クワイエット・ライオット:ランディ・ローズの遺志を引き継ぎ全米No1バンドに

不世出の天才ギタリスト、ランディ・ローズが起ち上げたバンドとしても有名なクワイエット・ライオット。長い下積みを経てアメリカを代表するヘヴィ・メタルバンドにのし上がった時、すでにランディはこの世にいませんでした。

クワイエット・ライオットの結成から休止まで

エルヴィス・プレスリーに憧れたランディがギターを手にしたのは7歳の時でした。8歳の時にはすでにロックに目覚め13歳の時には母親が経営する音楽教室の講師からギターのレッスンを受けるようになりました。

実兄であるケル・ローズと結成したヴァイオレット・フォックスをはじめ、地元のローカルバンドを渡り歩き、18歳の時には母親の音楽スクールで講師を務めるまでにギターの腕を磨いていました。
そしてランディが19歳の時、ベースのケリー・ガルニ、ボーカルのケヴィン・ダブロウ、ドラムのドリュー・フォーサイスと共にクワイエット・ライオットを結成します。

すでに地元サンタモニカでは知名度のあったランディ。クワイエット・ライオットの初ステージには1500人もの観客が詰めかけ、スーパーバンド誕生を予感させました。気を良くしたメンバーは早速デモテープを制作。アメリカのみならず世界中のレコード会社に送ったのですが、なんとリアクションがあったのは日本のCBSソニー1社だけという結果に。

1978年「Quiet Riot」を制作するもリリースされたのは日本のみ。ベースのケニーが脱退し、後任にルディ・サーゾが加入することになります。同年12月にはセカンド・アルバム「Quiet Riot Ⅱ」が制作されたものの、こちらも日本のみのリリース。ライブを含めたプロモーションはアメリカで行い、アルバムは日本のみで発売されるというチグハグな活動が続く中、ランディがオジー・オズボーンに加入することになるのです。

1981年にはベースのルディもオジーのバンドに参加してしまい、クワイエット・ライオットは自然消滅、ケヴィンとドリューはバンド名をダブロウに変え活動することになりました。

ランディの死からクワイエット・ライオットの復活

1982年、ロック界を悲しみに包む事故が起きてしまいます。飛行機事故により25歳という若さでランディ・ローズが亡くなってしまうのです。
ランディ無きあとバンドを守ってきたケヴィンは、新しいギタリストとしてカルロス・カヴァーゾを、ドラムにはフランキー・バネリを迎え、オジーの元から帰ってきたルディと共にクワイエット・ライオットを復活させたのです。
同年9月には念願のアメリカのレコード会社と契約、アルバム「Metal Health」をリリースします。

記録的大ヒットと凋落

実質的デビュー・アルバムである「Metal Health」からのセカンド・シングル「Cum On Feel The Noize」が世界中で大ヒットし、ヘヴィ・メタルバンドの曲で初めて全米シングルチャートのトップ5に入る快挙を成し遂げます。
また「Cum On Feel The Noize」のヒットに引っ張られるようにアルバムも売上を伸ばし、こちらはビルボード1位を記録する大ヒットとなるのです。

一夜にしてアメリカを代表するヘヴィ・メタルバンドに成長したクワイエット・ライオットは翌年セカンド・アルバム「Condition Critical」をリリースします。このアルバムもヒットしますが翌年にはベースのルディが脱退。
1986年にリリースされた「QR Ⅲ」はセールス的にもふるわず、リリース後にはなんと新生クワイエット・ライオットの創始者であるケヴィンが解雇されるという事態が起きてしまいます。

ファースト・アルバムの大ヒットがケヴィンに悪影響を与えたのか、高慢な態度でバンドの和を乱すという理由でしたが、これによりバンドはさらに混迷を極めることになります。
ルディの後任にはジェフリアのチャック・ライトが、ケヴィンの代わりにはラフ・カットのポール・ショーティノが務めることになり1988年、4枚目のアルバム「Quiet Riot」をリリースします。

しかしながらケヴィン、ルディと言った看板プレイヤーがいないクワイエット・ライオットにすでに全盛期の魅力はなく、このアルバムも商業的には失敗に終わってしまいます。
結局クワイエット・ライオットはワールド・ツアーの最終地にランディと共にデビューした日本の地を選び、そこで解散することになるのです。

縁の下の力持ちカルロス・カヴァーゾ

ランディ・ローズというスーパー・ギタリストの影に隠れてしまいがちですが、カルロス・カヴァーゾもたしかなテクニックを持ったギタリストです。
クワイエット・ライオットの代名詞とも言える「Cum On Feel The Noize」では伝統的なペンタトニック・スケールでありながら実に曲にマッチしたソロを展開し、曲の盛り上がりに貢献しています。

ライブでもアドリブなどの要素は少ないですが、的確なソロをキチンとまとめ、安定感あるプレイを続けてきました。
使用ギターはデビュー時からワッシュバーンのA-20をメインに使用していましたが、その他にもフライングVシェイプのギターなども使用していました。
伝説的ハード・ロック・ボーカリスト、ディオが提唱し、アメリカ中のスーパー・ギタリストが集結して話題を呼んだヒア・アンド・エイドの「Stars」ではギブソンのSGを弾いている姿が映っています。

Gibson SG

ワッシュバーンはギブソンの同系モデルであるエキスプローラーに比べ一回り以上小さく制作されていますから、どちらかと言うと小柄なカルロスの場合、SGのようにショートスケールに近いギターの方が取り回ししやすいのかも知れません。

クワイエット・ライオットのおすすめアルバム

ケヴィン在籍時の初期のクワイエット・ライオットでは、実質的なデビュー・アルバムである「Metal Health」一択です。

日本のみでリリースされた2枚のアルバムは、残念ながらランディのギターもケヴィンのボーカルも魅力的とは言えません。あくまでコレクターズ・アイテムとして聴く分には止めませんが、オジーや「Metal Health」以降のアルバムとは完成度の部分で大きな開きがあることを覚えておいてください。

このアルバムでは、やはり大ヒットシングル「Cum On Feel The Noize」がおすすめです。グラム・ロックの中心的存在だったスレイドの曲をカヴァーしたものでオリジナルも全英チャートで1位を獲得するヒットとなっています。

その他にも、アメリカ未発売の「Quiet Riot Ⅱ」からのセルフ・カヴァー「Slick Black Cadillac」やカルロスのアコースティック・ギターが印象的な「Thunderbird」など聴き応えのある曲が詰まっています。

このアルバムには「ランディ・ローズに捧ぐ」という副題が付いていますが、「Thunderbird」がランディへのレクイエムとなっています。

もう1枚おすすめアルバムをあげるとすれば、ポール・ショーティノ在籍時の「Quiet Riot」がファンの間でも評価が高いです。
前作までのLAメタル一辺倒のサウンドではなく、どちらかと言うとブルージーな印象を受けるアルバムは、新しいクワイエット・ライオットの魅力を感じさせてくれる1枚でした。

以前から評価の高かったポールの歌唱力がひときわ目立ち、カルロスのツボを押さえたギター・プレイも冴えています。

現在のクワイエット・ライオット

1991年にケヴィンとメンバー間の問題が解決され、再びクワイエット・ライオットとして活動を開始しますが、残念ながら2007年にラスベガスにてケヴィンが死亡していたことが公表されます。死因は薬物の過剰摂取でしたが、この事件によりクワイエット・ライオットは再び空中分解を起こしてしまいました。
その後、残ったオリジナル・メンバー、フランク・バネリによってクワイエット・ライオットは再結成され、現在はボーカルにアメリカン・アイドルでデビューしたジェームス・ダービン、ベースにチャック・ライト、ギターにアレックス・グロッシという顔ぶれで活動しています。
2017年には通算12枚目となるスタジオ・アルバム「Road Rage」をリリース、精力的にツアーもこなしています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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