アルベルト・ジャコメッティ:20世紀モダニズム彫刻の巨匠

アルベルト・ジャコメッティは1901年スイスに生まれた彫刻家で、戦前はシュルレアリスムの彫刻を制作していましたが、大戦後は針金のように細く長く引き伸ばされた人物彫刻を制作しました。20世紀モダニズム彫刻の代表者とされており、のちの芸術家たちに大きな影響を与えています。そんなジャコメッティの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■アルベルト・ジャコメッティとは


アルベルト・ジャコメッティは1901年、スイスのイタリア国境に近いボルゴノーヴォに生まれました。一家はイタリア系で、父のジョヴァンニ・ジャコメッティはスイスの印象派の画家であり、ジャコメッティも幼少から芸術に関心を持っていました。

(Public Domain /‘Self-portrait’ by Giovanni Giacometti. Image via WIKIMEDIA COMMONS)
(Public Domain /‘Portrait of his son Alberto Giacometti’ by Giovanni Giacometti. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

高等学校を卒業すると1919年にジュネーヴ美術学校に入学しますが、絵画に向いていないと悟ったジャコメッティはジュネーヴ工芸学校のモーリス・サルキソフのもとで彫刻を学ぶようになります。1920年にはヴェネツィアに、1921年にはローマに滞在し、1922年にはパリに移住します。パリ滞在時にはロダンの弟子であるアントワーヌ・ブールデルのもとで彫刻を学びます。
当時のパリはピカソやエルンスト、ミロといった前衛芸術が盛んであり、ジャコメッティも次第にキュビスムやシュルレアリスムの手法を彫刻に取り入れていくようになりました。ジャコメッティの最初の個展はスイスのGalerie Aktuaryusで開かれており、実験的な彫刻を繰り返していました。

その後1935年からはシュルレアリスムを離れ、人間の頭部の彫刻制作に没頭していきます。この制作活動は1936年から1940年の間続きましたが、余計な部分がどんどん削られていき、最後には破壊してしまう作品も少なくありませんでした。第二次世界大戦中の1942年にはいったんジュネーヴに戻り、1946年には再びパリに移住します。
大戦後の1950年代になると、ジャコメッティは再び人物像を作り始めます。この時の人物像は肉付けも凹凸もなく、彫刻としては限りなく表現をそぎ落としたものでした。サルトルはこのジャコメッティの人物像を「現代における人間の実存」を表現したものとして高く評価しました。また古代イタリアのエトルリア文明における人物彫刻からインスピレーションを得たのではないか、という説も指摘されています。

(Public Domain /‘Jean-Paul Sartre in Venice’. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

1958年になると、ジャコメッティはニューヨークに建設中のチェース・マンハッタン銀行の記念碑彫刻の制作を依頼されます。ジャコメッティは昔から公共空間での彫刻制作に興味を持っていましたが、結局ニューヨークに足を踏み入れることはなく、摩天楼の超高層ビルを目にすることもありませんでした。1960年には作品が決定するものの、彫刻と設置場所の関係で折り合いが合わず、結局このプロジェクトは破綻しています。
その後1962年にはヴェネツィア・ビエンナーレの彫刻部門でグランプリを受賞。それをきっかけとして世界中に名が知れ渡るようになります。制作の依頼は増加しましたが、ジャコメッティは実験的な取り組みを辞めることはなく、彫刻を再加工しては破壊し、自らの表現を追求し続けていました。そしてスイスのチューリッヒで心臓疾患に罹り、1966年、慢性閉塞肺疾患で亡くなっています。

■ジャコメッティの作品


細長い人物彫刻で有名なジャコメッティ。その制作スタイルは作っては壊す、という愚直なものでした。しかしいくつかの作品を見てみると、細長い人物彫刻にいたるまでのプロセスを知ることができます。

・《立ち姿の裸婦》 1961年

本作品は1961年に制作された油彩画で、画家の妻であるアネット・アームが描かれたものです。アームは女性モデルとして、ジャコメッティの作品によく描かれました。ほぼ均一な灰色のみで描かれており、絵画作品でありながら、50年代に作られた彼の彫刻作品と同じような雰囲気を纏っています。
モデルの表情は失われ、人間らしい表現をもつポーズは取られておらず、直立不動の無機質な印象を受ける作品です。まるで、りんごや花瓶などの静物画を描いたもののようにも見えるでしょう。一方、床のラインには遠近法が使われており、立体的な構造になっています。

・《指さす男》 1947年

本作品は1947年に制作された作品で、近代彫刻においてもっとも重要な作品の一つとされています。ニューヨークでの最初の個展のために急いで制作された作品で、ジャコメッティはのちに「私はその作品をある日の真夜中から翌日の朝9時まで取り組みました。つまり、私はもうやり切ったのですが、鋳物工場の人たちが作品を取りに来ていたので、解体してもう一度やり直しました。そして彼らが来た時には、まだ漆喰が濡れていました。」
この作品は、オークションでの彫刻の記録である、1億4130万ドルで販売されました。この作品は、シェルドン・ソローの個人コレクションに45年間保管されていました。オークションハウスであるクリスティーズは、この作品を「珍しい傑作」、「ジャコメッティの最も象徴的で刺激的な彫刻」と呼び、「約1億3000万ドル」で売れると見積もっていました。

・《自画像》 1917年

ジャコメッティはキャリアを通して、自画像描くことを決してやめませんでした。この青年の自画像は、1888年から1891年の間にパリで点描画理論を研究した、父親のジョバンニが扱っていた新印象派の技法を思い起こさせます。
こちらをじっと見つめる人物の眼差しは、鑑賞者を捉えて離しません。段ボールの上に油彩で描かれたこの絵は、ジャコメッティの若い頃の絵画の中で最も野心的なものの1つとされています。

・《歩く男Ⅱ》 1960年

第二次世界大戦後、ジャコメッティは彼の初期のキュビズムとシュールレスムの作風から離れ、どんなに近くに立っていても、常に遠くから見ているように見える彫刻を作成することに特に興味を持ちました。彼は、彫刻を本質的なものに極限まで絞り込み、可能な限りスリムにすることによってこれを達成しました。
やせ衰えたホロコースト後の彫刻は、侵食されて崩れかけたような表面で仕上げられ、伝統的なヨーロッパの彫刻に表現されてきた英雄や貴族のアンチテーゼを示唆しています。

■おわりに


アルベルト・ジャコメッティはスイスに生まれ、当初はキュビスムやシュルレアリスムに影響を受けた作品を制作していたもの、徐々に表現をどんどんそぎ落とした彫刻を制作するようになり、哲学者サルトルからは「現代における人間の実存」を表現したものとして高く評価されるなど、彫刻家として新しい表現を創り出していきました。
代表作である《歩く男》シリーズは細長いフォルムからは人間のはかなさを感じさせるものの、どこか人間の生命力や力強さを感じさせるものであり、ジャコメッティ作品の集大成として高く評価され続けています。作っては、壊すという彫刻家として愚直な制作活動を続けるうちに生み出されたジャコメッティの作品を前にすると、どこか人間としての在り方を問われているように感じます。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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