イーグルス:世界No1の売上!伝説のロックバンド

バック・バンドとして結成された寄せ集めのミュージシャンが40年以上の時を経て、世界でもっとも巨大なセールスを誇るバンドになろうとは誰が予測したでしょうか。卓越した音楽センスと美しいギターのアンサンブルを持つイーグルスは、時代を越えて多くの人に愛され続けているのです。

イーグルス結成

アサイラム・レコードは、1973年、「Silk Purse」のヒットでウエストコーストを代表する歌姫として注目され始めていたリンダ・ロンシュタットの成功をより確実なものにするためにバック・バンドの編成を急いでいました。
リンダの友人でもあったジャクソン・ブラウンの助力を経て、当時セッション・ミュージシャンとして活躍中だったドラムのドン・ヘンリー、ギターのグレン・フライ、マルチ・プレイヤーのバーニー・レドン、ベースのランディ・マイズナーが集められました。リンダの元でアルバム「Linda Ronstadt」を制作した彼らは意気投合し、バンドとしてデビューすることになったのです。


イーグルスというプロジェクトの実質的なリーダーであったグレンは、当時、のちに「Running on Empty」などのヒットを連発するジャクソン・ブラウンと同じアパートで暮らしていました。
グレンは、その時共作した「Take it Easy」をイーグルスのデビュー曲にすることを思いつき1972年にシングル曲としてリリース。全米12位を記録するスマッシュヒットとなったのです。
勢いにのったバンドは同年6月、ファースト・アルバム「Eagles」をリリースします。このアルバムも全米22位を記録し、デビュー作としては上々のスタートを切ることができたのです。

成功へ

ファースト、セカンドとまずまずの成功を収めてきたイーグルスに大きな転換期が訪れたのはサードアルバムのレコーディング時でした。スライド・ギターを演奏するにあたって担当するバーニーが、より上手く弾きこなせるとしてドン・フェルダーをバンドに紹介したのです。

ドン・フェルダーのスライド・ギター・テクニックは、エリック・クラプトンの名曲、「Layla」のソロで有名なデュアン・オールマンに習ったもので、そのテクニックにみな納得し5人目のメンバーとしてドン・フェルダーを迎えることになったのです。
ドン・フェルダーの加入でロック色を増したイーグルスは「On the Border」をリリース。過去最高の売上を記録します。

そして翌1975年には彼らの人気を決定づけるアルバム「One of These Night」がリリースされます。全米No1を獲得したこのアルバムからは、グラミー賞・ベストポップボーカル賞を受賞した「Lyin’Eyes」を始め、全米No1シングルとなった「One ofThese Night」など次々に大ヒットが生まれたのです。

しかし、それまでカントリーをベースにした音楽を主流にしていたイーグルスの方向性の変更は、バンドでバンジョーやマンドリンといった楽器を担当していたバーニーには受け入れられませんでした。
さらに、この頃、ドン・ヘンリーとグレンの横暴も目立つようになり、バーニーはツアー終了後にバンドを去ってしまいます。

アルバムは大ヒットを記録したものの、それまでロック調の曲ではドン・フェルダーが、従来のカントリー、フォーク調の曲ではバーニーがソロを担当するという様式が崩れてしまったことから後任のギタリスト探しは中々進みませんでした。
次のアルバムまでのつなぎとして、バンドはそれまでのベスト・アルバムをリリースするのですが、これが世界的な大ヒット・アルバムとなってしまいます。

そして、後任のギタリストとして迎えられたのがジェイムス・ギャングのボーカルギターを担当していたドン・フェルダーでした。
すでにジョーは、ソロとしても成功しておりイーグルス加入は大きなニュースとなりました。そして1976年、ロック史上に残る名曲「Hotel California」がリリースされます。すでに説明の必要すらないこの名曲はドン・フェルダーによって書き上げられました。

十数本にもおよぶさまざまなギターをオーバー・ダビングして奏でられる美しいアルペジオにのって、ドン・ヘンリーの哀愁を帯びた歌声が響くこの名曲は、ジョーとのスリリングなツイン・リード部分も含めてほとんど彼の手によるものです。
ビルボードでは8週にわたってトップに君臨し、その年のグラミー賞最優秀レコード賞も受賞しています。

相次ぐ記録的な大ヒットにより、イーグルスは名実ともにアメリカを代表するロック・グループになったと同時に、莫大な富と名声はバンド内の人間関係を複雑なものにしていきます。

解散からリユニオンへ

巨大な成功は、グレンとドン・ヘンリーの横暴をさらに顕著なものにしていき、バンド創立時からのメンバーであったランディ・マイズナーも1977年に脱退してしまいます。

1979年3年ぶりとなる「The Long Run」をリリース後バンドは一旦活動を休止し、それぞれのソロ活動に専念します。そして1982年スポークスマンを通じてイーグルスの解散が正式に発表されることになるのです。

解散から12年後の1994年。ドン・ヘンリー、グレン・フライ、ドン・フェルダー、ティモシー・B・シュミット、ジョー・ウォルシュによる再結成が突然発表されます。
継続的に行われたワールド・ツアーは軒並みソールド・アウトでイーグルスの復活は好意的に受け入れられました。そして、1998年ロックの殿堂入りが認められニュー・アルバムへの期待が高まる中、ドン・フェルダーが解雇されるという事件が起きてしまいます。
ドン・フェルダーはバンド側を訴え、最終的には勝訴するもののイーグルスには戻りませんでした。

大きなピースを1つ失った中でリリースされたアルバム「Long Road Out of Eden」でしたが、見事に全米No1を獲得します。
さらに、今まで1位を獲得できていなかった全英チャートでも1位にランキングされるというイーグルスにとって記念すべきアルバムとなったのです。

サウンドの要、3人のギタリスト

ドン・フェルダーと言えば「Hotel California」を演奏する時に使用する白のギブソン・EDS-1275が有名です。12弦の7フレット部分にカポタストをはめ、美しいイントロのアルペジオを演奏するシーンは多くの人が見たことがあるのではないでしょうか。

※イメージ画像

一方のジョーはフェンダーのテレキャスターをメインに使用することが多いですが、それ以外にもギブソンのレスポールやリッケンバッカー、フェンダーのストラトキャスターなどさまざまなギターを弾いていることが確認できます。

もう一人のギタリスト、グレンは「Hotel California」をはじめ、ライブではアコースティック・ギターを担当することが多くTAKAMINEのEF360GFをメインに使用しています。また、カントリー・ミュージックがベースであることからエレキを弾く時はギブソンのファイヤーバードなどを持つことが多いようです。

イーグルスのおすすめアルバム

イーグルスはその長い活動期間に比べ、アルバムの数は決して多い方ではありません。スタジオのフル・アルバムに限れば7枚しかありませんから、興味のある方はすぐに全曲を聴くことができます。
もっとも売れたアルバムは初期のベストアルバムですが、最初に聴くのであればやはり「Hotel California」をおすすめします。

曲の美しさはもとより、カリフォルニアという架空のホテルを題材にしたドン・ヘンリーの詩は何重にも読み取れる深い内容を持っており、今なおファンの間でその解釈について議論されているほどです。
シングル盤はフェード・アウトで終わるものの後半のツイン・リードなどの影響で6分を超える大作となっており、当初はラジオでかけやすい3分台に短縮するようにという要請もあったようです。
他にもワルツのテンポがめずらしいジョーのバラード「Pretty Maids All in a Row」など聴き応えのある曲が収録されていてまさに名盤と言える内容となっています。

現在のイーグルス

残念ながらオリジナル・メンバーのグレン・フライが2016年に亡くなってしまい、現在は息子のディーコン・フライがバンドに加入して活動を続けています。サウンドの要であったドン・フェルダーもいないため以前のイーグルスを知るファンにとっては寂しくも感じますが精力的にツアーをこなしています。

そして、2018年にアメリカレコード協会RIAAが行った集計により、イーグルスのベスト・アルバム「Their Greatest Hits 1971-1975」がプラチナディイスクを38回を記録したことが確認され、マイケル・ジャクソンの「Thriller」を抜いて世界で最も売れたアルバムとして認定されたのです。

さらに代表作「Hotel California」もプラチナ26回と認定されAC/DCの「Back in Black」を抜いて第3位に繰り上がりました。
販売総数は2枚合わせて軽く1億枚を超えるものと見られていてあらためてイーグルスの人気の高さを実感させられます。

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