フォリナー:まさに国境を超えたヒーロー

今では不思議なことではありませんが、1970年代当時、アメリカ人とイギリス人のスーパースターによる混合編成バンドはそう多くはありませんでした。外国人同士によるバンドという意味合いから名付けられたフォリナーは、まさに時代の先駆者と言えるスーパー・バンドになったのです。

フォリナーを生んだビッグ・バンド

バンド名からも伺えるように、フォリナーはアメリカ人とイギリス人による混成バンドです。しかも、それぞれのメンバーがすでにビッグ・ネームのバンドで活躍していたこともあり、結成当時から話題を呼びました。
まずは、フォリナーがどれ程すごいバンドだったのか、各メンバーが在籍していたグループを見てみましょう。
まず、フォリナーの中心的な役割を果たしてきたギターのミック・ジョーンズですが、彼は伝説的なブリティッシュ・ロック・バンド、スプーキー・トゥースの出身です。

スプーキー・トゥースは1968年にデビューしましたが、何度かのメンバー・チェンジを経て1970年にアルバム「Last Puff」をリリースして解散してしまいます。
その後、1972年に再結成するのですが、その時ヘンリー・マックローの代わりにギターを務めたのがミック・ジョーンズです。

そして、もうひとりの中心人物であるマルチ・プレーヤーのイアン・マクドナルドですが、一時代を築いたスーパー・プログレ・バンド、キング・クリムゾンの創設メンバーであることは有名です。
イアンはキング・クリムゾンにおいて、作曲はもちろんサックス、フルート、キーボードなど多彩な楽器を演奏してバンドに貢献してきました。中でもイアンが広めたと言われる特殊楽器メロトロンはキング・クリムゾンの名曲「Epitaph」になくてはならないパートとなっています。

ドラムのデニス・エリオットは、5年の活動期間中に20人以上のメンバーが在籍したことで知られるモダン・ジャズ・バンド、イフの出身でした。
ボーカルのルー・グラムは、アメリカ版フリーと呼ばれたブルース・ロック・バンド、ブラック・シープで活躍していましたし、キーボードのアル・グリーンウッド、ベースのエド・ガリアルディもそれぞれキャリアを積んでいました。

フォリナー結成

きっかけは1976年にミック・ジョーンズとイアン・マクドナルドがたまたまスタジオで意気投合したことでした。当時、セッション・ミュージシャンとしても活動していたミックとイアンは、新しいプロジェクトを始めてみようと考えたのです。
当時からすでにロックが莫大な利益を生む可能性のある産業であることは誰もが認識しており、フォリナーは、ある意味、売れることを前提条件に結成されたバンドの走りと言えるのかもしれません。
ミックとイアンは、スタジオ仲間に声を掛けスーパー・バンド、フォリナーは一夜にして誕生することになります。
早くも結成の翌年にはデビュー・アルバム「Foreigner」をリリース。プレスでの前評判もありましたが400万枚を超えるセールスを記録し、ビルボード4位まで上り詰める大ヒットとなりました。

幸先の良いスタートを切ったフォリナーは、さらに翌年セカンド・アルバム「Double Vision」をリリースします。多くのバンドが2枚目のジンクスで苦しむ中、このアルバムは前作を上回るヒットを記録し、その人気を盤石なものにします。
アルバム売上は500万枚を越え、チャートも2位まで上昇します。さらにシングル・カットされたタイトル・ナンバー「Double Vision」もスタジアム・ロックの典型的な成功例となったのです。

メンバー間の対立から低迷期へ

それぞれがビッグ・ネームのバンドでキャリアを積んでいたせいか、心身のストレスからくるアルコールやドラッグによる問題こそなかったものの、成功を収めたがゆえのメンバー間の確執は避けられませんでした。

ベースのエドの脱退は、スモール・フェイセズにいたリック・ウィルスの加入で事なきを得ましたが、バンドの方向性の違いから中心的メンバーであったイアンとアルが脱退してしまいます。
フォリナーは、後任のメンバーを入れることなく4人で活動を続け、その後もヒット曲を量産していきますが1990年にはとうとうボーカルのルー・グラムが脱退してしまいます。

ルーに代わりジョニー・エドワーズをボーカルに迎えたものの7枚目のアルバム「Unusual Heat」は全米チャート100位にすら入ることはできませんでした。
この失敗を機に、かねてよりミックの強引な方針に疑問を感じていたオリジナル・メンバーのデニスとドラムのリックまでもが脱退を表明し、ついにフォリナーは活動を停止することになります。
焦ったミックは、ルーと和解し再びバンドに戻るように説得しますが、ルー復帰後のアルバム「Mr. Moonlight」はフォリナーの全アルバム中最低の売上記録を更新してしまい、1つの時代の終焉を感じさせることになったのです。

フォリナーのおすすめアルバム

フォリナーのおすすめアルバムといえば、やはり、そのキャリアの中で最大のヒット作となった「4」をおすすめします。

1981年にリリースされた「4」は文字通り彼らの4枚目のアルバムで、アメリカ国内だけでも700万枚を超える大ヒット・アルバムとなりました。
ビルボードにおいては、10週連続で1位に君臨し、彼らの代名詞とも言える名曲「Juke Box Hero」を始め7曲もシングル・カットされました。
特に2枚目のシングル・カット「Waiting for girl like You」はビルボードにおいて10週連続2位を記録したのです。この時、フォリナーの行く手を阻んだのがオリビア・ニュートン・ジョンの「Physical」でした。

このアルバムは、フォリナーの作品の中でもっともハード・ロックよりと言える作品で、すでにイアン・マクドナルドとアル・グリーンウッドは在籍していません。バンドの中心的人物であったイアンの存在が無い中での成功が、この後のミックの強引な手法に影響を与えたとも言われていますが、まぎれもなくロックを代表する名盤であることはたしかです。
ミックの愛器レスポールが奏でる、太くナチュラルに歪んだディストーションサウンドもピッタリとマッチし、フォリナーの新しい方向性を決定づけています。
まさにアメリカン・ハードとも言えるドライブ感抜群の「Night Life」で幕を開け、名曲「Juke Box Hero」へと続く流れは鳥肌ものです。

もう1枚おすすめするとしたら、セカンド・アルバムの「Double Vision」でしょうか。このアルバムもかなりヘヴィなサウンドではありますが、全体的にとても聞きやすく仕上がっています。
伝統的な縦ノリのハード・ロックナンバーから、ちょっとおしゃれな感じのアメリカン・ロックまでバランスよく収録されており、聴く人を選びません。

7曲目の「Tramontane」はキング・クリムゾンを思わせるようなドラマチックなインスト曲でフォリナーの懐の深さが伺える佳曲となっています。

現在のフォリナー

ルーがバンドに復帰するも、脳腫瘍の手術などもあり2002年には再びバンドを去ってしまいます。アルバムも1994年の「Mr. Moonlight」を最後にリリースされていませんでしたが、ミックはここで起死回生の手を打ってきます。
フォリナーのデビューがそうであったように、スタジアム・ロックの再現を狙ったのです。

ボーカルにはクワイエット・ライオットの弟分として知られるハリケーンのケリー・ハンセン、ドラムにはレッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムの遺児ジェイソン・ボーナム、ベースにはドッケンで活躍したジェフ・ピルソンといった80年台に台頭してきた若手のヘヴィ・メタル・ミュージシャンを加入させたのです。
こうして発売された9作目のアルバム「Can’t Slow Down」は実に13年ぶりのリリースにもかかわらず、全米チャート30位に食い込むヒットを記録しました。

2017年にはデビュー40周年を記念して40曲入りのコンピレーション・アルバムをリリース、さらに翌年からはエドをのぞくオリジナル・メンバーと現メンバーによる特別編成によるツアーを行っています。
一時は方向性の違いから袂を分つことになったイアン・マクドナルドも参加しており、新旧合わせた豪華メンバーによるステージは、ファンならずとも一見の価値ありです。

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