レオノール・フィニ:女性とシュルレアリスム

レオノール・フィニは1907年アルゼンチンに生まれた画家です。正式な美術教育は受けていないものの、フランスのシュルレアリストたちも認める才能を発揮し、のちの女性アーティストやフェミニズムにも大きな影響を与えました。そんなレオノール・フィニの生涯と作品について紹介します。

■レオノール・フィニとは

レオノール・フィニは1907年アルゼンチンのブエノスアイレスに生まれました。母親はドイツ、スロヴェニア、ヴェネツィアの血を引きトリエステの出身で、父はスペインとイタリアの血を引くアルゼンチン人という国際的な家庭でした。
フィニが2歳の時には両親が別れることになり、母親の母国イタリアのトリエステに移ることになります。当時父親はあらゆる手段、誘拐までも試みてフィニを取り戻そうとしており、母親をはじめとした一家は全員が変装して身を隠さねばならないほどでした。そこでフィニは美術館を訪れ、ルネサンスやマニエリスムの研究をし、叔父の図書館ではラファエル前派やビアズリー、クリムトといった巨匠たちの作品を目にし、芸術への関心を高めていくことになります。
1924年、17歳になったフィニはトリエステのグループ展で作品を展示することになり、画家としての一歩を踏み出します。その後1925年頃には一時的にミラノに滞在し、カルロ・カッラやジョルジョ・デ・キリコといったイタリアの前衛芸術家たちと交流を深めることになります。

(Public Domain /‘Paul Eluard’ by Studio Harcourt. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

1936年にはパリに滞在し、ポール・エリュアールやマックス・エルンスト、ルネ・マグリットといったシュルレアリストたちのグループと交流するようになります。フィニは結局シュルレアリストのグループのメンバーになることはありませんでしたが、展覧会には参加し、1936年のロンドンでの展覧会では自身の作品をシュルレアリストたちと展示しています。そうしてシュルレアリスムの芸術を学んでいったフィニは、ついにニューヨークのジュリアン・レヴィ画廊で最初の個展を開催します。またこのころのカルティエ=カルッソンらと車でヨーロッパ旅行をした折に撮影した作品は、2007年のオークションで30万5000ドルという破格の値段が付けられています。

その後第二次世界大戦終結による連合国によるローマ開放を経て、1942年にはイタリア大使館員のスタニスラオ・レプリとジーリオ島やローマで過ごすようになり、この頃バレエやオペラの衣装やセットなどの舞台芸術の仕事も行うようになっていきました。
1960年にはロンドンのカプランギャラリーで個展を開催し、1986年にはパリのルクセンブルグ美術館で回顧展を開催。1987年にもロンドン・エディションズ・グラフィック・ギャラリーで個展を開催し、名実ともに芸術家としての地位を確固としたものにしていきました。

その後1996年に肺炎が原因でパリの病院で死去。ロワール湖畔の小さな村の墓地に眠っています。

■フィニの作品

フィニの作品はエロティシズムや幻想的な世界観が特長で、またシュルレアリスト展に出品していたことからシュルレアリスムとの類似を指摘されることもありますが、その多くが古典作品からインスピレーションを受けたものと考えられています。特に幼少時に目にしたピエロ・デッラ・フランチェスカやフェラーラ派、ラファエル前派などが着想源だといわれています。
またフィニの作品の多くが挑発的にこちらを見る強く美しい女性を描いており、その一方で男性は目を伏せている、あるいはまどろみのなかにいる形で描かれるなど、男性的権威を感じられないのが特長です。こうした作風はのちのフェミニズムや女性アーティストたちに大きな影響を与えました。ではフィニの作品からその特徴を読み解いていきましょう。

《小さな隠者のスフィンクス》1948年

本作品は1948年に制作された作品で、現在はテート・ギャラリーに所蔵されています。この作品1947年の終わりに受けた子宮摘出手術後の感情を描いたものと考えられています。
割れた卵の殻やドア枠からぶら下がっている取り除かれた子宮は子供ができないことを示しています。フィニはこうした自己探求をインスピレーションとして制作を行っており、フィニ自身の言葉によると彼女の描く絵は自己探求のための魔法であり、遊びの感覚に満ちたものだそうです。
またスフィンクスは1940年代フィニの作品に多く用いられたイメージで、1951年にはエジプトを訪れ実際のスフィンクスを目にするほどフィニのお気に入りでした。スフィンクスは長い間死や破壊を象徴するイメージとして関連付けられてきましたが、人間と動物が混ざり合ったハイブリットな存在として彼女は扱っており、そのあり方は画家や小説家、仮面作家などいくつもの顔を持ち、男性も女性も愛したというフィニ自身を表したものであるとも言え、彼女は「スフィンクスの画家」として有名です。

《世界の終わり》1949年

本作品は1949年に制作された油彩画で、現在は個人蔵となっています。赤黒く不気味な空の下に黒い海が広がり、そこには一人の女性が佇んでいます。その周りには枯れた草花や動物の頭部が浮かんでおり、さらに画面全体の不気味さを強調しています。しかしその中でも女性のまなざしは強く、力強い意志が感じられます。水面に目を移してみると、女性の表情が映りこんでおり、死と再生というテーマを表現しているといわれています。

■おわりに

レオノール・フィニはアルゼンチンのブエノスアイレスに生まれ、イタリアに移ったのちにはさまざまな巨匠の作品を見て芸術家になることを決意し、シュルレアリストたちと交流しては新しい芸術を創り出していきました。
フィニの芸術はシュルレアリスムをインスピレーションとしていると考えられがちですが、幼少期に見たマニエリスムやラファエル前派がその着想源となっており、また自身の内面や経験をテーマとすることによってより精神性の高い芸術作品を創り出していきました。
フィニは1996年パリで亡くなりますが、フィニの作品がその後のアーティストたちに及ぼした影響は大きく、フェミニズムや女性アーティストたちには自らをテーマとして制作するヒントを与えました。そのエロティックで幻想的な世界観は、後進の芸術家たちに新しい芸術を示唆したのです。

参考:レオノール・フィニ

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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