッド・ベッカム~世界一のクロッサー

デビッド・ベッカムは、マンチェスター・ユナイテッドを象徴する選手が背負う背番号7をエリック・カントナから引き継ぎました。端正なルックスからサッカー界で最も有名な選手で、実力もトップレベルでした。

マンチェスター・ユナイテッドで印象に残っている背番号7は誰か、と聞かれたらベッカムを思い浮かべる人も多いでしょう。マンチェスター・ユナイテッドの黄金期前半を支えたベッカムが、どのような選手だったのかをご紹介します。

憧れのマンチェスター・ユナイテッドとプロ契約

デビッド・ベッカムは1975年にイギリスのロンドンで生まれました。小さな時からサッカーが上手く、将来プロサッカー選手になることだけを考えて一生懸命に練習をしていたといいます。

1991年に練習生としてマンチェスター・ユナイテッドと契約。当時のアカデミーにはのちにマンチェスター・ユナイテッドやイングランド代表でともにプレーすることになった、ポール・スコールズやガリー・ネヴィルがいました。

ユースで結果を残したベッカムは、1993年1月にマンチェスター・ユナイテッドとプロ契約を結び、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートしたのです。

背番号7を継承!

プロ契約を結んでから数年間は控え選手でしたが、1995~1996年シーズン前に今までレギュラーとして出場していた数人の選手がクラブを去ったことから、先発で起用されるようになりました。

アカデミー出身のまだ若くて経験が浅い選手を先発で起用したことに批判もありましたが、チームは勝ち続けリーグ戦とFAカップの2冠を達成したのです。

1996~1997年シーズンはリーグ戦2連覇を達成し、ベッカムは23歳以下で最も活躍した選手に与えられる、PFA年間最優秀若手選手賞を受賞します。この年からイングランド代表にも選出されるようになり、ベッカムの知名度は飛躍的に高まりました。

※エリック・カントナ選手

また、このシーズン後にチームの中心選手であったエリック・カントナが引退し、ベッカムが空いた背番号7を背負うことになりました。マンチェスター・ユナイテッドの背番号7は、今までジョージ・ベストやブライアン・ロブソン、エリック・カントナなど、チームを象徴する選手が背負っていた特別な番号です。

ベッカムは背番号7を背負うことを熱望したと言われています。これは憧れである番号を付けたい気持ちと同時に「今後のマンチェスター・ユナイテッドは自分が背負っていく」という決意表明だったのかもしれません。

ワールドカップ敗退の戦犯に!

ベッカムは、1998年のFIFAワールドカップのイングランド代表に選出されます。グループステージ3戦目では代表初ゴールとなるフリーキックを決め、決勝トーナメント進出に貢献しました。

しかしトーナメント1回戦のアルゼンチン戦で事件が起こりました。後半開始早々、アルゼンチンのディエゴ・シメオネに後ろから倒された時、ベッカムの右足がシメオネに当たってしまったのです。これが報復行為とみなされてしまいレッドカードが出されました。

一見事故のようにも見えましたが、レッドカードを出されたベッカムが抗議もせずに退場したのは、報復行為をしたという自覚があったからなのでしょう。

イングランド代表はPK戦の末に敗退してしまい、ベッカムは「10 heroic lions one stupid boy(10人の勇敢なライオンとひとりの愚かな若者)」と言われ、イングランド中から大バッシングを受けてしまいます。

この時、ベッカムはバッシングから逃れるために国外クラブへの移籍も考えたそうですが、ファーガソン監督の説得もありマンチェスター・ユナイテッドに残留する決断をしました。

夢の3冠達成

マンチェスター・ユナイテッドは1998~1999年シーズンにプレミアリーグ、FAカップ、UEFAチャンピオンズリーグで優勝し、イングランドのクラブとしては初の3冠を達成。

優勝が懸かったプレミアリーグ最終戦でのゴール、UEFAチャンピオンズリーグ決勝のロスタイムでのコーナーキックなど、この年ベッカムは大活躍し3冠達成に貢献します。その活躍からバロンドールとFIFA最優秀選手賞で2位に選ばれました。

この年のシーズンオフに以前から交際していたスパイス・ガールズのメンバーであるヴィクトリア・アダムズと結婚。この結婚はベッカムをエンターテイメントの世界に導き、マンチェスター・ユナイテッド退団の遠因となりました。

愚か者から英雄へ

3冠達成以降もマンチェスター・ユナイテッドは勝ち続け、リーグ戦3連覇を達成。イングランド代表では、2000年11月からキャプテンを任されるようになり、ベッカムは代表チームを引っ張っていく存在になっていました。

2002年ワールドカップのヨーロッパ予選の最終ギリシャ戦は、引き分ければ得失点差でドイツを逆転し1位通過となりますが、負けると2位となりプレーオフを戦わなければならない状況でした。

残り時間が後半のロスタイムになった時点でイングランドはギリシャに1点負けていました。ロスタイムも2分が過ぎ、残り時間はもうほとんどない時にゴールまで約30メートルのフリーキックを獲得。これがラストチャンスです。

ベッカムはボールをセットし右足を振りぬくと、ボールはゴール左隅に吸い込まれていきました。ギリシャのゴールキーパーが1歩も動けないほど見事なフリーキック。このフリーキックがイングランド代表をワールドカップへと導き、3年前には戦犯として「愚か者」と批判されたベッカムが「英雄」となった瞬間でした。

※アレックス・ファーガソン監督

マンチェスター・ユナイテッド退団

2003年2月、FAカップのアーセナル戦後のロッカーで事件が起きました。
アーセナル戦の敗戦に怒ったファーガソン監督がベッカムを怒鳴り散らし、下にあったスパイクを蹴り上げます。そのスパイクがベッカムの目の上に当ってしまい、2針縫うケガをさせてしまいました。

ファーガソン監督はこの試合だけではなく、結婚後のベッカムが、サッカー以外のことで名声を得ようとしていることに不満を持っていました。さらに、この試合について後日彼と話した内容が、翌日にはメディアに出たことを受け「ベッカム放出を決断した」とのちにファーガソン監督は話しています。

2003年、ベッカムはマンチェスター・ユナイテッドからレアル・マドリードに移籍しますが、2000年前後のような素晴らしいプレーがあまり見られなくなります。その後ロサンゼルス・ギャラクシー、ACミラン、パリ・サンジェルマンでプレーし、2013年に38歳で引退しました。

プレースタイル

ベッカムの武器はなんといっても精度の高いクロスとフリーキックです。彼が蹴る右サイドからのアーリークロスは味方選手に吸い込まれていくと錯覚するほど美しい軌道を描きます。

スピードも角度も完璧であれほど味方にとって合わせやすそうなアーリークロスは見たことがありません。ベッカムのクロスに導かれるかのように味方選手が動きだし、得点を決めたことが数えきれないほどありました。

また、ベッカムはスピードがあまりなく守備はそれほど上手くありませんでしたが、持久力があり泥臭くボールを追うというハードワークをしてチームを支える選手でした。

これは、マンチェスター・ユナイテッドで育ったことと無関係ではないでしょう。イングランドではハードワークをする選手が好まれる傾向があり、ベッカムを育てたのは選手に常に100%を出すことを求めるファーガソン監督だったからなのです。

スピードやテクニックが超一流というわけではありませんが、キックの精度と運動量を鍛え上げることで、トップのサッカー選手として成功することができたといえます。

ベッカムは端正なルックスやビクトリアとの結婚で有名になっただけで、サッカー選手としての実力はそれほどでもないと誤解されていることも多いです。しかし、彼の中長距離のクロスやフリーキックは、他の選手が真似することができないほど素晴らしいもので、サッカー選手としてもトップレベルの選手でした。

また、ベッカムのファンになったことでサッカーに興味をもった人も多く、サッカー界に対して彼の貢献度は計り知れないものがあります。彼ほどサッカーに興味がない人からも人気のある選手はなかなか現れないでしょう。

公式サイト

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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