スコーピオンズ:ハード・ロック界の皇帝、4人のスーパー・ギタリスト

まだドイツが西と東に分かれていた頃、ハノーヴァーから彗星のごとく現れたバンドがスコーピオンズです。マイケル・シェンカー、ルドルフ・シェンカーと言った2人のスーパー・ギタリストを有するスコーピオンズは、苦難の末、ワールド・ワイドな成功を手に入れます。そして、その影には4人のギタリストの姿があったのです。

スコーピオンズ誕生

当初4人組のハード・ロック・バンドとして活動していたスコーピオンズは、ギターボーカルを担当していたルドルフ・シェンカーの弟であるマイケル・シェンカーをリード・ギターにクラウス・マイネをボーカルとして加入させることを決断します。その頃マイケルはまだ16歳でしたが、すでに地元ではスーパー・テクニックを持つハード・ロックギタリストとして注目されていました。

バンドはさらにベースをローザー・ハインベルグに交代し、1972年には「Lonesome Crow」でデビューします。荒削りではありましたがマイケルのギター・プレイはドイツのロック・ファンの注目を集め、スコーピオンズは順調なスタートを切ったのです。

スコーピオンズはファースト・アルバムのプロモーションのため、すでに「C’mon on Everybody」のヒットで海外ツアーも行っていたUFOやザ・テイストで一世を風靡したロリー・ギャラガーらのオープニング・アクトとしてドイツ国内を回っていきました。このツアーでも若きマイケルのギター・プレイは注目を集め、バンドはたしかな手応えを掴んでいきます。

しかし、ある時UFOの看板ギタリストであったミック・ボルトンが演奏前に突然失踪してしまいます。UFOのリーダーであったフィル・モグは急遽、代役としてマイケルを指名し、彼は見事期待に応えます。この日のマイケルのプレイに手応えを感じたUFO側から正式な打診があり、マイケルはスコーピオンズからUFOへ移籍。当時の両者の力関係から言えばマイケルは大出世ということになるのですが、要を失ったスコーピオンズは活動休止を余儀なくされてしまいます。

マイケルがいなくなったことで、さらにベースのローザーとドラムのウォルフガング・ズィオニーも脱退、急遽オーディションによってメンバーを選考し直すことになりました。
結果、ギタリストにはウルリッヒ・ロート、ベースにはフランシス・ブッフホルツ、ドラムにヨルゲン・ローゼンタルが決定し、初期のラインナップが固まります。レコード会社をRCAレコードに変えリリースされた「Fly to the Rainbow」は、よりハード・ロック色が強い作品となりスコーピオンズの方向性が決定付けた1枚となったのです。

975年にはドイツでコンサートを行うKISSのオープニング・アクトに抜擢され、イギリスなどでも演奏し高い人気を獲得していきます。この頃から、ウルリッヒのブルースをベースにしたスーパープレイと哀愁を帯びていながらも、驚異的な声量とハイトーンボイスを持つクラウスのボーカルが注目され、世界中のコアなハード・ロックファンに認知されるようになっていきます。

成功へ

1976年にリリースされた「Virgin Killer」が高い評価を受け、スコーピオンズの名前はさらに広まっていきます。イギリスや日本といった海外でもライブを行うようになりアメリカ上陸が視野に入ってきた頃、今度はバンドの方向性の違いを理由にウルリッヒが脱退してしまいます。

後任にはマティアス・ヤプスが加入しますが、マイケル・シェンカー、ウルリッヒ・ロートといったビッグネームの存在が大きすぎて、当初はなかなか実力が発揮できずにいたようです。

しかし、1980年台に入ると世界中で巻き起こったNWOBHM(ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)ムーブメントに後押しされるように爆発的に人気を得ていきます。1980年にはイギリスのドニントン・パークで行われた第1回モンスターズ・オブ・ロックフェスティバルにレインボーやジューダス・プリーストといったビッグネームと共に登場し、1982年にリリースされた「Blackout」はイギリスで11位、アメリカで10位を記録する大ヒットアルバムとなったのです。
さらに1984年には「Love at First Sting」が全米6位、「Savage Amusement」が全米5位とヒットアルバムを連発し、誰もが認めるトップバンドへと登りつめたのです。

マイケル・シェンカー

UFO脱退後は自身のバンド、マイケル・シェンカー・グループを率い成功を収めたギタリストです。ワウを固定しトレブルを強調した独特のギターサウンドが特徴で、カリスマ的な人気を得ています。
プレイの特徴としては、とにかく手が大きく普通ならば他弦に渡って演奏するような分散和音的メロディでも、1本の弦で弾くことができてしまいます。ペンタトニック、ナチュラルマイナー・スケールを中心としたパワフルな演奏が特徴で、大きなヴィブラートやネックを折り曲げるように押し込んで強引に音程をダウンさせるネック・ベンドといったプレイは聴けば一発でマイケルの演奏であると分かるほどです。
愛器は白と黒のツートンにペイントされたギブソンのフライングVをずっと使用していましたが、最近ではディーンを始め、さまざまなモデルを使用しています。しかし、ボディ・シェイプは一貫してVタイプのものに拘っているようです。

ウルリッヒ・ロート

ウルリッヒ・ロートはスカイギターの開発者としても有名です。商業的な成功よりも自身の音楽を追求していくスタイルを貫いていて、チャート中心に活動していたスコーピオンズからも脱退してしまいます。
ギターの可能性を極限まで追求しており、スコーピオンズ時代にはすでに、自身の愛器であったストラトキャスターのフレットを23フレットに増設していました。

これは、ギターでバイオリンのような高音を出したいというウルリッヒの考えから生まれたもので、後のスカイギターへとつながっていきます。
スカイギターは、最終的に32フレットを採用しており、これは従来のギターに比べ1オクターブ近く高い音が出る仕様になっています。一切市販されてこなかったスカイギターですが、最近では自動チューニング・システムや7弦タイプのものがギブソンやディーンなどから販売される動きがあるようです。
プレイはさまざまなマイナースケールを中心とした、いわゆる泣きのギターを得意としており、初期のスコーピオンズ=ウルリッヒ・ロートと言われるくらい存在感のあるギター・プレイを披露しています。

マティアス・ヤプス

2人の偉大なギタリストの影に隠れてしまった感がありますが、安定したプレイには定評があります。ギブソンのエキスプローラーをメインに使用しており、どんな曲にも対応できるオーソドックスなプレイが高く評価されています。大ヒットアルバム「Love at First Sting」からのシングル・カット「Rock You Like a Hurricane」では、マイケルやウルリッヒとはひと味違う、LAメタルテイストのプレイで大ヒットに結びつけています。

ルドルフ・シェンカー

ルドルフ・シェンカーは、マイケル・シェンカーの実兄でスコーピオンズの創始者です。スコーピオンズ一筋で、一貫してサイド・ギターを担当し続けています。
ただし、そのテクニックはなかなかのもので、マティアスがバンドに慣れるまではステージで代わりにリードを担当することもありました。マイケルと同じくフライングV一辺倒ですが、これはイギリスの伝説的ツイン・リード・バンド、ウィッシュボーン・アッシュのアンディ・パウエルの影響によるものです。

スコーピオンズのおすすめアルバム

大ヒットアルバム「Love at First Sting」も素晴らしい出来ですが、やはり出世作「Virgin Killer」をおすすめします。ジャケットに少女のヌード写真を使用し物議をかもしたアルバムですが、内容は素晴らしくとくにウルリッヒのギターは特筆に値します。マイナーコードを基調にした古き良きハード・ロックアルバムで、クラウスのボーカルも冴え渡っています。

もう1枚あげるとすれば8作目の「Blackout」です。過密なスケジュールによって声帯を痛めたクラウスにドクターストップがかかり、1年間の休養をはさんで発表されたこのアルバムでは、以前にも増してすさまじいクラウスのボーカルを聴くことができます。
セールス的にもはじめてアメリカで成功をおさめたアルバムと言え、初の全米チャートトップ10に食い込み、シングル・カットされた「No One Like You」もスマッシュ・ヒットを記録しました。

現在のスコーピオンズ

2010年「Stingin the Tail」のリリースとそれに伴うワールドツアーを最後にバンドを解散させると発表されていましたが、セールスもツアーも好調をキープしていたことから解散は撤回されました。

ベースはパウエル・マキオダ、ドラムがミッキー・ディーに交代しましたが、クラウス、マティアス、ルドルフら主力の3人は健在で、現在も精力的にツアーを続けています。

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