ビリー・ジョエル:ブロンクスが生んだヒット・メーカー

とかくハングリーなエピソードが多いミュージシャンの出世譚において、ビリー・ジョエルは比較的裕福な家庭で育ちました。ユダヤ系の両親はともに事業を持っており、ブロンクスの住宅街で幼い頃からピアノを習っており、ビリーの成功は約束されていたかのようでしたが、彼は様々な困難に直面することになります。

長い下積み生活

学生時代にはピアニストの他にアマチュアボクサーとしても将来を嘱望されるほどの腕前を持っていたのですがボクシングの方は怪我が原因で挫折してしまいます。
肝心の学業の方も、バンド活動やクラブでのピアノ演奏に忙しくしている間に単位が足りなくなり高校を中退することになります。

プロ・ミュージシャンとして生きていくことを決意したビリーは、まず地元のバンド、ハッスルズに加入し、そこのドラム、ジョン・スモールとユニットを組みます。
コロンビア・レコードと契約しアルバムも2枚リリースしますが、全くといっていいほど反響がなく、ユニットは解散してしまいます。

22歳の時、ソロデビューアルバムの「Cold Spring Harbor」をリリースしますが、マスター・テープの回転数が通常より早いという、考えられないようなアクシデントのままミキシングされ、実際よりも高いキーのレコードが売り出されてしまいます。

記念すべきソロ・デビュー・アルバムにもかかわらず前作同様全く評価されなかったことがきっかけで、デビュー当時から抱えていた鬱病が悪化。さまざまな理由から環境を変えるためマネージャーのエリザベス・ウェーバーと共にロス・アンジェルスに移住し、名前をビル・マーティンに変えてクラブなどで地道な活動を続けました。

そして1973年ビリーが24歳の時、アルバム「Piano Man」をリリースします。このアルバムからのシングル・カット「Piano Man」が全米30位にランクインし、初めて成功をおさめたのです。

世界的なミュージシャンへ

1975年、通算4枚目にあたる「Turnstiles」は全米ランクの100位にも届きませんでしたが、2年後の1977年にリリースされた「The Stranger」は全米チャートの2位に食い込む大ヒットとなります。

当時のコロンビア・レコード内では1970年にリリースされたサイモンとガーファンクルの「Bridge over Troubled Water」の記録を7年ぶりに更新し、最も売れたアルバムとなったのです。
このアルバムからはシングル・チャート3位を記録する「Just the Way You Are」をはじめ、4曲がシングル・カットされいずれもヒットを記録しました。
中でも「Just the Way You Are」は、グラミー賞の最優秀レコード賞を獲得し、名実ともにビリー・ジョエルの名前を世界に知らしめることになったのです。

勢いに乗ったビリーは、1978年に「52nd Street」をリリースします。このアルバムは前作以上の高い評価を受け、ビリーのキャリアの中で初めての全米チャート1位を獲得することに。さらに、前年に続きグラミー賞にもノミネートされ、その年の最優秀アルバム賞と最優秀ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞の2冠に輝くことになりました。ちなみに、その年から一般に向けて販売が開始されたCDの記念すべきファースト・タイトルに選ばれたのが「52nd Street」です。

その後も、「Glass House」、「The Nylon Curtain」、「An Innocent Man」と立て続けにヒット・アルバムをリリースし、グラミー賞も何度も受賞し、まさにアメリカを代表する男性ボーカリストへと上り詰めたのです。

ビリー・ジョエルの災難

ビリー・ジョエルは、その生涯の中ですでに3回の離婚を経験しています。最初の妻は彼のマネージャーを務めていたエリザベス・ウェーバー。2人目がスーパー・モデルでシングル「Up Town Girl」のプロモーション・ビデオにも登場するクリスティ・ブリンクリー。

3人目がTVリポーターなどで活躍していたケイティ・リー。そして、現在4人目の妻となっているのがファイナンシャル・アドバイザーで32歳年下のアレクシス・ロデリックです。

結婚運があまり良くないのか、ビリーの結婚には悲しい出来事がつきまといます。最初の妻、エリザベスは、ビリーがデビューアルバムを出したユニット、アッティラのドラムであったジョン・スモールの奥さんで、ビリーとは不倫関係でした。2人の関係がジョンにバレたことが原因でエリザベスは離婚しますが、責任を感じたビリーは睡眠薬を大量に飲んで自殺を図ります。意識がもうろうとする中、ジョンに謝罪の電話をかけたことが幸いし、異変を感じ駆けつけたジョンによって病院に運ばれ一命を取り留めることになるのです。その後、逃げるようにしてロス・アンジェルスに移るのですが、金銭的なトラブルから破局を迎え、全財産を1/2ずつ分けるという形で離婚が成立します。

ビリーの一目惚れが実って結婚したクリスティの間には、長女を設けますが、こちらはクリスティの交友関係が原因で破局を迎えたと報じられています。

結婚以外にもビリーはたびたび事故に見舞われています。「The Strangler」、「52nd Street」と立て続けにヒットを飛ばしていた1982年には、バイク事故を起こし左手首に大怪我をし、全てのスケジュールをキャンセルするはめになります。交通事故をその後もたびたび起こし、ポップス業界からの引退を表明した2000年以降だけでも3度の事故に見舞われています。

さらに、1995年に行われた日本公演の時には大阪に滞在しており、この時阪神淡路大地震に遭遇しています。ビリーはこの大災害にあってもコンサートをキャンセルせず2日遅れで開催、収益金の全てを震災被害者に寄付しています。

ビリー・ジョエルのおすすめアルバム

おそまつなミキシングでビリーの魅力の半分も伝えられていないファースト・アルバムをのぞけば、4枚目の「Turnstiles」以外、全てのアルバムが全米チャート10位以内に入るヒット・アルバムとなっています。
ほぼ全てのアルバムが高評価といった中、あえておすすめアルバムを選ぶとしたら出世作「The Stranger」、人気を決定づけた「52nd Street」、イギリスでの評価も獲得した「An Innocent Man」あたりでしょうか。
「The Stranger」では、シングル・カットこそされませんでしたが表題曲の「The Stranger」、アコースティックの響きが美しい「She’s Always a Woman」、ミュージカルの題材にもなった「Movin’Out」などはぜひとも聴いてほしいナンバーですし、「52nd Street」には全米3位の「My Life」、同14位の「Big Shot」、同24位の「Honesty」とこちらも良作が目白押しです。

そして、大ヒットシングル「Tell Her About It」が収録された「An Innocent Man」には、他にもドゥワップのハーモニーが心地よい「The Longest Time」やプロモーション・ビデオが話題を呼んだ「Uptown Girl」などこちらも名曲がずらりと並んでいます。

結局、ビリーの場合、どの時代のどのアルバムを選んでも間違いはありませんから、最初は1985年にリリースされているコンピレーション・アルバム「Greatest Hits」から入ってみるのもいいでしょう。

このベスト・アルバムには2枚目の「Piano Man」から9枚目の「An Innocent Man」までの代表曲が25曲も収録されています。このページで紹介したおすすめの曲もほとんど含まれていますから、このアルバムの中からお気に入りの曲を見つけ、そのアルバムを改めて聞き直すという方法もいいかもしれません。

最近のビリー・ジョエル

2007年に14年ぶりとなるシングル「All My Life」をリリースした後は、本格的なツアーやレコーディングから遠ざかっているようです。
しかし、「The Truth About Love」のヒットなどで知られる女性ボーカルのピンクと意気投合し、ニュー・アルバムを出すかも知れないという噂が広まっています。
もしリリースされれば、ポップス・アルバムとしては1993年の「River of Dreams」以来26年ぶりとなりますから、ぜひとも実現してほしいものです。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧