イヴ・タンギー:幻想の風景

イヴ・タンギーはフランス出身の画家で、シュルレアリストのひとりです。抽象的な生物のイメージを描いたことで知られており、その幻想的な世界観はのちの画家たちに大きな影響を与えました。

イヴ・タンギーとは

イヴ・タンギーは1900年、フランス・パリのコンコルド広場にあるホテル「ドゥ・ラ・マリン」で生まれました。両親はブルトン人のルーツを持っており、父親は軍事監督官として務めていました。しかし、父親は1908年に亡くなっており、その後タンギーは親戚の家を母と共に転々としながら青年期を過ごします。

1918年になるとタンギーは商船の海軍に入隊し、そこでジャック・プレヴェールと知り合うことになります。プレヴェールはフランスを代表する映画作家、詩人で、さまざまな芸術的才能を有する人物でした。タンギーとプレヴェールは、生涯にわたって友人であり続けました。

1922年に兵役を終えるとタンギーはパリに戻り、さまざまな職を転々としますが、そんな折ギャラリーで偶然見かけたジョルジュ・デ・キリコの作品に衝撃と感銘を受け、画家になることを決意します。

1924年ごろになると親友のプレヴェールを通じてアンドレ・ブルトンをはじめとしたシュルレアリストたちのグループに混ざるようになり、1927年にはパリで初の個展を開催します。ブルトンはタンギーの絵をひどく気に入り、一年で12作品を仕上げるよう契約しました。しかし、結婚生活の慌ただしさや抱えていた借金の返済に時間を奪われたこともあり、結局タンギーは8作品を完成させたのみとなってしまいました。彼はさまざまな問題に葛藤し、アルコールに溺れる日々が続きます。

(Public Domain /‘Kay Sage’. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1939年に彼はパリでアメリカ生まれの画家ケイ・セージと運命的な出会いを果たします。セージは1898年に裕福な家庭に生まれた女性です。美術学校に進学するためにイタリアのラッパロに移住していたものの、より前衛的な表現を追い求めシュルレアリスムの運動に参加した人物でした。2人が出会って間もなくの頃、第二次世界大戦が勃発します。セージはすぐにアメリカに帰国し、タンギーを含むフランスの芸術家仲間たちをアメリカに亡命させる準備を進めました。亡命後の1940年に二人は結ばれました。タンギーにとって二度目の結婚でした。

アメリカに移住すると、タンギーの絵はニューヨークで前衛的な作品としてパリ時代とは比べ物にならないほどの評価を受けました。著名な批評家が次々にタンギーの絵を評価し、シュルレアリスムの寵児としてアメリカのアートシーンに受け入れられていきました。タンギーがパリで受け入れられなかったのは、正規の美術教育を受けておらず、庶民的・不良的であったタンギーの人となりが貴族的なパリの芸術界では許容できなかったためではないかといわれています。ニューヨークではそうしたタンギーの性質がかえって長所となり、広く彼の芸術観が受け入れられることになったのです。

その後、第二次世界大戦が終戦を迎えるとともにコネチカット州のウッドベリーに家を構え、そこをアトリエとして数々の作品を生み出していきました。そして1955年に脳卒中で倒れ亡くなります。遺灰は遺言に記された通り、友人のピエール・マティスによって妻セージの遺灰と共に故郷のドゥアルヌネ海岸にまかれました。

タンギー作品の特長

タンギーの作品には昼とも夜とも、そこがどこなのかもわからない空間で骨片や小石のような物体がひしめき合っているというイメージが描かれています。作品のタイトルも作品とはまるで関係ないものが多く、鑑賞者はどのように作品を読み解けばよいのかわからなくなってしまいます。

タンギーの作品はシュルレアリストたちの作品の中でも独特の世界観を表現したものですが、画家を志したきっかけがジョルジュ・デ・キリコであったこともあり、キリコの作品にインスピレーションを受けていると考えられます。

タンギーの作品

そんな不思議な世界観を表現したイヴ・タンギーですが、どのような作品を描いたのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

《サテンの音叉》1940年

この作品は、彼が最初の結婚をした1940年に描かれたもので、メトロポリタン美術館に所蔵されています。幻想的な岩と砂丘のイメージが印象に残る作品で、中央の不思議な形をしている物体には、モチーフになったレリーフと絵画があると言われています。

1927年までにタンギーは自分のスタイルを確立し、以降、夢のような雰囲気の作品を制作し続けました。この作品の空はどんよりとした雲で満たされ、平野には地平線が見当たりません。石と岩らしき物体のインスピレーションは、母の故郷であるブルターニュ地方のロクロナン近郊で彼が実際に見たものから来ているようです。

《古びた地平線》1928年

《古びた地平線》は1928年に制作された作品で、現在はオーストラリア国立美術館に所蔵されています。このころタンギーはプレヴェールの紹介でアンドレ・ブルトン率いるシュルレアリストたちと出会い、初の個展を開催したころでした。

タンギーの作品のほとんどは、ビーチの風景や海底の風景を強く示唆していると指摘されています。シュルレアリスムの代表者で、この作品の最初の所有者であったアンドレ・ブルトンは、タンギーの絵画を説明するために「ネプチューン」というメタファーを考案しました。

《静寂と果てしない不安》1934年

《静寂と果てしない不安》は1934年に制作された作品で、現在はストックホルム近代美術館に所蔵されています。

タンギーの時代に運動が広まったシュルレアリスムは、単なるスタイルではなく、芸術に対する一つのアプローチでした。それは表面的なものではなく、あくまで内的な新しい見方だったのです。こういった考えに則し、イヴ・タンギーは夢の秘密のイメージをこの作品で表現しました。

おわりに

イヴ・タンギーは正規の美術教育こそ受けていないものの、ジョルジュ・デ・キリコに影響を受け、数々の作品を残したシュルレアリストを代表する芸術家です。その作品の世界観は昼夜の判別がつかない空間に、骨や小石のような抽象的な生物のイメージが描かれた独特のものとなっており、アンドレ・ブルトンに絶賛され、のちのシュルレアリスムの画家たちに大きな影響を与えました。タンギーは数多くの作品を残していますが、その世界観はいまもなお人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧