フリートウッド・マック:社会現象にまでなったスーパーバンド

伝説的ブルース・ロック・バンド、ジョン・メイオール&ザ・ブルース・ブレイカーズから飛び立った20歳の若きドラマーは多くのメンバー・チェンジとさまざまな苦難を乗り越え、ついに世界的な成功を手に入れます。自身の名前を付け、ブルース・ロック・バンドとしてスタートしたフリートウッド・マックは、素晴らしい3人のボーカルと共に極上のポップ・ロック・バンドへと生まれ変わっていくのです。

フリートウッド・マックの成り立ち

フリートウッド・マックのオリジナル・メンバーであるドラムのマイケル・ジョン・ケルズ・フリートウッド、通称ミック・フリートウッドとギターのピーター・グリーンは、20歳のころ伝説的ブルース・バンド、ジョン・メイオール&ザ・ブルース・ブレイカーズで活動していました。
1967年、ブルース・ブレイカーズでの活動に限界を感じた二人は、自身の可能性をたしかめるためにギターにジェレミー・スペンサー、ベースにジョン・マクヴィーを加え「ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック」として正式にバンド活動をスタートさせます。
翌1968年には早くもファースト・アルバム「Fleetwood Mac」をリリース、サンタナのカヴァーで有名な「Black Magic Woman」がシングル・レコードとして大ヒットし一躍世間の注目を集めるようになります。

さらに半年後にはセカンド・アルバム「Mr. Wonderful」をリリース。前作の高評価を受けてこのアルバムはワールド・ワイドで販売されました。サウンドに厚みを持たせるためバンドはもうひとりのギタリスト、ダニー・カーワンを加え当時としてはめずらしいトリプルギター編成というラインナップに落ち着きます。
そして、セカンド・アルバムのリリースからわずか3ヶ月後、シングル「Albatross」が全英シングル1位を獲得し、ヨーロッパでは押しも押されもせぬブルース・バンドとしての地位を獲得するのです。

低迷期

イギリスで成功を手にし、いよいよアメリカでの活動に本腰を入れようとしていた矢先、バンドを数々の不幸がおそいます。フリートウッド・マックの創始者のひとり、ピーター・グリーンが精神疾患を理由にバンドから脱退してしまいます。サウンドの要でありコンポーザーであったピーターの脱退は大きく、代わりを務めたジェレミー・スペンサーも多大なストレスからかドラッグの乱用に走り、最後には新興宗教に傾倒しバンドを去ることになります。
後任としてフランスでヘッド・ウエストというバンドで活躍していたボブ・ウエルチを迎えます。ボブはこのバンドでは初のアメリカ人で、これにより本格的なアメリカ進行がスタートしたのです。さらに、ピーターのボーカルの代わりには元チキン・ジャックのボーカリストでジョン・マクヴィーの妻でもあったクリスティン・マクヴィーを加入させます。
新たに女性ボーカルを加えたことで従来の泥臭いブルース・サウンドからよりフォーク・ロックに近い形で2枚のアルバムをリリースしますが、評価は芳しくありませんでした。結果、新しいサウンドを主導してきたダニー・カーワンもストレスからのアルコールの過剰摂取により神経衰弱を発症しバンドを解雇されてしまいます。
その後、新しくフリートウッド・マックのコンポーザーを務めたボブは、クリスティンの持つ魅力をさらに引き出すため、よりポップ色の強い楽曲を作っていきます。ここに来てフリートウッド・マックのブルース色は完全に失われることになります。結果として、この方針転換は成功し、今までセールス的に伸び悩んでいたアメリカでも受け入れられるようになります。

フリートウッド・マックは、さらなる飛躍のためにイギリスからアメリカに活動の拠点を移しますが、今度は中心的な役割を果たしてきたボブ・ウエルチが脱退してしまいます。

絶頂期

ボブの代わりとして白羽の矢が立ったのはバッキンガム・ニックスという新人デュオのギター・ボーカルを務めていたリンジー・バッキンガムでした。リンジーはフリートウッド・マック加入の条件としてパートナーであるスティーヴィー・ニックスも参加させることを提案し、了承されます。
新たに2人のボーカルとギタリストを加えたフリートウッド・マックは、1975年「Fleetwood Mac」をリリース、アルバムとしてはついに念願の全米No1を獲得。

クリスティン、リンジー、スティーヴィーといった3人のすぐれたボーカリストを揃えたフリートウッド・マックは、それぞれの声質やキャラクターにあった楽曲を歌うことで幅広いジャンルの音楽を取り入れることに成功したのです。
そして、1977年、フリートウッド・マックのキャリアの中で最大のヒット作である「Rumours」がリリースされます。その後も、「Tusk」、「Mirage」などヒットアルバムを連発し、フリートウッド・マックは、トップ・バンドとしての地位を揺るぎないものにさせていきました。

ソロ活動から終焉へ

栄光と名声を手に入れたフリートウッド・マックでしたが、多くのバンドがそうであったように次第にメンバー間の確執が深まっていきます。成功にともなうスキャンダルも目立ち、
メンバーは個々の活動にウエイトを起き始めるように。
スティーヴィー・ニックスは初のソロアルバム「Bella Donna」が全米No1を獲得し、クリスティン・マクヴィーは「Got a Hold on Me」、リンジー・バッキンガムは「Trouble」でそれぞれシングル・ヒットを記録しました。
5年ぶりに発表された14枚目のアルバム「Tango in the Night」も全米7位まで上昇しますが、ここでリンジーが脱退、さらにワールド・ツアーが終了した1990年にはクリスティンとスティーヴィーが今後のツアーへの不参加を発表します。

フリートウッド・マックのおすすめアルバム

何と言っても「Rumours」は外せないでしょう。1977年のリリース当時は31週にわたってビルボード・チャートの1位に君臨し、1978年にはグラミー賞の最優秀アルバム賞を獲得しています。

軽快なポップ・ナンバー「Second Hand News」で幕を開けるこのアルバムは、「Dreams with Lyrics」のスティーヴィーの気だるい歌声や、「Don’t Stop」のクロスオーバーな曲調に不思議とマッチするクリスティンのブルージーなボーカルと3人の魅力が詰まった名盤です。

また、中期のおすすめアルバムとしては、名曲「Hypnotized」が収録された「Mystery to Me」、ピーター・グリーンが在籍していた初期では、デビューアルバム「Fleetwood Mac」が高い評価を受けています。

現在のフリートウッド・マック

度重なるメンバーの脱退を繰り返しながらも、その都度メンバーを入れ替えコンスタントに活動を続けているフリートウッド・マックですが、最大のピンチは1990年のスティーヴィーとクリスティンのツアー不参加でした。
その後に発表された15枚目のアルバム「Behind the Mask」では5作連続で続いていたゴールドディスクを逃し、クリスティン脱退後の1995年の「Time」では、全米チャートの200位にすら届きませんでした。
フリートウッド・マックもこれで終りかと思われましたが、なんと1997年に再びリンジー、クリスティン、スティーヴィー、ミック、ジョンが集結し、まさかの再結成が発表されます。同年リリースされたライブ・アルバム「The Dance」が全米No1を獲得、翌年にはロックの殿堂入りに認定されその人気の高さが証明されました。

その後、クリスティンが一旦音楽業界そのものから引退するも、2014年に復帰。2018年にはリンジーを除く4人によるワールド・ツアーが行われており結成から50年を過ぎてもなお、精力的に活動を続けています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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