カジミール・マレーヴィチ:シュプレマティスムの代表者

(Public Domain /‘Black Square’by Kazimir Malevich. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

カジミール・マレーヴィチはロシア帝国時代のウクライナ、キエフ近郊の村に生まれた画家です。戦前に抽象絵画を手掛けた最初の人物として知られており、特に《黒の正方形》は抽象芸術の一つの到達点として評価されています。そんなマレーヴィチの人生とは、どのようなものだったのでしょうか。

カジミール・マレーヴィチとは

(Public Domain /‘Casimir Malevich’. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

カジミール・マレーヴィチ、本名カジミール・セヴェリーノヴィチ・マレーヴィチは1879年ロシア帝国領のウクライナ、キエフ近郊の村に生まれました。しかし両親はポーランド人だったため、通常の会話はウクライナ語で、家族の間ではポーランド語で、芸術家として広く活動するようになるとロシア語で、とさまざまな言語を使い分けなくてはならない生活を送りました。

1904年に父親が亡くなるとモスクワに移り、モスクワ絵画・彫刻・建築学校に入学します。のちにこの学校はロシア・アヴァンギャルドと呼ばれる前衛芸術運動や絶対主義、ロシア構成主義といった新しい芸術運動を生み出す場となり、革新的な美術教育機関となりました。

(Public Domain /‘Winter landscape’by Kazimir Malevich. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

そうした前衛的な環境に身を置いていたマレーヴィチは、ロシアの前衛芸術家たちをはじめ、キュビスムや未来派などさまざまな芸術運動を学んでいきました。1910年ごろにはプリミティブな色彩が特徴的な「立体=未来派(クボ・フトゥリズム)」と呼ばれる傾向の作品を制作していました。

(Public Domain /‘The Knife Grinder’by Kazimir Malevich. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

立体=未来派とは、イタリアの未来派とフランスのキュビスムに見られる芸術的要素の融合によって定義された、20世紀初頭のロシアで発生した芸術運動でした。絵画作品にとどまらず、彫刻や詩、劇場にも運動の波は広がっていきます。レイヨニスム、シュプレマティスム、ロシア構成主義などの芸術スタイルの発展において欠かせないものでした。

立体=未来派の作品を手掛けていたマレーヴィチですが、その後1910年代半ばになると作風は一転し「シュプレマティスム」の作品を制作するようになります。シュプレマティスムは「絶対主義」とも訳され、抽象性を徹底した抽象絵画の一つの到達点とも言われています。マレーヴィチは《黒の正方形》や《黒の円》といった代表作をこのころ制作しており、1920年代まで続いたシュプレマティスムは同時期に盛んになったロシア構成主義、また近代デザインを導くことになるバウハウスにも大きな影響を与えることになりました。

(Public Domain /‘Suprematism’by Kazimir Malevich. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1920年代になると「シュプレマティスム・アーキテクト」と呼ばれる造形物を設計し、また人物画や具象的な表現も行っていたマレーヴィチでしたが、スターリン政権下になると前衛芸術が否定されるようになり、芸術家たちは弾圧されるようになります。そうした時代の流れから、マレーヴィチは具象絵画を描くようになり、1935年5月15日に77歳の生涯を閉じました。

(Public Domain /‘Girl with a Comb in her Hair’by Kazimir Malevich. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

マレーヴィチの作品

マレーヴィチの作品は立体未来派の色彩豊かな表現からシュプレマティスムのあまりにシンプルな表現へと劇的に変化を遂げました。その後政治的な弾圧もあって具象画に戻ってしまうものの、その後の抽象主義やロシア構成主義などにも大きな影響を及ぼしました。そんなマレーヴィチの作品は、どういったものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

《黒の正方形》1915年

(Public Domain /‘Black Square’by Kazimir Malevich. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

《黒の正方形》は1915年ペトログラードで開かれた「0.10」展で発表された作品です。マレーヴィチの標榜したシュプレマティズムを体現した「無対象」絵画の代表作となっています。

この作品は、マレーヴィチが舞台の衣装とセットのデザインを友人から依頼されたことをきっかけとして、制作が始まりました。彼の作品が非客観的に平面を強調して構成され、シュプレマティズムへと向かっていく中で描かれたものです。「上」や「下」、「右」や「左」といった概念が捨て去られ、独立した宇宙のような雰囲気をまとう作品です。

《自画像》1933年

(Public Domain /‘Self-portrait.’by Kazimir Malevich. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

《黒の正方形》をはじめとしたシュプレマティスムの作品を制作していたマレーヴィチですが、スターリン政権下になったことによって前衛芸術の弾圧にあい、具象画に戻ることとなってしまいます。そんななか最後に描いたのが《自画像》であるといわれています。赤い帽子に黒や緑の伝統的な画家の服装をしたマレーヴィチ。この古典的表現からはマレーヴィチはすでにシュプレマティスムを捨て去ってしまったかのように見えます。

しかし右下の通常サインが書かれる部分に目を向けてみると、「黒の四角」が描かれていることに気が付きます。これはまさしく《黒の正方形》を示したものであり、最期を悟った画家が芸術家としての最期の想いを示そうと最後に付け加えたのでしょう。伝統的な衣装に身を包みながらも、強いまなざしを向けるマレーヴィチの表情からは政治的な弾圧には屈しない、強い精神が感じられます。

おわりに

(Public Domain /‘White on White’by Kazimir Malevich. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

マレーヴィチはピカソのキュビスムや未来派などの強い影響を受け、立体未来派の作品を制作するものの、オペラ「太陽の征服」をきっかけとしてシュプレマティスムの作品を制作するようになり、《黒の正方形》という傑作を描き上げます。

その極限まで表現をそぎ落とした作品は、見るものに同じ芸術的な印象を与えるとしてシュプレマティスムの傑作とされており、当時ロシア正教の人々がイコンを飾る位置に展示されたことからも、重要な作品と位置づけられてきました。

スターリン政権下では芸術家の弾圧が行われたこともあって、マレーヴィチは具象画に戻らざるを得ず、シュプレマティスムの作品制作は絶えてしまいます。しかし1933年に描かれた《自画像》を見ると、右下には《黒の正方形》を彷彿とさせる黒の正方形が描かれており、芸術家としての精神をなくしたわけではないという強い意志が伺えます。

その後マレーヴィチは1935年に亡くなっていますが、その革新的な芸術表現はのちのロシア構成主義やバウハウス、そして抽象表現主義の画家たちに受け継がれ、今に至っているのです。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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