デフ・レパード:困難を克服したハードロックバンド

衝撃的なデビューを飾り、空前のヒットを連発し、一夜にしてスターダムにのし上がったヘヴィメタルバンド、それがデフ・レパードです。多くのミュージシャンがデビュー前の下積みで苦労するのに対し、デフ・レパードの成功はまさにシンデレラ・ストーリーとも言えるものでした。しかし、その後バンドを大きな不幸が襲うことになります。

デフ・レパード結成

デフ・レパードの結成は一風変わったものでした。ハイスクールの同級生であったベースのリック・サヴェージとギターのピート・ウィリスは友人のトニー・ケニングをドラムに加えて前身バンドのアトミック・マスを結成します。
ある時たまたまバスに乗り遅れたピートがジョー・エリオットと出会い、彼をギタリストとして勧誘。最終的に彼はボーカルとして参加し、バンド名をデフ・レパードに変更。その後、もう一人のギタリスト、スティーヴ・クラークが加入しますが、ドラムだけがなかなか定まらず、オリジナル・メンバーのリック・アレンが加入するまでに2人のドラマーがバンドを去っています。
バンドはその後フィリップレコード傘下のフォノグラム社と契約し、1980年「On Through the Night」でデビューします。

栄光へのスタート

デビュー・アルバム「On Through the Night」は全英15位まで上昇し、新人バンドとしてはまずまずのスタートを切ります。そして翌年には、AC/DCのプロデューサーとして知られるロバート・ジョン・マットラウンジを迎え「High ‘n’Dry」をリリース。

このアルバムは全英26位、全米36位を記録しゴールドディスクに輝きました。勢いに乗ったデフ・レパードはオジー・オズボーンなど有名バンドのオープニングアクトとしてヨーロッパツアーに帯同し、ますますその名を広めていきます。
しかし、オリジナル・メンバーのピートが度重なる飲酒問題でバンドを解雇されてしまいます。後任にはグラム・メタルバンド、ガールのリード・ギタリストを務めたフィル・コリンが迎えられ、これが功を奏することになるのです。そして、1983年、満を持して発表された3枚目のアルバム「Pyromania」が彼らの運命を決定づけます。
このアルバムはビルボードでマイケルジャクソンの「Thriller」に次ぐ最高2位を記録する大ヒットアルバムとなり、デフ・レパードを一躍トップバンドへと押し上げたのです。

バンドを襲った不幸

「Pyromania」の成功に気を良くしたメンバーは、アイルランドのダブリンで次のアルバムの制作を開始しました。

事件が起こったのは1984年の大晦日の夜。その日、泥酔状態でガールフレンドを乗せてドライブしていたドラマーのリック・アレンが交通事故を起こしてしまいます。車外に投げ出された時にはすでにリックの左腕は肩から切断されていたと言われていますが、幸い看護師資格を持つ女性が通りかかり、適切な応急処置によりリックの腕は一旦元通りに接合されます。しかし、その後肘から先がうまく機能していないことが判明し、やむなく再度切断処置されることになったのです。
全ての楽器において片腕をなくすというハンデは計り知れません。普通に考えればドラムを演奏することは困難で、ドラマーの変更、バンドの解散といった選択肢も当然浮かんできました。
ここで救いの手を述べたのが世界的な電子打楽器メーカーのシモンズ社でした。六角形の打面が特徴のシンセ・ドラムで有名なシモンズが、腕の代わりにフットペダルでスネアやタムの音をコントロールできるドラムセットを制作してくれたのです。

リックの代わりになるデフ・レパードのドラムはいないと考えていたメンバーは、この申し出を受け、リック用にカスタマイズされたシンセ・ドラムの完成と操作に慣れるまでの期間を待つことにします。
そして前作から4年後、4枚目のアルバム「Hysteria」が1987年にリリースされます。おりしも世界を席巻したヘヴィ・メタル・ブームに陰りが見え始めた時期でしたが、このアルバムはリリース直後こそ目立った売上は見られませんでしたが、じわじわとセールスを伸ばし、最終的には全世界で3000万枚を超えるセールスを記録することになります。

バンドを襲ったさらなる悲劇

「Hysteria」のリリース後、2年以上にも及ぶワールドツアーを終えたメンバーは、次作のアルバム制作に取り掛かります。しかし、ここで再びバンドを大きな悲劇が襲うのです。

オリジナル・メンバーとしてバンドを支えてきたギタリストのスティーヴ・クラークがアルコールと薬物の過剰摂取により急死してしまいます。彼が使用したのは薬物と言っても、睡眠薬や精神安定剤といったもので、ハード・スケジュールとストレスから逃れるために服用量が増えていったのだと考えられています。
残されたメンバーは後任のギタリストを入れることなく、本来スティーヴが弾くパートを全てフィルが担当しレコーディングを完了します。
こうして発売された通算5枚目のアルバム「Adrenalize」は世界15カ国でチャートの1位を獲得する大ヒットとなったのです。

デフ・レパードのおすすめアルバム

とにかくデビューから5枚目までのアルバムが全てプラチナ・アルバムを獲得しているわけですから、どれを聴いてもハズレはありません。
そんな中でもやはりおすすめしたいアルバムは、やはり3枚目の「Pyromania」と4枚目の「Hysteria」です。

まず「Pyromania」からは「Photograph」、「Foolin’」、「Rock of Age」などがシングル・カットされそれぞれヒットしていますが、中でも「Photograph」の人気は凄まじいものがありました。

当時、全米チャートの1位を37週にわたって独占していたマイケル・ジャクソンのアルバム「Thriller」からのシングル・カットである「Beat it」を抑えMTVリクエストのNo1を勝ち取るほどの人気を得ていたのです。

そして、片腕ドラマーとしてリックが復帰した最初のアルバム「Hysteria」です。片腕というハンデを全く感じさせないドラム・ワークもさることながら楽曲の素晴らしさ、メンバーのスキルの高さを感じさせられる名盤となっています。
このアルバムからは初の全米トップ10入りとなる「Hysteria」をはじめ、「Love Bites」が1位、「Pour Some Sugaron Me」が2位、「Armageddon it」が3位など、シングル・カットされた7曲全てが全米シングル・チャートにランキングされる大ヒットとなりました。ちなみに、2018年現在でもこの記録は破られてはいません。

まさに、全曲名曲。ハード・ロックファンならずとも1度は聴いておきたいアルバムのひとつとしておすすめします。

現在のデフ・レパード

スティーヴを失ったあとワールドツアーに抜擢されたギタリストは、ディオやホワイトスネイクで活躍していたヴィヴィアン・キャンベルでした。
メンバーとも意気投合したヴィヴィアンは、そのまま正式メンバーとしてデフ・レパードに加入することになり、以降のアルバム、ツアーに参加しています。
2015年には通算11枚目のアルバムとなる「Def Leppard」をリリースし全英11位、全米10位にチャートインし、その実力を見せつけました。

また、メンバーそれぞれが独自のプロジェクトを遂行しており、フィル・コリンはデルタ・ディープで、ヴィヴィアン・キャンベルはディオの元メンバーと結成したラスト・イン・ラインやシン・リジィの再結成などに参加しています。

まだまだ余力を残しているデフ・レパードですが、体調面では若干心配な部分もあるようです。ボーカルのジョーは喉の不調を訴えることが増え、いくつかのコンサートをキャンセルしていますし、ヴィヴィアンはホジキンリンパ腫に罹患していることを公表しています。ベースのリック・サヴェージも長年ベル麻痺に苦しんでいると言いますから以前のように万全の体制で活動することは不可能かもしれません。
しかし、まだまだデフ・レパード人気は衰えていませんから、ぜひニュー・アルバムをリリースしてほしいものです。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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