21世紀、「紙幣」はこの世界から消えていく運命にある

国家の信用を裏付けに発行される「紙幣」は、大量に出回って20世紀の資本主義の発展を支えた。しかし21世紀は一転、消滅する方向に向かっている。原因は「ニセ札の横行」とITの進歩による「通貨の電子化」。すでにユーロやインド・ルピーの最高額紙幣は発行を停止。中国では偽造がひどく信用されなくなった人民元紙幣が、スマホと「QRコード」による支払いにとって代わった。北欧諸国では国策で世界に先駆けて「キャッシュレス化」が進行中である。人類はこの先、紙幣をいつ頃まで使用するのだろうか?

ユーロとインド・ルピーの高額紙幣発行停止

政府が発行する紙幣は11世紀、当時の世界最大の経済大国、中国の宋王朝が発行したものが最初だといわれる。ヨーロッパでは17世紀、スウェーデンで初めて発行された。
金属の硬貨(コイン)は、中に含まれる金や銀や銅の量がその価値を保証したが、紙幣は、紙それ自体に価値はほとんどない。価値を保証するのは紙幣を発行する政府(中央銀行)である。19世紀には政府(中央銀行)が保有する金や銀といつでも交換できるルールがその価値を保証していたが(兌換紙幣)、20世紀になると次第にそれをしなくなり、紙幣の価値を保証するのは「政府の信用」だけになった(不換紙幣)。第二次世界大戦の前後には、戦費調達や戦後復興のために各国政府が紙幣を大量に印刷・発行したため通貨の価値が低下するインフレが起こったが、それは結果的に、20世紀後半の資本主義の拡大・発展をもたらした。

現在の通貨で最も信用のあるものはFRB(連邦準備理事会)を中央銀行とするアメリカの「米ドル」で、日本銀行を中央銀行とする「日本円」も70年代から90年代にかけて対ドルレートで約4倍も強くなった(360円→90円)。ヨーロッパでは、ドイツ・マルク、フランス・フラン、イタリア・リラなど各国の旧通貨が、欧州中央銀行(ECB)を中央銀行とする共通通貨「ユーロ」に統合され、2002年から紙幣と硬貨が流通しはじめた。
現在は「米ドル(USD)」「日本円(JPY)」「ユーロ(EUR)」が、外国為替市場での取引量でも、国際決済通貨としても、世界三大通貨(基軸通貨)の地位を占めている。
その三大通貨の一つ、ユーロでは2018年12月末、最高額の500ユーロ紙幣の発行が停止された。2010年に英国が500ユーロ紙幣の銀行や両替所での取り扱いを禁止していたが、2016年5月4日、欧州中央銀行の理事会で正式に廃止が決まった。2019年以降も紙幣として通用はするが、汚れたり破れたりして銀行経由で回収されると出回る枚数が減っていき、いずれ見かけられなくなるはずだ。

また人口13億人のインドでは、ヨーロッパより更に過激な形で高額紙幣の廃止が実施された。2016年11月8日午後8時15分、モディ首相は緊急テレビ会見を行い、最高額紙幣の1000ルピー紙幣と500ルピー紙幣は、3時間45分後の11月9日午前0時から使用できなくなると全国民に通告した。

モディ首相

ただし、2種類の紙幣を同年12月31日までに銀行の窓口に持参して預ければ、預金残高として保全される措置がとられた。新しい高額紙幣として新2000ルピー紙幣、新500ルピー紙幣が発行されたが、発行量は制限され、銀行の窓口で新紙幣の交付を受ける際に本人確認が厳格に実施された。
その結果、犯罪組織やテロ組織や不正蓄財を行っていた者は、貯め込んでいた紙幣が支払いに使えなくなる上に「足」がつくので銀行に預けることもできず、新札の交付も受けられなくなる憂き目をみたが、11月8日の夜は善良なインド国民もかなり混乱した。
その他、2000年にカナダが1000カナダドル紙幣を、2013年にスウェーデンが1000クローナ紙幣を、2014年にシンガポールが1万シンガポールドル紙幣を、それぞれ発行停止にしている。

高額紙幣廃止の理由はまず「悪の温床を絶つ」こと

欧州中央銀行は、500ユーロ紙幣を廃止した理由は犯罪資金やテロ資金のマネーロンダリング(資金洗浄)に悪用されるのを防ぎ、犯罪やテロの資金源を絶つためだと言っている。発行停止から数年後、もし500ユーロ紙幣の札束を銀行に持ち込む者や、取引に使う者がいたらたちまち当局に「怪しい」とマークされるはずであり、それによって犯罪やテロの資金源を絶てると考えている。
インドのモディ首相は緊急テレビ会見で2種類の高額紙幣を廃止する理由について、紙幣の偽造(ニセ札)が問題になっていること、高額紙幣が不正蓄財や脱税、汚職などの温床になっていることを挙げている。
1989年に設立された国際機関、マネー・ロンダリングに関する金融活動作業部会(FATF/Financial Action Task Forceon Money Laundering)は2005年、「高額紙幣は密輸者が輸送する現金のサイズを大幅に縮小し、摘発を難しくするのに使われている。各国は高額紙幣の廃止を考慮すべきである」と提言した。
2001年9月11日に同時多発テロを起こした国際テロ組織アルカイダは当初、テロ資金を隠すのにアメリカの100ドル紙幣を使っていたが、後に500ユーロ紙幣に切り替えたという。ドルとユーロの交換比率はほぼ1対1で、500ユーロ紙幣なら同価値の札束が5分の1の枚数ですみ、資金を隠しやすくなるからである。
警察や税務署のような当局は、銀行からの送金ならば職権を行使して資金の出所を探ることができるが、紙幣の札束を直接やりとりしていたら踏み込んで現場をおさえない限り、資金の流れはわからない。紙幣は高額紙幣になればなるほど、資金の出所を隠し、秘かにやりとりするのに便利な存在なのだ。
現在、企業同士の商取引の決済手段は銀行経由の送金か、小切手や手形がほとんど。企業CEOへの高額報酬も銀行口座に振り込まれる。人が大量の紙幣を運ぶのは、銀行の現金輸送を除けば組織犯罪がからんでいるか、ワイロのような足がつくと困るカネか、逃亡・潜伏中の犯人ぐらいだ。
2003年のイラク戦争で首都バグダッドの陥落後、行方不明だったサダム・フセイン元大統領が同年12月、故郷の隠れ家の穴の中で米軍兵士に発見・拘束された時も、紙幣の札束と一緒だった。しかも所持していたのはイラクのディナール紙幣ではなく、「憎き敵国」のはずのアメリカの100ドル紙幣約7500枚(約75万ドル)で、自分を発見した米兵に対し変わり果てた独裁者は「取引しないか」と持ちかけたという。

「ニセ札の横行」も紙幣離れの大きな理由

廃止論が出ている100ドル紙幣は、アメリカ国内の一般の商店や飲食店で5ドル、10ドル程度の支払いに使おうとすると、断られることがある。「おつりがない」が表向きの言い訳だが、100ドル紙幣のニセ札が横行していることが裏の理由だ。紙幣の真贋を判別する機械がなく、自分の目に自信がなければ、店員は断ってニセ札をつかまされるリスクを回避する。「ダウンタウンに行く時は、20ドル紙幣をたくさん用意せよ」というのは、若者にとっても観光客にとっても、半ば常識。もちろんクレジットカードを持っていたら、そんな心配はしなくてもすむ。
しかし広い世界には、上には上がいる。アメリカ以上にニセ札の横行が酷く、国民が紙幣をほとんど信用しなくなった国がある。それは世界最初の紙幣を発行した国で現在GDP世界第2位の経済大国、中国である。

中央銀行の中国人民銀行が発行する人民元(Yuan/CNY)紙幣には毛沢東の肖像が印刷されているが、最高額紙幣は100元で、これは米ドル換算で15ドル程度。そのため、かつては商店でも飲食店でもアメリカの20ドル紙幣並みによく使われていた。ところが21世紀に入るとニセ札の横行がひどくなったため国民から信用されなくなり、ニセ札判別機を置いていない店では100元紙幣での支払いを断られることが多くなった。最も頻繁に使われていた紙幣が信用されなければ、紙幣全体が信用されなくなる。中国人民銀行は2015年に新しい100元紙幣を発行したが、アッと言う間にニセ札がつくられたため、国民の信用が戻ることはなかった。
では、中国の国民が紙幣の代わりに使うようになったものは何か?それは5元や1元の少額紙幣でも、コインでも、クレジットカードでも、電子マネーでもない。「スマホ」と「QRコード」という、21世紀のテクノロジーの進化の産物だった。

中国はQRコード、北欧もキャッシュレス

スマホにはQRコードリーダーが標準装備されており、商店や飲食店でレジに貼られたQRコードをスマホで読み込み、金額を入力して決済ボタンを押し、店員がそれを確認すると、登録した口座残高から引き落とされる。簡単な操作でキャッシュレス支払いができ、店側の導入費用がきわめて安いので、中国では爆発的に普及した。
中国では、アリババの「Alipay」とテンセントの「WeChat Pay」の二大QRコードのどちらかを、人口約14億人の80〜90%が利用しているという推計がある。QRコード普及率はなんと98%で、アメリカの5%、日本の6%とは大違い。寺院のさい銭も、大道芸人への投げ銭も、物乞いへの施しも、みなQRコードが掲げられていて、スマホによるキャッシュレス決済を受け付けている。

北欧諸国でも、ユーロが使われるフィンランド以外は自国通貨からキャッシュレス決済への転換が進んでいる。決済名はスウェーデンでは「Swish」、ノルウェーでは「Vipps」、デンマークでは「MobilePay」で、最も普及しているスウェーデンでは「現金払いお断り(No Cash)」の店がどんどん増え、紙幣を使う人が激減したので「もう必要ない」とATMを撤去する銀行支店が続出した。スウェーデン中央銀行のスキングスレー副総裁は2018年12月、「おそらく3〜5年以内に完全なキャッシュレス社会になるだろう」という見通しを示した。それは17世紀にヨーロッパで最初に発行されたクローナ紙幣の事実上の廃止を意味する。英国でも2012年のロンドン五輪をきっかけにキャッシュレス化が進み女王陛下のポンド紙幣が消えつつある。
インドも電子決済の利用促進を図っている。モディ首相は高額紙幣の通用停止を発表したテレビ会見で「キャッシュレス社会への転換を実現しよう」と国民に呼びかけた。

紙幣は、博物館の中でしか見られなくなる?

21世紀、紙幣は使われなくなる方向に向かっている。
ユーロ圏の国々では「現金での支払い制限」が広がっている。ベルギーは1993年のアンチ・マネーロンダリング法で現金による購入上限を1万5000ユーロと定め、上限は2012年に5000ユーロ、2014年に3000ユーロへ引き下げられ、不動産の現金による購入は全面的に禁止された。フランスも2010年に現金による購入上限を3000ユーロと定め、2015年に1000ユーロに引き下げた。イタリアは2012年、現金による取引は「1000ユーロ未満」とし、家賃の現金支払いを禁止したが、2016年に「3000ユーロ未満」に緩和された。スペインも2012年に現金による購入上限を2500ユーロに定め、違反者に取引金額の25%相当の罰金を課した。ポルトガル、スロバキア、ギリシャ、ブルガリア、ロシアでも現金購入の上限額を設けている。
日本は、紙幣の偽造対策、紙幣の真贋判定技術が高度なおかげで最高額紙幣(1万円紙幣)のニセ札がほとんど出回っていない。現金購入の上限規制もなく世界でも数少ない「現金大国」だが、2019年10月に実施された消費税率の8%から10%への引き上げの際、クレジットカードや電子マネーなどキャッシュレス決済に金銭的なインセンティブ(優遇策)を与えることを政府がアナウンスした。日本もまた、紙幣を使わないキャッシュレス化の方向へ向かっている。
コイン(硬貨)は自動販売機やチップで使うために残るとしても、紙幣については、それが何年後のことになるかは分からないが、いつかは博物館でしかお目にかかれないものになるかもしれない。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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