パガニーニ:悪魔に魂を売ったヴァイオリニスト

(Public Domain /‘Niccolo Paganini’. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

さて、今回はパガニーニという作曲家をご紹介します。パガニーニは「悪魔に魂を売った男」と形容されるほどの超絶技巧を誇るヴァイオリニストでした。彼については2013年に「パガニーニ愛と狂気のヴァイオリニスト」という映画が公開されたのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

そんなパガニーニは巧みな演奏技術で聴衆を熱狂させ、熱烈なファンが数多くいたようです。彼がどのような人生を送ってきたのか、そして、彼の残した名曲についてたっぷりとご紹介していきます。ぜひ最後までお読みください。

<パガニーニの生涯>

~パガニーニの経歴~

パガニーニは1782年、イタリアのジェノヴァで生まれました。パガニーニの父は商売人であり、また音楽好きであったようです。パガニーニは幼いころから父親にマンドリンの演奏を習っていました。

そして、パガニーニは5歳の頃からヴァイオリンの練習を始め、地元の様々なヴァイオリニストに師事します。パガニーニはあまりに速いスピードで技術を上達させていったため、13歳の頃には当時のヴァイオリン教育が追い付かなくなり、学ぶものがなくなってしまったそうです。そんな彼を代表する次のようなエピソードがあります。
パガニーニは13歳の時、パルマまでアレッサンドロ・ローラという音楽教師にヴァイオリンを習いに行きました。しかしながらローラはパガニーニ少年の演奏を聞いてすぐさま自分には教えるべきことがないと悟り、自らの知人であるパエルに師事するように勧めます。
そうして今度はパエルのところにヴァイオリンを習いに行こうとしたパガニーニでしたが、パエルの前でヴァイオリンを演奏して見せると、パエルもまた自分には教えることはないと悟ります。そして、パエルは自らの友人であるガレッティにパガニーニの将来を託すことにするのです。
さて、新しい教師ガレッティのもとで心機一転ヴァイオリンを習うことにしたパガニーニですが、今度はパガニーニ自身がレッスンの質が自分の才能に追いついていないと判断し、自らレッスンを受けるのをやめてしまったようです。そして、その後は完全に独学で自らのスキルを磨いていくことになります。

(Public Domain /‘Portait of young Niccolò Paganini’. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

パガニーニはその後、自らオリジナルの練習曲を作曲してはそれを練習するということを繰り返していたようです。このような練習曲というのは当時には存在しなかった演奏技術もふんだんに盛り込まれていました。そういった意味ではパガニーニはヴァイオリンの新たな可能性を追求する孤高の存在でした。
そして、自ら作曲した練習曲で独自の技術を磨いたパガニーニはその後、数々のコンサートに出演するようになります。そしてほどなくして彼は当時のクラシック音楽界を席巻する一大スターとなるのです。

彼の演奏はあまりに超絶的なものであったために、「パガニーニの演奏技術は悪魔に魂を売り渡した代償として手に入れたものである」という噂も流れ、当時の民衆は本気で信じていたようです。
当時の民衆はパガニーニが人間を超越した存在、もしくは悪魔であると信じて疑わなかったため、彼の足が本当に地面に着いているのかを確認するものもいました。また、演奏会前に十字を切る人もいたようです。

(Public Domain /‘Portraitof Paganinis’by Eugène Delacroix. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

ちなみに当時の民衆がパガニーニを悪魔だと信じて疑わなかった理由には、彼の巧みな演奏技術だけでなく、その容姿も関係していたようです。パガニーニは普通では考えられないくらい細身で高身長で手足が長かったのです。ちなみにパガニーニがこのような姿をしていたのは「マルファン症候群」という病気が関係していました。

~マルファン症候群~

この「マルファン症候群」は体内の結合組織の異常が原因となる病気で、高身長でなおかつやせ型で、しかも両手の長さが身長よりも長くなるという症状が見られます。また、指の関節が細くしなやかになるというのも特徴です。パガニーニの手はピアノの鍵盤の2オクターヴ分広がったとも言われています。
一見このような特徴というのはヴァイオリンを演奏するためには有利であるように思われるかもしれません。しかしながら、たとえヴァイオリンを演奏するのに有利であるとしても、この病気は大変恐ろしい病気です。
また、成長してからも身体の至る所に異常が見つかることの多い病気です。例えばマルファン症候群の患者は肺に穴が空きやすく、また激しい運動をすると大動脈瘤破裂が起こることもあります。そのほかにも心臓の弁の異常など、この病気により体の様々な部位に異変が起こる可能性があるのです。パガニーニが幼少期から病弱であったというのもこのマルファン症候群が関係していたと考えられています。

~パガニーニ・フィーバー~

さて、パガニーニはその超人的なスキルを発揮してツアーを行い、病弱な体に鞭打ちつつ、パリ、イタリア、ロンドン、ウィーンといったヨーロッパの諸都市を演奏してまわりました。そしてパガニーニはヴァイオリンの演奏で莫大な収益を上げていたようです。
その一方でパガニーニのコンサートのチケットは、彼の名声が高まるにつれて高額になっていき、一部の新聞や雑誌からは「守銭奴」と揶揄されることもありました。また偽造チケットも多く出回ったために、パガニーニ自身がチケットをチェックする事態にもなっていたと言います。
一方、そんな彼には今でいう「追っかけ」のようなファンもいたようです。そのため、パガニーニは多くの女性と関係を持っていたということでも知られています。

また、莫大な財力を持っていたために、賭博にも夢中になっていたようです。お金だけでなく、時にはヴァイオリンを賭けることもあったため、演奏会前に賭けをして自らの商売道具であるヴァイオリンを巻き上げられたという珍事件も残っています。

~「G線上のアリア」事件~

ちなみにパガニーニはコンサートにおいて、聴衆の目を引くようなパフォーマンスが大好きだったようです。そして、それを象徴するようなエピソードが「G線上のアリア」事件です。
パガニーニはあるコンサートで「G線上のアリア」という曲を演奏していたのですが、引いている最中に高音弦から順番に切れていき、最後にはG線というヴァイオリンの最も低い音が出る弦だけになってしまいました。それでも平気な顔で弾き続け、残ったG線だけで見事に最後まで演奏して見せたのです。
パガニーニは超絶技巧の持ち主であるだけでなく、こういったパフォーマンスによって聴衆の心を鷲掴みにする天才でもあったのです。

~作曲家としてのパガニーニ~

(パガニーニが使用していたとされるヴァイオリン)

さて、稀代のヴァイオリニストとして名を馳せたパガニーニですが、実は作曲家としても活躍しています。当時はまだ確立されていなかった演奏技術を編み出すなど、彼はヴァイオリンの新たな可能性を模索する存在でもあったのです。
その一方でパガニーニ自身は自らの名を損なうことを恐れ、自分の技術が他人に流出するのを極度に恐れていたようです。そのため自らが作曲した楽譜は一切公にされることはありませんでした。すべての楽譜を自分で管理していたのです。
そうした徹底した態度を取っていたパガニーニは例えば自らソリストを務めるヴァイオリン協奏曲に際しても、伴奏を務めるオーケストラには演奏会の数日前に楽譜を渡すようにしていたようです。また、本番が終わるとその楽譜もすべて回収していったようです。
これには当時、著作権などの権利が制度化されていなかったために、盗作が横行しており、パガニーニが自らの作品を奪われることを極度に恐れていたということも関係していたのでしょう。
また、パガニーニの死後に残っていた楽譜も遺族が売却してしまったために、現在では確認できる楽譜はわずかとなっています。また、現存している楽譜も当時パガニーニの演奏を聞いた作曲家らが自らの記憶を頼りに書き起こしたものがほとんどであると言われています。

~パガニーニの最後~

(Public Domain /‘Death of Paganini’byEdward Okuń. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

パガニーニは1820年、つまり30代後半になると、咳などの体調不良を訴えることが多くなり、自ら「毒素を取り除くため」として下剤を飲み始めます。また、1823年になると今度は梅毒であると診断され、水銀療法やアヘン投与といった治療を受けることとなります。
さらに1828年には結核と診断され、塩化水銀や下剤を飲み続けました。このような不適切な治療がたたり、パガニーニはヴァイオリンを弾くことができなくなり1833年、ついに引退を表明します。そして1840年には水銀中毒によって亡くなってしまいます。

<パガニーニの残した名曲>

「ヴァイオリン協奏曲第2番」

パガニーニが残したヴァイオリン協奏曲の中でも特に代表的なものです。パガニーニらしい、超絶技巧を駆使したソロパートが見どころです。また、この曲のメロディーは、あのフランツリストも自らの曲に用いており、彼は「ラ・カンパネラ」という大変有名なピアノ曲を残しました。

「24の奇想曲」

これは全24曲からなるヴァイオリンの小品集です。「いかにもパガニーニ」といった超絶技巧オンパレードな曲集です。特に第24番は彼のヴァイオリン曲の中でも屈指の名曲と言っても過言ではありません。
第24番のメロディーは後世の作曲家にも大きな影響を与え、特にブラームスやリストは自らこの曲を編曲したピアノ作品を残しています。また、あのラフマニノフが作曲した「パガニーニの主題による狂詩曲」という作品にもこの曲のメロディーが登場します。パガニーニが作曲家としても偉大な存在であったということがわかるのではないでしょうか。

<終わりに>

さて、今回はパガニーニについてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。パガニーニは史上最高のヴァイオリニストと言われていますが、もう現代には彼の演奏を聴いたことのある人は残っていません。また先述の通り、彼の残した楽曲も現在ではほとんどが行方不明となってしまっています。
現代にはもしかしたら彼よりも上手いヴァイオリン奏者はいるかもしれません。しかし彼のように数世紀に渡ってその名を知らしめる存在は、今の所見つかっていないのです。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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