サルバドール・ダリ:偏執狂的批判的方法と予言

サルバドール・ダリは1904年スペインのフィゲラスに生まれたシュルレアリストで、その独特の世界観と数々の奇行や逸話で世界的に話題になりました。そんなダリの世界観はどのように形作られていったのでしょうか。

■サルバドール・ダリとは

サルバドール・ダリは1904年スペインのカタルーニャ地方、フィゲラスに生まれました。父親は裕福な公証人サルバドール・ダリ・イ・クシで、母親も裕福な商家出身という恵まれた家に育ちました。少年時代から絵画に興味を持っていたダリは1922年になるとマドリードの王立サン・フェルナンド美術学校に入学し、フェデリコ・ガルシーア・ロルカやルイス・ブニュエルなどと知り合い、より芸術への興味を深めていきます。

1925年になるとマドリードのダウマウ画廊で最初の個展を開き、画家になる決意を新たにしたダリは1927年パリに赴き、パブロ・ピカソ、トリスタン・ツァラ、ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトンといったシュルレアリスムの中心メンバーと交流を深めるようになります。
1929年になるとポール・エリュアールが妻と共にダリを訪れますが、その時妻のガラとダリは恋に落ちてしまい、1932年にガラは正式にエリュアールと離婚。1934年にはダリと再婚しています。ガラはダリにとって芸術のミューズ的な存在でした。その一方でガラは若いアーティストを好んでいたため、ダリにとってガラは常に心配の種でした

その後1929年に正式にシュルレアリストのグループに参加し、その独特の世界観を表現した作品を制作していきます。しかし、ダリがファシスト的な思想を持っていたこともあって、1938年にはグループを除名されてしまいます。1939年からはより商業的な作品を制作していくようになりますが、それを見たアンドレ・ブルトンは「ドルの亡者」というあだ名をダリに付けるほどでした。
しかしシュルレアリストの中でもダリの人気は高く、国際シュルレアリスム展には必ず招待されていました。

第二次世界大戦中は戦火を避けてアメリカに移住していましたが、1948年にはスペインに帰国します。その後は制作活動に没頭するも、妻であるガラが1982年に亡くなると「自分の人生の舵を失った」と落胆し、その翌年からは絵を描かなくなりました。
1984年には寝室で起きた火事でひどいやけどを負う惨事に見舞われ、故郷のフィゲラスに移ります。1989年には心不全を起こし、84歳でその生涯を終えました。

■ダリの作品:偏執狂的批判的方法(ダブル・イメージ)と予言

ダリは作品を制作する際に「あるイメージを執拗に眺めていると全く違うものに見えてしまう」という現象を絵画制作に積極的に取り入れ、「あるイメージに別のイメージを重ねあわせて表現する」という「偏執狂的批判的方法」を発明した人物としてシュルレアリスムでは高く評価されています。この表現方法は具体的にどのような表現を指すのでしょうか。実際の作品から読み解いていきましょう。

・《水面に象を映す白鳥》 1937年

《水面に象を映す白鳥》は1937年に制作された油彩作品で、偏執狂的批判的方法で描かれた代表的な作品といわれています。白鳥が湖で優雅に浮かんでいる様子が描かれていますが、よく見ると水面に反射した白鳥の姿が象の形になっています。
湖の左側に、ひっそりと男性が立っています。この男性が誰であるかについては、はっきりとはしていません。しかし、重々しい空気で白鳥や象に背を向け、混沌やフラストレーションと向き合っているようであることから、作者のダリ自身なのではないかと言われています。

・《ナルシスの変貌》 1937年

《ナルシスの変貌》もまた1937年に制作された油彩作品で、偏執狂的批判的方法を用いて描かれた代表的な作品の一つとされています。ギリシャ神話に出てくる人物、ナルキッソスをテーマに描いたものです。
素晴らしい美少年であったナルキッソスは自己愛が強すぎるゆえに、多くの人の心を傷つけました。精霊を侮辱して神に憎まれたナルキッソスは、自分だけしか愛せなくなってしまうという罰を与えられます。水面に反射した自分の姿から目を逸らすことができなくなってしまった彼は、そのまま衰弱死してしまいました。
ダリはこの絵のために、「手描きのカラー写真」と表現した緻密な技法を用いました。プールでひざまずくナルキッソスのイメージを、手前の卵と花を握る手に重ね合わせています。

・《茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)》 1936年

本作品は1936年に制作された油彩作品で、1936年から始まるスペイン内乱の不安を察知してダリが描いた作品です。この作品を描いてから6か月後に実際にスペイン内乱がおきます。ダリは「潜在意識には予言力がある」と気が付き、戦後にはタイトルを「内乱の予感」に変更しました。

・《新人類の誕生を見つめる地政学の子ども》 1940年から1948年

本作品は1940年から1948年に制作された作品で、アメリカ滞在時に制作された作品です。卵を割る男はアメリカから現れており、アフリカと南アメリカは大きく、その一方でヨーロッパは男の手でつぶされています。これは戦後の世界の覇権がアメリカに移り、第三世界はより存在感を増し、ヨーロッパ諸国は衰退の一途をたどるというイメージを描いたものです。

■おわりに

(Public Domain /‘Dali Atomicus’ by Philippe Halsman. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

サルバドール・ダリはシュルレアリストの画家として偏執狂的批判的方法や予言といったさまざまなインスピレーションをもとに作品を制作しました。そのどれもがこれまでにない世界観であり、見るものを驚かせましたが、それはダリのミューズであるガラの存在あっての事でした。
ガラが亡くなって以降ダリが絵筆を握ることはなくなり、1989年には亡くなってしまいますが、これは画家にとってのミューズ、そしてインスピレーションがいかに重要なということを示しているのかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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