フランツ・マルク:動物を愛した画家

フランツ・マルクは1880年にドイツのミュンヘンに生まれた画家です。画家としての活動はわずか10年であったものの、動物を主なモチーフとしてさまざまな作品を残しました。そんなマルクの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■フランツ・マルクとは

フランツ・マルクは1880年バイエルン王国の首都ミュンヘンで生まれました。父ウィルヘルム・マルクは風景画家で、生まれたばかりのマルクを見た時、その容姿が気に入らずめまいを覚えたというほど神経質な人物でした。フランツはそんな父親に厳しくデッサンの基礎を教え込まれ、絵そのものには興味を抱いていったものの、父が褒めてくれることはなかったため徐々に人間嫌いの少年になっていきました。

1900年になるとミュンヘン美術院に入学し、ガブリエル・フォン・ハックルやヴィルヘルム・フォン・ディーツの指導を受けます。1903年から1907年まではフランスに滞在し、各地の美術館を訪れては巨匠の作品を模写し、画力を高めていきました。
また多数の画家たちと交流を重ねるようになり、その中には青騎士の共同設立メンバーであるアウグスト・マッケも含まれていました。

1911年になるとマルクは芸術雑誌である「青騎士」を創刊します。また「青騎士」はヴァシリ―・カンディンスキーの芸術理論に共感した前衛的な芸術家たちがおこした芸術運動の名前にもなります。第一次世界大戦によってメンバーが散り散りになってしまうためその活動期間は3年という非常に短いものでしたが、青騎士の芸術家が後世に与えた影響は非常に大きく、20世紀における前衛芸術の先駆けとも言われています。

そんな青騎士のメンバーは1911年12月から1912年1月までタノーサー画廊で初の展覧会を開催。そこにはマルクの作品も展示され、ドイツ表現主義が大きく花開くひとつのきっかけになりました。その後青騎士の展示はベルリン、ケルン、ハーゲン、フランクフルトへと巡回しています。

(Public Domain /‘Jumping foal’by Franz Marc. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)
(Public Domain /‘Tiger’by Franz Marc. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

その後マルクはロベール・ドローネーの色彩やキュビスムなどに出会い、さまざまな表現スタイルを試みるようになります。この頃の作品は馬、牛、猿、鹿、ロバ、狐、虎などの動物や森を主たる対象とし、色彩豊かで激しいタッチで描かれているという特長があります。こうした表現はこれまでにない新しい表現であり、当時の芸術家たちの注目を集めるほどでした。

(Public Domain /‘Blue Horse I’by Franz Marc. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

しかし1914年に第一次世界大戦が勃発すると、マルクは騎兵としてドイツ軍に従軍することになり、ヴェルダンの戦いにおいて36歳という若さで命を落としてしまいます。またマルクの死後には、代表的な青い馬を描いた作品をみたヒトラーが「青い馬などいるはずもない」と言い退廃芸術と決めけられてしまいますが、死後には鉄十字勲章をうけています。

■マルクの作品

マルクの作品は動物や森をテーマとして、豊かな色彩と激しいタッチで描かれているのが特長です。その色彩は現実の色彩からかけ離れていることも多く、晩年には抽象化の進んだ作品が残されています。具象を残しながらもカンディンスキーと同等といえるほどに抽象化が進んだマルクの表現は、その後の抽象表現主義を予言するものであったともいえるでしょう。
マルクの主要な作品をもとに、その作風について解説していきます。

《黄色い牛》1911年

(Public Domain /‘Yellow cow’by Franz Marc. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1911年に制作された作品で、現在はニューヨークのグッゲンハイム美術館に所蔵されています。マルクは生命感溢れる動物たちの姿を描くことで自身の心を解放していきました。この作品はそんなマルクの初期の傑作です。

ここではよろこび飛び跳ねる牛は明るい黄色で描かれています。動物の感情や魂さえも作品に描きこむために色彩は豊かに、それでいて躍動的に描かれており、鑑賞者さえも明るい気持ちにさせます。

マルクは色彩について、「青は男性的で厳しく精神的な色。黄色は女性を現し、優しく陽気で官能的、赤は物質的で青や黄が克服しなければならない」と語っており、色彩に明確なイメージをもっていました。本作品で用いられている黄色はマルクの中で女性的、陽気で官能的というイメージであり、牛の喜びを表現していることがわかります。実はこの時結婚したばかりであったマルクの幸せな気持ちが表れているとも言われています。

《風景の中の馬》1905年

(Public Domain /‘Horse in a Landscape’by Franz Marc. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1905年に制作された作品で、ドイツのエッセン、フォルクヴァンク美術館に所蔵されています。無限に続くようなはるか遠くの風景を見つめる馬の後ろ姿が描かれており、緑や赤、黄色などの明るい色が広がっています。

マルクは「芸術家にとって、自然が動物の目にどのように映っているかという考えほど、神秘的なものがあるだろうか」と語っており、動物の目に映る風景をも描こうとしていたことが伺えます。

《動物の運命》1913年

(Public Domain /‘The fate of the animals’by Franz Marc. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1913年に制作された作品で、現在はスイスのバーゼル市立美術館に所蔵されています。この作品ではより抽象化が推し進められており、激しい色彩と大胆な線で不可思議な光景が描かれています。中央には首を伸ばして大きくのけぞり、おたけびを上げる青い鹿が描かれており、二頭の赤い猪はおびえるかのように身体をよせあっています。恐怖からか全速力で逃げる二頭の緑の馬も描かれており、さまざまな色彩と動物たちの感情が入り混じることで、混沌とした世界が表現されています。

作品の裏側には「そして存在するものはすべて燃えるように苦悩している」と描かれており、生きるものの苦悩が描かれていることを示唆しています。マルクはこのすぐ後に勃発する大戦を予感していたのかもしれません。

《戦うフォルム》1914年

(Public Domain /‘Fighting forms’by Franz Marc. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1914年に制作され、現在ミュンヘン州立現代美術館に所蔵されている作品です。画面いっぱいに赤と黒のエネルギーがぶつかり合う様子が描かれており、その形は一見してなんなのかわからないほどにまで抽象化が進められています。

一説には赤い物体の右側に描かれたくちばしのような形は、もともと鷲だったのではないかといわれています。もう一方の黒い物体はもはや形を読み取ることもできません。1914年からはじまる第一次世界大戦という大きな暴力の渦に巻き込まれていったマルクは、徐々に動物たちをありのままに描くのではなく形を失った魂として描くようになっていきました。

マルクは晩年「フォルム」をテーマとして、「戯れるフォルム」「陽気なフォルム」「戦うフォルム」「壊れたフォルム」という4点のシリーズを描いています。そのどれもがカンディンスキーと同じ程度に抽象化が推し進められている作品であり、マルクの遺言のようでもあります。

■おわりに

フランツ・マルクは1880年ミュンヘンに生まれ、画家としての活動はわずか10年であったものの、動物を主な対象として、前衛的な作品を残しました。またマルクの作品の特長はその色彩の用い方であり、青や赤、黄色などに独自のイメージをもっており、そうした色彩理論のもと作品を描くことで、作品に独自の広がりを与えることに成功しています。

マルクは第一次世界大戦により36歳という若さで亡くなった夭折の画家です。最初は動物が描かれていたものの、晩年に近づくにつれてどんどん抽象化が推し進められており、その表現の急激な変化は、まるでその後花開くことになる抽象表現主義を予言していたかのようです。

マルクをはじめとした青騎士の画家たちが戦争ではかなく散ったこともあり、青騎士の活動はわずか3年で終わってしまいますが、後世の芸術家たちに与えた影響は大きなものでした。その後カンディンスキーやモンドリアン、パウル・クレーなどによって新しい芸術が作り出され、再びの大戦を経て、アートシーンはアメリカに渡ることになります。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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