ディエゴ・リベラ:メキシコ壁画運動の旗手

ディエゴ・リベラはメキシコ壁画運動の中心人物として活躍した画家です。また、同じメキシコの画家フリーダ・カーロの夫としても知られています。彼の私生活や夫婦関係は波乱に満ちたものでしたが、生涯に数々の作品を残し、今でもメキシコでは彼を知らない人はいないでしょう。

ディエゴ・リベラとは

ディエゴ・リベラは1886年にメキシコのグアナファト州に生まれました。両親は裕福で芸術に理解があり、幼いリベラが落書きをするのを叱る代わりに黒板とキャンバスを与え、絵の才能を伸ばしてくれていました。

1896年にサン・カルロス美術学校に入学。その後は奨学金を得て1907年からスペイン、パリで絵画を学びます。このころキュビスムの影響を受け、作品は画壇で注目されるようになっていました。
また、リベラは好色家で複数回の結婚をし、多くの女性との間に子供をもうけています。しかしいずれの子供にも養育費を支払わなかったといわれています。

1920年にメキシコ壁画運動を立ち上げたダビッド・アルファロ・シケイロスの誘いを受け、リベラはパリを離れイタリアに向かいます。そこで壁画を研究し、1921年にはメキシコに帰国します。

メキシコ壁画運動とは

ここでメキシコ壁画運動について確認しておきましょう。メキシコ壁画運動とは1920年代から1930年代に 下で起こった絵画運動のことで、メキシコ革命の意義やメキシコ人のアイデンティティを民衆に伝えるために始まりました。メキシコ壁画運動の壁画には、アステカ文明やスペイン人による征服、メキシコ革命といったできごとを中心に、メキシコの伝統や歴史が描かれています。壁画は公共の場に描かれるため民衆の目に触れやすく、文字が読めない人にも内容を伝えられるので、このような運動にとても適していました。

この運動にはリベラはもちろん、ダビッド・アルファロ・シケイロス、ホセ・クレメンテ・オロスコといったメキシコを代表する画家たちが参加しました。
リベラはメキシコの民衆絵画や土着文化の色彩や構図などを研究したり、古典ラテンアメリカ文明の工芸品を収集したりして、壁画を描く際のインスピレーションを得ました。リベラの作品は、細部が簡潔に描かれ、過去から未来へと物語が語られていく流れが非常に重層的に描かれていることが特徴です。

妻フリーダ・カーロ

画家として成功しつつあるリベラでしたが、この時期にメキシコ共産党に入党し、教会や聖職者を攻撃します。彼はレオン・トロツキーの思想に傾倒していたこともあって、多くの敵を持つことになりました。1927年にはロシア革命10周年記念でモスクワに招待されますが、翌年には反ソビエト活動にかかわった疑いで送還されてしまいます。そしてその翌年、フリーダがこの党に入党してきたことをきっかけに2人は出会います。

フリーダはリベラに出会う数年前に交通事故にあい、生死の境をさまよう重傷を負っていました。入院生活は3か月もの長期に及び、その後も後遺症で背中や右足の痛みに悩まされることになりますが、そんな際に彼女に寄り添ったのが絵を描くことでした。フリーダは病床にありながらも絵筆を握り、さまざまな自画像を描いていきます。

リベラはフリーダが闘病生活の中で描いた作品の数々を見て衝撃を受け、

カンバスにはものすごい表現力が示されていた

(引用:wiki)

と語りました。これをきっかけにリベラとフリーダは急速に関係を深め、1929年8月21日に、21歳という年の差を乗り越えて二人は結婚します。しかしリベラが不倫を繰り返したり、その腹いせにフリーダも不倫をしたりと、二人の夫婦生活は穏やかなものではありませんでした。

アメリカでの仕事、そして帰国

その後1930年から1933年にかけて大不況の中のアメリカで制作活動を行い、産業や労働者をテーマとした壁画を制作します。1932年にはニューヨーク近代美術館で個展を行い、1933年にはニューヨークのロックフェラーセンターに《十字架の人物》という作品を描き上げました。しかし、アメリカの建国者たちと社会主義者のレーニンを並んで描いたことからアメリカ中から猛反発を受け、完成前にすべて破壊されてしまいます。さらに、その後のアメリカでの仕事もすべてキャンセルになってしまいます。

アメリカでのトラブルの後、リベラはメキシコに帰国。フリーダとの間に何度か子どもを授かりますが、いずれも流産に終わってしまいます。このころのフリーダは国際的に評価されるようになっていて、リベラとの関係は急速に冷え切っていました。二人は別居し、その後離婚するも再婚し、結局はフリーダが亡くなるまで二人は夫婦であり続けました。

リベラの作品

仕事も私生活も嵐のように激しい人生でしたが、そんな彼の作品とはどのようなものだったのでしょうか。

《メキシコの歴史》 

《メキシコの歴史》はセントロ地区の中央部、大広場ソカロの国立宮殿の階段の踊り場に描かれています。この作品は、スペイン征服前の先住民の暮らしから、スペイン征服、そして20世紀に至るまでの壮大な歴史を表しています。

ドーム状の建物を利用して描かれているため、画面を効果的に使い上部と下部を意識した構成になっています。

《労働と祝祭の中庭》 

本作品はメキシコ教育省の建物内に設置されています。それぞれの階に、メキシコの祝祭や宗教、メキシコ革命、政治などのテーマが描かれています。この壁画では人々は等身大に近い大きさで描かれ、一人一人の表情や仕草にしっかりと個性があるのが特徴です。ギターを弾く人の顔、祈りを捧げる顔、戦いに向かおうとする顔など、どれもとても丁寧に描かれ民衆への愛情が滲み出ています。また、リベラやフリーダの姿も描かれているので、こちらに訪れた際は探してみてください。

《水、生命の根源》

この壁画はチャプルテペック森林公園内の「カルカモ博物館」に設置されています。この場所はもともと、レルマ川の水を受け止めメキシコシティへと注ぐための施設であったことから、この壁画のテーマも《水、生命の根源》となっています。施設内の壁や水門や貯水槽にまでリベラの絵で埋め尽くされ、水の中で生まれた小さな生命が進化し、人の形になり生活を営んでゆく流れが描かれています。どんな人種の人間も水から生命を受け、どんなに進化しても人間には必ず水が必要だからこそ、水道の設備を整えます。そのための施設にこの絵が描かれているのはなんともメタ的です。また、施設の外の池にはメソアメリカ文明の雨と雷の神、トラロックの巨大なオブジェがあります。

メキシコ壁画運動とリベラのその後

メキシコ壁画運動は、メキシコ革命を鼓舞するために始められた運動でした。しかしその影響は多方面に行き渡り、本来の目的を超え、描かれたもの自体が評価されるようになってゆきました。また、ニューディール制作の一環でアメリカを訪れて壁画を制作してからは、アメリカでもメキシコ的な壁画の手法が流行しました。

ディエゴ・リベラは1957年に死去します。その後、リベラとフリーダは通貨にも描かれ、メキシコにはディエゴ・リベラ壁画博物館、ディエゴ・リベラ・アトリエ美術館、ディエゴ・リベラ博物館が開館しました。メキシコ人にとって彼の作品はとてもポピュラーであり、今なお愛され続けています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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