The Beach Boys: 幻の名盤「スマイル」

ザ・ビーチ・ボーイズとは

ブライアン、デニス、カールのウィルソン3兄弟が、いとこのマーク・ラヴらと1961年に結成したサーフ・ロックを代表するアメリカのバンド。シンプルなロックンロールのサウンドに黒人音楽のドゥーワップのように美しいコーラスを重ね合わせて、カリフォルニアに代表されるウエストコーストの太陽、夏、サーフィン、青いビーチ、ビキニの女の子たちといった若者たちの文化をポップに歌い、アメリカを代表する人気バンドとなった。「サーフィン・サファリ」、「サーフィンUSA」、「サーファー・ガール」、「ファン・ファン・ファン」、「カリフォルニア・ガールズ」などヒット曲は多数に及ぶ。オリジナルメンバーのうちデニス、カールはすでに亡くなっており、現在はマーク・ラヴを中心にメンバーを変動させながら、コンサートを中心に活動を続けている。

デビューから1964年まで

ザ・ビーチ・ボーイズは、1962年大手キャピタルレコードからメジャーデビューし、前述の通り次々とヒット曲を飛ばしていった。そして1963年にリリースしたサード・アルバム「サーファー・ガール」よりメンバーのブライアン・ウィルソンがプロデュースを担当するようになった。

しかし、1964年だけで4枚のアルバムを発表するほど多忙となったブライアンは極度に疲労し、ついにはツアーに向かっていた飛行機の中で精神的にダウンしてライヴをキャンセルしてしまった。そこでバンドはブライアンの代役をツアーメンバーに加え、ブライアンはスタジオでレコーディングに専念することとな

ザ・ビーチ・ボーイズ「ペット・サウンズ」

アメリカでザ・ビーチ・ボーイズが人気になりだした同じ時期にイギリスではザ・ビートルズが登場し、その人気はアメリカにも飛び火してきていた。狂乱のコンサートツアーに疲れきっていたビートルズは、レコーディング・アーティストとしての自覚と喜びで充実している時期である1965年にプロデューサーのジョージ・マーティンとともにアルバム「ラバー・ソウル」を発表する。レコーディングに専念していたブライアン・ウィルソンにとってこの「ラバー・ソウル」は大きな刺激となり、新しいアルバムの制作をはじめた。ツアーに出ているバンドメンバーたちの代わりに、腕利きのスタジオミュージシャンを呼んで入念なリハーサルの上にレコーディングを行なった。サウンドには古い電子楽器のテルミンや、チェンバロ、バズ・オルガン、フルートといった様々な楽器を使用し、さらに自転車のベル音や犬笛など変わった多彩な音を多重録音で重ねていった。ツアーに出ていた他のバンドのメンバーたちは最終的に歌とコーラスでその美しいハーモニーを奏でるだけが仕事となった。また作詞には自分のアイデアやイメージをプロの作詞家であるトニー・アッシャーに構築してもらう形で作られた。それまでザ・ビーチ・ボーイズの歌詞のほとんどであったカリフォルニアの海も女の子も夏のイメージも意図的に全く登場させず、非常に内省的な言葉を並べていた。そうして1965年5月アルバム「ペット・サウンズ」は、リリースされた。

このアルバムはポップさと芸術性が重なりあった名盤で、現在ではロック史上最高のアルバムの一つと評価されているが、当時の評価は全く逆であった。他のバンドメンバーたちでさえ「このアルバムは誰に聞かせるのだ?犬か?」とまで言って、それがアルバム「ペット・サウンド」というタイトル名のいきさつだとも言われている。バンドのメンバーだけではなく、レコード会社の評判も悪い上に、発売直後はセールス的にも過去の作品のようには振るわなかった(全米10位)。レコード会社は慌ててポップな曲を集めたザ・ビーチ・ボーイズのベスト・アルバムを発売して、これがまた大ヒットする。「ペット・サウンズ」の出来に絶対の自信を持っていたブライアンはかなり精神的にショックを受けることになった。

ビートルズ「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハート・クラブ・バンド」

ザ・ビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」はアメリカでの売り上げと評価は芳しくなかったが、イギリスでは高い評価を受けることになった(全英2位)。とりわけこのアルバムに大きな影響を受けた人物がビートルズのポール・マッカートニーだった。彼は「ペット・サウンズ」にあったサウンドの統一感をヒントにし、架空のバンドがオープニングのテーマ曲から始まって、最後に同じテーマ曲のリプライズ、そしてアンコールのエンディング曲で終わるという架空のショーに仕立てたアルバム「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」をバンドメンバーらと製作し、1967年6月にリリースした。

録音に関しても4トラックで録音したものを移し替えたり、2台の4トラック録音機を使ったりと多重録音を繰り返し、誰も聴いたことのなかった複雑な音作りに成功した。またアルバムジャケットもマリリン・モンローやボブ・ディラン、マーロン・ブランドなど60人以上のスターの写真を使ったスタイリッシュなものだった。このアルバムは、評論家からも他のミュージシャンからもファンからも大絶賛を浴びた。イギリスの「ミュージック・ウィーク」誌で27週No.1、アメリカの「ビルボード」誌でも15週連続No.1という大ヒットとなった。

ザ・ビーチ・ボーイズ「スマイル」

「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハート・クラブ・バンド」が「ペット・サウンズ」の影響を受けながら、高い評価を得て、また大ヒットしたことにブライアンは大きなショックを受けた。そして彼は「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハート・クラブ・バンド」を超える作品を作ることを決意し、アルバム「スマイル」の製作に取り掛かかった。
ブライアンが新しいアルバムを作るのに採用したのは名曲「グッド・ヴァイブレーション」を作ったときの手法で、短い断片のような音をたくさん録音しておき、それを繋ぎ合せて曲にしていくというやり方だった。しかし、この作業には莫大な時間と労力が必要であった。ビートルズのポール・マッカートニーには、パートナーのジョン・レノンや、メンバーのジョージ・ハリソン、プロデューサーのジョージ・マーティンたが、ブライアンは一人でその作業をすることとなる。レコード会社からのプレッシャー、バンドメンバーの不理解、そして何よりもイギリスだけでなく、アメリカでも大ブームとなり、自分たちの立場をも危うくさせるザ・ビートルズの存在がブライアンの精神を追い詰めてしまった。次第にドラッグやアルコールに溺れるようになっていってしまうブライアン、アルバムはすでに完成間近だったものの、最終的にブライアンは廃人同然となり、1967年に発売が予定されていたアルバム「スマイル」はついに完成せず、「世界で最も有名な未発表アルバム」と呼ばれるようになった。収録予定だった楽曲の一部はのちに「スマイリー・スマイル」で発表され、海賊盤市場では様々な未収録音源が流出した。

「スマイル」の完成

ブライアン・ウィルソンは、「スマイル」製作時に廃人同然となってから約20年に渡って表舞台から姿を消すこととなった。そして1988年に初のソロアルバム「ブライアン・ウィルソン」を発表。ようやく本格的な復活を果たす。そしてアルバム「イマジネーション」をリリースした1998年以降は、ライヴ活動も開始した。2000年から2002年にかけてはフル・オーケストラを率いて、アルバム「ペット・サウンズ」を全曲演奏するセットリストでワールド・ツアーも行なった。
そして、2004年ブライアンはついにあの「スマイル」をソロライヴで再現、のちにアルバムとしても完成版としてブライアン・ウィルソン名義にてリリースされた。それは最初の発売予定からすでに37年の月日が流れていた。

まとめ

2004年、復活した天才・ブライアン・ウィルソンの手によって37年の歳月を経て「スマイル」は完成した。しかし、例え楽曲は一緒でもそれはもうあの時代の「スマイル」ではない。録音技術も、時代環境、時代背景も何もかもが変わりすぎてしまっていた。しかし、それを十分考慮しても、このアルバムは本当に美しい。そしてそれぞれの楽曲はただ美しさだけではなく、それぞれに少しの不安で暗い側面を持っている。それこそが他の単純なポップ・ミュージックと彼の作る音楽の決定的な違いであり、天才ブライアン・ウィルソンが魅せる”狂気”の部分である。それこそが彼が「ロック史上最高の天才」と呼ばれる所以であり、また数十年間も廃人同然の状態になってしまった理由でもある。
現在ロックの歴史上最高のアルバム2枚というとビートルズの「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハート・クラブ・バンド」とザ・ビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」と言われている。もし、あの時代に「スマイル」が完成していたら、今頃は「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハート・クラブ・バンド」と「スマイル」が2大アルバムと言われていたに違いない。もしかするとビートルズが「スマイル」にまた影響を受けて「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハート・クラブ・バンド」以上のアルバムを作っていたかもしれないが。ビートルズがいた時代にブライアンがいて、ブライアンがいた時代にビートルズがいたという奇跡が、これらの名盤を産んだことは間違いない。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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