ポール・デルヴォー:夢とノスタルジーの世界

ポール・デルヴォーは16世紀のマニエリスムの画家たちが描いたような女性像とノスタルジー漂う世界観の作品を制作し、「幻想画家」とも称されています。そんなポール・デルヴォーの生涯とその作品はどのようなものだったのでしょうか。

■ポール・デルヴォーとは

ポール・デルヴォーは1897年ベルギーのリエージュ州、アンテイトに生まれました。父ジャンはブリュッセルの弁護士で、母親のロール・ジャモットは穀物商の娘という裕福な家庭でした。特に母親はデルヴォーを溺愛し、外部の危険や悪い人間から守ろうとするその態度は、彼の思春期に大きな影響を及ぼしました。両親から受けた抑圧はのちにデルヴォーのコンプレックスとなり、芸術家としてのひとつのインスピレーションになることとなります。
幼少期のデルヴォーは音楽を好み、ギリシア語やラテン語を学んで、文学に親しみを感じていました。特にホロメスの詩やジューヌ・ヴェルヌの小説はのちに描かれる作品の世界観に大きな影響を与えました。またホメロスの叙事詩を題材にした戦いの場面や、神殿などのデッサンも残っています。
その後ブリュッセル王立美術アカデミーに入学。美術を学ぶことを望んでいたものの両親の反対にあい、建築科に進学することになります。しかし絵を学びたいというデルヴォーの望みは強く、コンスタン・モンタルドや象徴派として有名なジャン・デルヴィルの教室に通い、画家としての歩みを進めていきました。

1929年になるとデルヴォーは運命の女性、アンヌ=マリーに出会います。彼女はアントウェルペン出身で、愛称を「タム」といいました。ふたりは強く惹かれ合ったものの、デルヴォーの両親から交際に強い反対を受けてしまい、結局別離の道をたどることになってしまいます。
デルヴォーはその悲しみとタムの不在を埋めるかのように、1930年から32年にかけておびただしいほどの作品を描きました。そのすべてがタムを描いたものであり、この時代の作品は「タムの王国」とも呼ばれています。
こうした両親からの抑圧に強いプレッシャーを感じていたデルヴォーですが、1933年には母を、1937年には父を亡くしてしまいます。「死」はデルヴォーにとって大きなテーマの一つとなり、その後多数の横たわった人物や骸骨を描くようになります。

1934年になるとブリュッセルで開かれた「ミノトール展」に参加し、シュルレアリスム絵画から影響を受けるようになります。ついで1938年にパリやアムステルダムで開かれた「シュルレアリスム国際展」に参加するようになり、このころからデルヴォーはシュルレアリスムの画家として有名になっていきました。
1947年になると煙草を買いに行った商店で偶然タムと再会。18年の月日がたっていましたが、二人の愛は強く、共に暮らすようになります。タムとの生活はデルヴォーの作品に大きな影響を及ぼし、作品に漂っていた虚無感や性的なイメージは消え、明るさが増すようになってきます。
1950年代になるとデルヴォーは裸婦をほとんど描かなくなり、代わりに骸骨を主なイメージとして描くようになっていきました。骸骨を描くことで、デルヴォーは過去の自分や両親からの抑圧から決別しようとしていたと考えられています。また背景も古典建築から駅舎が描かれるようになっていきます。
晩年になるとデルヴォーはシュルレアリスム的というよりも神秘的な雰囲気が漂う作品を描くようになっていきました。それまで描いていた裸婦や骸骨といったイメージが再登場するようになり、また輝くような光が描かれるようになったのもこのころです。
1959年にはブリュッセルのコングレスパレスで壁画制作に携わり、1965年にはブリュッセル王立美術アカデミーの校長に就任するなど、新しいスタイルの制作や後進の指導にもあたっていましたが、1994年に死去。現在もベルギーを代表する画家として強い人気を集めています。

■デルヴォーの作品

両親からの抑圧をインスピレーションとして夢のような、幻想的な作品を制作したポール・デルヴォー。そんなポール・デルヴォーの作品はどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《森の目覚め》 1939年

《森の目覚め》は1939年に制作された油彩作品です。幼少期の記憶とファンタジーに満ちた自分の内なる世界を形にするための視覚言語として、デルヴォーがシュルレアリスムで表現していた頃に制作されました。
ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』(1864年)の中の、リーデンブロック教授と甥のアクセルが地球の奥深くにある先史時代の森を発見するというエピソードが描かれています。この作品では、左端でリーデンブロック教授が化石のようなものについてよく観察しており、その後ろでアクセルがそっと立っている様子が描かれています。
満月の下、森の奥で同じ方向を向いて歩いている人間たちは、どこか機械人形のようにも見えます。手前には、人間と植物の要素を組み合わせた人物が何人いますが、その曖昧な姿は、まだ動植物が分化していない原始的な状態を体現しているかのようです。

・《眠れるヴィーナス》 1944年

《眠れるヴィーナス》は1944年に制作された油彩作品です。古典的に完成されていながら、妖艶で混沌とした様子が組み合わさっている作品です。この作品の官能性は、その抑圧的な夜の雰囲気から醸し出されています。
デルヴォーは後に、ドイツのベルギー占領中、街が爆撃に遭っている間にブリュッセルでこの作品を制作したと言っています。デルヴォーは公式なシュルレアリストではなく、運動には参加していませんでしたが、ルネ・マグリットらのベルギーのシュルレアリストと交流を持っていました。

■おわりに

ポール・デルヴォーはベルギーのリエージュに生まれ、裕福な家庭に育ったものの、両親からの抑圧を感じながら幼少時代を過ごしました。特に母親はデルヴォーを溺愛するあまり危険なものや女性から遠ざけようとして、それが逆にデルヴォーにとって抑圧となってしまいます。
こうした環境はデルヴォーが制作するうえでインスピレーションとなり、裸体の女性や骸骨といったモチーフを好んで描くようになりました。18年ぶりに恋人タムと再会したことにより、画風は明るいものに変わっていきますが、そうしたモチーフは描き続けており、彼にとって「描く」ということがトラウマを乗り越える一つの手段だったのかもしれません。また過去や母を象徴する汽車が年を経ることに徐々に小さくなっていくことも、そうしたデルヴォーの心理を表しているものといえるでしょう。

デルヴォーの作品は一見して怪しげな森や裸体の女性、骸骨といった不可思議なイメージばかりで、どこか恐ろしく感じる方も多いかもしれません。でもそこには、デルヴォーが両親との関係やタムへ恋心を表現しようとした、切なる思いが表現されているのです。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧