シュザンヌ・ヴァラドン:画家として、モデルとして、母として

シュザンヌ・ヴァラドンは1865年フランス、モンマルトルに生まれた画家です。画家として活動する前はロートレックやルノワールなど著名な画家たちのモデルをつとめており、画家モーリス・ユトリロの母としても有名です。そんなヴァラドンの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

シュザンヌ・ヴァラドンとは

シュザンヌ・ヴァラドンは1865年オート=ヴィエンヌ県ベッシーヌ=シュル=ガルタンプで貧しい家政婦の私生児として生まれました。1870年になると母マドレーヌと共にパリに移り住み、さまざまな仕事を転々とすることになります。一時期はあこがれていたサーカス団員になるものの、ブランコから落ちて負傷してしまったため、10代後半からモデルとして活動するようになります。

(Public Domain /‘Dance at Bougival’ by Pierre-Auguste Renoir. Image via WIKIMEDIA COMMONS)
(Public Domain /‘Dance in the City’ by Pierre-Auguste Renoir. Image via WIKIMEDIA COMMONS)
(Public Domain /‘The Hangover’ by Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa. Image via WIKIMEDIA COMMONS)
(Public Domain /‘Sacred Grove’ by Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ヴァラドンはさまざまな名作のモデルになったことで知られており、オーギュスト・ルノワールの《ブージヴァルのダンス》や《都会のダンス》、ロートレックの《二日酔い》や《聖なる森》などはヴァラドンがモデルとなって描かれたものでした。こうした偉大な画家たちに接するにつれ、ヴァラドンも画家になることに憧れるようになっていきました。

(Public Domain /‘Edgar Degas self-portrait’ by Edgar Degas. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

そんな中私生活では18歳の時に息子モーリスを出産。父親は酒飲みのボワシーという人物という説がありますが、不明のままです。ヴァラドンはロートレックやドガなどの励ましもあって、画家として精力的に活動するようになっていきました。特にエドガー・ドガはヴァラドンのデッサンを多数購入し、油彩や版画を教え、フランス国民美術協会にデッサンを提出するように薦めるなど、ヴァラドンの芸術家としてのキャリアを導いた人物ともいえます。

その後1893年にはエリック・サティと交際したものの、半年で破局。1896年には資産家のポール・ムージスと結婚し、1909年には息子より3歳年下の画家志望の青年アンドレ・ユッテルを恋人にし、ムージスとは離婚するなど、恋多き女性としてもヴァラドンは有名でした。こうした家庭環境が影響したのか、息子のモーリスは精神を病み、病院の入退院を繰り返していました。特にアルコール依存症はひどいもので、その治療として絵を描くことを薦められたといわれています。

その一方でヴァラドンの画業は順調で、《アダムとイヴ》、《網を打つ人》などユッテルをモデルにした作品を多数制作し、1914年にはユッテルと正式に結婚することになります。1920年にはサロン・ドートンヌの会員になるなど、名実ともにフランスを代表する画家として有名になっていきました。1932年にはパリ最大のプティ・ジョルジュ画廊で大回顧展が開催され、フランスの主要エドワール・エリオがカタログに序文を寄せています。

1937年には主要作品がフランス政府によって買い上げになり、国立近代美術館に所蔵されるなど、このころはヴァラドンにとって画家として最盛期といってもいい時期でしたが、1938年自宅で倒れているところを隣人に発見され、病院に搬送中、脳出血で亡くなっています。

ヴァラドンの作品

(Public Domain /‘Maurice Utrillo’ by Suzanne Valadon. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ヴァラドンはどちらかというとモーリス・ユトリロの母として注目されることが多い女性ですが、その力強いタッチはロートレックに認められ、国立近代美術館に作品が所蔵されるなど、画家としても精力的に活動した人物といえます。そんなヴァラドンの作品はどのようなものだったのでしょうか。

《網を打つ》 1914年

本作品は1914年に制作された作品で、現在はナンシー美術館に所蔵されています。同年には第一次世界大戦が勃発しており、夫のアンドレ・ユッテルは従軍して歩兵連隊に入隊するなど、ヴァラドンにとって不安を感じる時期でもありました。
1913年にヴァラドンは息子のモーリスと共にコルシカを旅行していることがわかっており、おそらくその時見聞きしたものにインスピレーションを受けて制作した作品だといわれています。3人の男性が描かれていますが、そのポーズから一人の男性のアングルを変えて描いたものと考えられており、おそらくモデルはアンドレ・ユッテルだと考えられています。
ヴァラドンの画風は色面や形態を単純明快な線で囲むクロワゾニスムにのっとったもので、本作品ではそうした表現技法が前面に打ち出されています。また一時期はユトリロの父親ではないかといわれたピュヴィス・ド・シャヴァンヌもうかがうことができます。単純明快で古典的な構成という共通点を見出すことができるものの、ヴァラドンの作品には宗教的、あるいは歴史的イメージは見受けられません。

《モーリス・ユトリロの肖像、祖母と犬》 1910年

本作品は1910年に描かれた作品で、現在は国立近代美術館に所蔵されています。この作品を描いた当時ヴァラドンは45歳、モーリスは27歳になっていました。母ヴァラドンは外出しがちであったため、モーリスの養育は祖母マドレーヌに任されていましたが、マドレーヌは一種の精神安定剤としてモーリスに酒を飲ませるといった有様でした。モーリスがアルコール依存症になった要因の一つは、この祖母マドレーヌにあるといわれています。
本作品が描かれたころ、モーリスは治療のためにサンノワの療養所に入院しており、入退院を繰り返していた時期でした。しかしモーリスは精神を病んだ人物というよりも、どこかしっかりとした意思のある人物のように描かれています。
作中に描かれたモーリスと祖母マドレーヌ、そして犬は三者三様に視線を向けており、それぞれの視線が合うことはありません。タイトルからは家族の暖かい風景を想像しがちですが、このかみ合わない雰囲気はヴァラドンの家族の欠けた部分を表現しているのかもしれません。

《アダムとイヴ》 1909年

(Public Domain /‘Adam and Eve’ by Suzanne Valadon. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1909年に描かれた油彩作品で、現在は国立近代美術館に所蔵されています。アダムとイヴは正面を向き、イヴが手にした禁断の木の実をアダムが右手でそっと抑えています。
アダムとイヴのモデルになっているのは、アンドレ・ユッテルそして、ヴァラドンであることは明白であり、本作品が制作された1909年にはヴァラドンは夫ムージスの下を去り、息子の友人で会ったユッテルと同棲をはじめていることから、ヴァラドンとユッテルの関係を示す象徴的な作品であるともいえます。ヴァラドンは新しいパートナーを得た喜びから頬を紅潮させていますが、アダムすなわちユッテルはどこか思い深げな様子であり、物事がそこまで簡単なことではないことを示しています。

■おわりに

シュザンヌ・ヴァラドンは当初ルノワールやロートレックなど時代を代表する画家たちのモデルとして活動していましたが、徐々に画家になることを夢見るようになり、エドガー・ドガの薦めもあって、作品制作に没頭していくことになります。
その一方でヴァラドンは数々の男性と交際し、息子よりも3歳年下の青年と結婚するなど、恋多き女性としても知られています。そうした状況もあって息子モーリス・ユトリロは情緒不安定になっていき、精神病院に入退院を繰り返すまでになってしまいました。
ヴァラドンは女として、母として、画家として自分が思うように自由に生きた女性だったといえるかもしれません。しかしそんな母に振り向いてもらうために絵を描き続けたモーリスの心情を思うと、心が痛みます。

参考:シュザンヌ・ヴァラドン

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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