ジョルジュ・ブラック:キュビスムの創始者のひとり

ジョルジュ・ブラックは1882年にフランス、セーヌ川沿いのアルジャントゥイユに生まれた画家です。エコール・デ・ボザールで学び、パブロ・ピカソとともにキュビスムを作り上げたことで有名です。またブラックはキュビスムにのみならず、ジュエリー、陶磁器などさまざまなジャンルに挑戦した芸術家でもあります。そんなブラックの生涯とはどのようなものだったのでしょうか。

■ジョルジョ・ブラックとは

ジョルジョ・ブラックは1882年セーヌ川沿いの街アルジャントゥイユに生まれました。家はペンキ屋を営んでおり、少年時代は家の仕事を手伝いながら、徐々に芸術への関心を高めていきました。

1897年から1899年まではル・アーブルにある有名な美術学校のエコール・デ・ボザールの夜間クラスで絵を学んでいます。その後パリで装飾芸術の修業をし、兵役についた後パリのハンバート美術大学に入学。

(Public Domain /‘Francis Picabia’by Guillaume Apollinaire. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)
(Public Domain /‘Marie Laurencin’by Carl Van Vechten. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

大学ではしフランシス・ピカビアやマリー・ローランサンと出会い、交流を深めていきました。

(Public Domain /‘Guillaume Apollinaire’Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

それまで印象派やフォービスム風の作品を制作していたブラックの転機になったのは、1907年に訪れたサロン・ドートンヌでのセザンヌの回顧展と、詩人ギヨーム・アポリネールとともに訪れたパブロ・ピカソのアトリエで見た《アヴィニョンの娘たち》でした。キュビスムの下地となる2人の作品を目にしたブラックは大きな衝撃を受けます。

(Public Domain /‘Henri Matisse’by Alvin Langdon Coburn. Image viaWIKIMEDIA COMMONS

908年になるとセザンヌの影響がみられる作品を制作し、徐々に彼の作風はキュビスム的になっていきました。この時期の代表作は《レスタックの家々》や《家と木》などが挙げられます。これらの作品中に描かれる家はどれも立方体に近い形で描かれており、のちにアンリ・マティスに「小さなキューブ」と評されることになります。

同じスタイルで絵画を制作していたピカソもブラックに関心を抱くようになり、1909年の冬から春にかけて二人は共同作業を行いました。

1909年になるとブラックはパリではじめてキュビスムの作品を発表します。それまでの西洋の芸術とはまったく異なる形式で描かれた作品を見た多くの人は驚き、大変な話題となりました。同時に前衛芸術を擁護していた詩人アポリネールが画家同士の交流を進めたこともあり、キュビスムは急速に画家たちの間に広まっていくのでした。

ブラックは徐々に色彩を押さえた難解な分析的なキュビスムの作品を制作するようになり、1911年前後には文字をひとつのイメージとして取り入れるようになっていきます。翌年の1912年になると絵の具に砂を混ぜたり、キャンバスの一部に木目を描いたりと、のちのコラージュやパピエ・コレにつながる作品を制作していきます。

1914年に第一次世界大戦が勃発するとブラックは出征することになり、長く続いたピカソとの共同作業は終わりを告げます。戦後帰国しブラックは制作活動を再開しますが、長くブラックを援助していたカーンワイラーはドイツ人であったため、援助を得られることはありませんでした。

しかし1917年になると画商のレオンス・ローザンベールと契約し、1919年には個展を開催。そのころにはすでにブラックはキュビスム絵画を制作しなくなっており、落ち着いた静物画を多数制作しています。1918年から1942年の間は小型円形テーブルや幾何学的な絵画、そして色彩豊かなスタイルなどさまざまなスタイルに挑戦していき、1963年にパリで亡くなりました。

■ブラックの作品

ブラックはキュビスムを作り上げた芸術家のひとりとして有名です。共同作業をおこなったパブロ・ピカソはアフリカ彫刻にインスピレーションを受けてキュビスムの作品を制作したことで有名ですが、その一方でブラックはセザンヌの作品に影響を受けてキュビスムの作風を思いついています。
キュビスムの下地となっている芸術理論はセザンヌの作品とアフリカ芸術であるといわれており、ピカソとブラックが邂逅することでキュビスムが生み出されたといっても過言ではないでしょう。どちらが欠けても、キュビスムという芸術スタイルは成立しなかったわけです。

ではキュビスムに多大な貢献を果たしたブラックの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心に、ご紹介します。

《レスタックの家々》1908年

本作品は1908年に制作された作品で、現在はスイスのベルン美術館に所蔵されています。家と木々が四角で簡略化され、抽象化が進められているため、一見して風景であるとは気が付かないかもしれません。しかしよく見てみると、屋根のような形、そして木々の幹と思われる形が描かれており、自然豊かな街の風景であることがわかります。

ブラックは1906年の10月から1907年の2月にかけて南仏プロヴァンスの港町レスタックで過ごしています。この場所はブラックが尊敬していたセザンヌが滞在したことでも有名な町で、彼以外にもセザンヌに影響を受けた多くの画家たちがこの地を訪れています。

本作品はキュビスムの最初期に描かれたもので、アンリ・マティスがこの作品を「小さなキューブ」と評したことが、「キュビスム」という呼称の生まれるきっかけになりました。ブラックはタイトルに「レスタック」とついた作品を他にも多く残していますが、1906年頃に描かれた「レスタックの風景」という作品ではまだフォービスムの影響をまだ強く感じさせられます。同じ場所を描いているにも関わらず、手法が変化することで印象が全く違う点も興味深いですね。

《ルーブル美術館天井画》1953年

本作品はルーブル美術館の2階、ドゥノン翼からシュリー翼に入ったところの33番展示室にある作品で1953年に制作されました。展示室はカトリーヌ・ド・メディシスを妻としたことでも有名なフランス王アンリ2世の間であり、その伝統的な王宮の一室に展示されるには異彩を放つ作品です。

タイトルは《鳥》となっており、フランス美術館総局長ジョルジュ・サールの求めで制作されたといわれています。ブラックは1930年ごろから鳥をテーマとして作品を描くようになっており、種類を特定できるようなものではなく、抽象化した鳥を好んで描いていきました。アンリ・マティスとの類似性も指摘されており、先に亡くなったマティスから受けた影響もあったのではないかといわれています。

この天井画を描いた当時ブラックは70歳であり、天井画は心身ともに疲れ果てるほどの仕事でした。またのちに映画監督のヒッチコックが自宅に同じような作品を描いてほしいと依頼したものの、拒否されたというエピソードも残っています。

《トリプトレモス》1961年-1963年

本作品は1961年から1963年にかけて制作された作品で、現在はサン=ディエ=デ=ヴォージュ市立ジョルジュ・ブラック-メタモルフォーシス美術館に所蔵されています。18金とルビーを用いて作られたブローチであり、軽やかに羽ばたく蝶が印象的な作品です。

ブラックは最晩年になると古代ローマの詩人オウィディウスの「変身物語」に登場する神々の変身をテーマにジュエリーや陶磁器、ステンドグラスなどを制作するようになっていきました。「トリプトレモス」とはギリシア神話の人物で、世界中に穀物の種をまいて回ったと伝えられる英雄です。このブローチはその種をまく様を表しているのかもしれません。

■おわりに

ブラックはキュビスムの創始者のひとりとして有名ですが、静物画やジュエリー、陶磁器といったさまざまなスタイルに挑戦した芸術家でもあります。その新しいスタイルに挑戦しようとする姿勢は、彼が若いころに見たセザンヌの作品、そして新しい芸術を創り出すことへの熱意から生み出されていたのかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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