ル・コルビュジエ:近代建築の巨匠

ル・コルビュジエは1887年にスイスで生まれ、フランスで活躍した建築家です。フランク・ロイド・ライトやミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」ともいわれています。そんなル・コルビュジエの人生とはどのようなものだったのでしょうか。

■ル・コルビュジエとは

ル・コルビュジエ、本名シャルル=エドゥアール・ジャヌレ=グリは1887年スイスのラ・ショー=ド=フォンに生まれました。父親エドゥアールは時計の文字盤職人であり、母マリーはピアノ教師という家庭で、家業を継ぐために地元の美術学校に通っていました。当時は時計職人を志望していたものの、時計産業は景気が悪く、またコルビュジエは視力が非常に弱かったため、徐々に時計職人以外の道を模索するようになります。

1905年には彼の才能を見出した校長のシャルル・レプラトゥニエのすすめで、「ファレ邸」の設計を手掛けることに。当時コルビュジエは18歳だったため、建築家ルネ・シャッパラの監督のもと作業が進められました。この建物はアルプス地方の伝統的な「シャレー」という木造の建物で、なだらかに傾斜した大きな屋根が特徴です。建物の正面にはモミの木をモチーフにした幾何学模様が施されています。
1908年にはパリに赴き、オーギュスト・ペレの事務所に所属することになります。ペレはベルギー、ブリュッセル生まれの建築家で、鉄筋コンクリートによる芸術的な建築を追求し、「コンクリートの父」と呼ばれた人物です。また1910年にはドイツ工作連盟の中心人物であったペーター・ベーレンスの事務所に所属し、コルビュジエは短期間であったものの実地で建築を学んでいます。
1911年からはベルリンから東欧、トルコやギリシャへ旅にでかけ、1914年には鉄筋コンクリートによる建設方法である「ドミノシステム」を発表。1917年からはパリの鉄筋コンクリート会社に勤めるなど、後のコルビュジエ建築の重要な要素となっていくコンクリートや異国の建築について学んでいきます。また1920年にはダダの詩人であるポール・デルメらと共に芸術雑誌レスプリ・ヌーヴォーを創刊し、ここで祖先の名前からつけた「ル・コルビュジエ」というペンネームを使うようになります。
1922年には従兄弟のピエール・ジャンヌレと事務所を構え、1925年にはパリ万博博覧会で「レスプリ・ヌーヴォー館」を設計します。この時のパリ万博はアール・デコ装飾の展示館ばかりだったのに対し、レスプリ・ヌーヴォー館は装飾のない設計で多くの注目を集めました。
その後「サヴォア邸」や「ロンシャンの礼拝堂」といった近代建築の傑作と呼ばれる建築を設計し、コルビュジエは世界的な建築家として精力的に活動を続けていきました。そんなコルビュジエですが1965年には南フランスのカプ・マルタンで海水浴中に心臓発作を起こし、78歳の生涯を閉じることになります。1957年には妻イヴォンヌが、1959年には母マリーが亡くなっており、自身の公的記録を完成させた直後であることから、自殺だったのではないかとする説もあります。

■近代建築の五原則

初期の「ファレ邸」からその後のコルビュジエの作品を見ていくと、徐々にコンクリートが用いられたシンプルな建築になっていくことがわかります。コルビュジエは設計にあたって「近代建築の五原則」というマニフェストを発表しており、それぞれの建築にはこのマニフェストが適用されているのです。ではこの五原則とはどのようなものなのでしょうか。

近代建築の五原則は、「ピロティ」「屋上庭園」「自由な平面」「水平連続窓」「自由なファサード」の5つの要素からなります。
「ピロティ」とは建築用語で2階以上の建物において地上部分は柱を残して外部空間とした建築のことを指し、フランス語で「杭」を意味します。
「屋上庭園」とは、建築物の上層部に造られた庭園を指します。日光浴やスポーツ、都市農業を可能にし、建物の居住者にさらなる屋外生活空間を提供します。
「自由な平面」とは、構造的な柱や壁の存在によって部屋の形が制限されることなく、間仕切り壁などで自由に空間を生み出すことができるようになることを指します。
「水平連続窓」は、建物全体に沿って窓を設けることで、室内を均一に太陽光で照らすことを可能にします。
「自由なファサード」とは、上記の4つの原則が適用された結果、建物の第一印象を決める正面を自由にデザインすることができるようになることを指します。
これらのアイデアは、これまでの建築からすると画期的なモダニズム建築の規範として、世界に広がっていくことになります。

■ル・コルビュジエの作品

そんな近代建築の五原則を適用したコルビュジエの建築とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・サヴォア邸1928年設計1931年竣工

ピエールとエミリ・サヴォア夫妻の別荘としてパリの西30キロの郊外に建てられました。コルビュジエの新しい建築美学を具現化した建物として、彼の代表作になっています。
それまで装飾的で重厚的だった西洋の建築とは大きく異なり、ピロティを用いて住居部分がまるで空中に浮かんでいるようにし、室内に多くの光を取り込む水平連続窓を設置したこの建物は、当時の建築家たちに大きな衝撃を与えました。
非常にシンプルな建築のように見えますが、屋上庭園は外から中が見えないように設計されており、建物全体に灰色や白、青や橙色などが用いられているなど、トータルで美しく安心感のある建物になっています。また、建物の中にある家具もサヴォア邸に合うように設計されたものです。コルビュジエの傑作といわれ、のちに「コルビュジエ・チェア」と呼ばれるようになる家具も置かれています。

・ロンシャンの礼拝堂1950年設計1955年竣工

ロンシャンの礼拝堂は、別名をノートルダム・デュ・オー礼拝堂ともいう、コルビュジエが手掛けた礼拝堂です。フランスのフランシュ・コンテ地方、オート・ソーヌ県ロンシャンに位置しており、「世界遺産ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の構成資産の一つでもあります。
もともとロンシャンは巡礼の地で、中世に建てられた礼拝堂もあったことから、信仰の場となっていました。しかし、かつての礼拝堂は第二次世界大戦の際にナチスドイツの空爆によって破壊されてしまい、戦後になって再建されることになったのです。

ロンシャンの礼拝堂は鉄筋コンクリート造りで、白の分厚い曲面の壁とシェル構造の薄い曲面の屋根が大きな特徴です。それまでコルビュジエが用いてきた近代建築の五原則からするとかけ離れたものでしたが、新しい建築表現を追求したものとして、コルビュジエの名声をさらに高めるきっかけとなりました。

■おわりに

ル・コルビュジエはさまざまな建築家のもとで学んだ後、「近代建築の五原則」に則った建築を発表し、それまでの装飾的で重厚な建築とは異なる新しい建築表現を生み出したとして、近代建築の三大巨匠と称される人物です。
サヴォア邸やロンシャンの礼拝堂などはそうしたコルビュジエの代表作であり、今なお建築家たちに大きな影響を与え続けています。2016年に承認された世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」はそうした影響を表す顕著な例であり、ドイツからは「ヴァイセンホフ・ジードルングの住宅」、アルゼンチンは「クルチェット邸」、日本からは「国立西洋美術館」など世界各地のコルビュジエの建築が世界遺産として認定されました。

「国立西洋美術館」

視力が弱かったばかりに時計職人になることができなかった青年が、建築という新しい道を得たことで、世界的な建築家になっていく。ル・コルビュジエの人生からはそんな意外性も学ぶことができるかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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