アンリ・ルソー:税関職員から画家へ

(Public Domain /‘Self-Portrait-Landscape’ by Henri Rousseau. Image via Wikimedia commons)

アンリ・ルソーはパリ市の税関職員として20年以上働き、仕事の合間に絵を描いていた画家です。そのため、作品の多くは仕事を退職した50歳以降に描かれています。《眠るジプシー女》をはじめとした名作を描き、ロートレックやピカソなどに評価されました。

アンリ・ルソーとは

アンリ・ルソーはフランス、マイエンヌケ県ラヴァルに生まれました。ルソーの家は貧しかったため彼は幼い頃から働かなくてはなりませんでしたが、小さい頃から美術や音楽といった芸術に関心があり、高校時代の美術や音楽の成績は良かったといわれています。

ルソーは高校中退後は法律事務所に勤務し、5年間の兵役の後1871年にパリの税関の職員となります。このころから絵を描くようになり、35歳ごろに最初の作品を発表しました。パリの税関には22年間勤務し、1893年に退職。それからは一日中絵を描く日々を過ごします。

その後、ルソーはフランスの新聞「ル・プチ・ジャーナル」でイラストレーションの仕事をしたり、パートタイムの仕事をしたりして生計を立てながら、作品制作を続けました。

ルソーの作品

いわゆる「日曜画家」としてユニークな画風の作品を制作し続けたアンリ・ルソー。主要な作品を中心にご紹介します。

《眠るジプシー女》 1897年

(Public Domain /‘Sleeping gypsy woman’ by Henri Rousseau. Image via Wikimedia commons)

ルソーの作品はなかなか理解されなかったものの、あるとき前衛美術の旗手であったパブロ・ピカソの目に留まり絶賛を受けました。ピカソはまだ無名だったルソーの作品を古物商から買うことになるのですが、安い値段のついたその絵の素晴らしさに驚きます。そして、モンマルトルの芸術家や文学者が集まるアトリエ兼住宅の「洗濯船」で「アンリ・ルソーの夕べ」という会を催します。この会には詩人であり美術評論家としても活躍したギヨーム・アポリネールや、画家のマリー・ローランサン、画商のダニエル・ヘンリー・カーンワイラーなどが参加しました。これをきっかけにルソーの名前は世界中に広まってゆくこととなります。

《眠るジプシー女》は月光の明るい夜に砂漠で眠っている女性と、その女性に顔を近づけるライオンが描かれています。

満月の夜、空はまるで夜明け前かのような明るさです。なだらかな砂の大地に横たわって眠っている放浪の女性と、それに近づく雄のライオン。しかしこの絵からは危険な香りは一切せず、むしろ少しの不自然さがあり、幸せな夢を見ているかのようにゆったりとしています。

後の研究では、砂漠にライオンという構成はジャン=レオン・ジェロームの影響を受けたものであると考えられています。ジプシーはルソー自身、ライオンは権力や力の象徴として描かれているとも言われています。

この作品は1897年に開催された第13回サロン・デ・アンデパンダンで初めて展示されました。その後ルソーは故郷の街ラヴァルに作品を寄贈しようとしましたが、町の幹部らに拒否されてしまいます。その後は長らく個人のもとを転々としてきましたが、1924年にパリの有名な画商カーンワイラーが購入し、1939年からはニューヨーク近代美術館が所有しています。

《熱帯嵐のなかのトラ》 1891年

(Public Domain /‘Tiger in a tropical storm (surprised!)’ by Henri Rousseau. Image via Wikimedia commons)

1891年に制作されたこの作品には《不意打ちを食らい驚いた!》という別名がつけられています。ルソーはジャングルを主題とした作品をたくさん残していますが、この作品がそれらの原点だと考えられています。

(CC0 /‘Tiger and snake’ by Eugene Delacroix. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

描かれているトラは、ウジェーヌ・ドラクロワの描いた「トラと蛇」のトラからインスピレーションを受けているといわれています。また、ジャングルの風景は1860年にメキシコのジャングルで暮らした経験をもとに描いたという彼自身の発言もありますが、ルソーがフランスを離れた記録はなく、植物園や書籍で見た植物を参考にしたとされています。

《夢》 1910年

(Public Domain /‘dream’ by Henri Rousseau. Image via Wikimedia commons)

この作品は1910年のアンデパンダン展に出品され、多くの批評家から絶賛されました。ルソーは生涯フランスから出ることはありませんでしたが、誰もが憧れるここではないどこか遠くの美しい場所、を描いた《夢》は多くの人々を魅了しました。この作品にはイタリア出身の詩人ギョーム・アポリネールによってつぎのような詩が添えられています。

“甘美な夢の中のヤドヴィガ、いとも安らかに眠りへと誘われ、蛇使いの吹く笛の音を聴き、その瞑想を深く胸に吸い込む。そして緑燃える木々の波の上では、月影がきらめき、野生の蛇たちは、曲の陽気な調べに耳傾ける”

引用(wiki)

ヤドヴィガとは、当時ルソーが恋をしていたポーランド人女性の名前です。ルソーの独特なタッチで描かれた美しくも怪しいジャングルが、彼女にエキゾチックな魅力を与えています。彼はこのジャングルを描くために動物園や植物園に何度も足を運び、観察に観察を重ねていたそうです。この作品が、彼の最後の一枚となってしまいます。

後世の画家への影響

(Public Domain /‘People playing football’ by Henri Rousseau. Image via Wikimedia commons)

ルソーはのちに「素朴派」と称されます。素朴派とは職業としての画家ではなく、専門的な教育を受けずに制作を行っている者のことを指します。この頃、余暇で絵を描く「日曜画家」が急増し、絵を描くことは以前よりも一般的になってきていました。しかし、そうした人たちの中でもルソーの才能は群を抜いていました。

ルソーの才能をいち早く評価し、「アンリ・ルソーの夕べ」を開催したパブロ・ピカソや、抽象画家の始祖となったカンディンスキーも彼の制作スタイルを評価しています。

ルソーは20年以上税関の職員として働き、本格的に画家として活動し出したのは50歳を過ぎてからでした。そして1910年に《夢》を発表した後、放置していた脚の蜂窩織炎が悪化し、パリのネカー病院に入院して手術を受けましたが、同年9月2日に亡くなりました。
彼が職業として画家をしていた期間は短く、その生涯のほとんどを日曜画家として過ごしました。しかしそのような区別は、もはや意味がないものなのかもしれません。彼にとって絵を描くことは、趣味も職業も関係なく、人生にずっと付きまとう大切なものだったのです。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧