The Rolling Stones: 歴代のギタリストたち

ザ・ローリング・ストーンズとは

ヴォーカルのミック・ジャガー、ギターのキース・リチャーズが中心の、イギリス出身のロック・バンド。60年代からビートルズらと「ブリティッシュ・イノベーション」を起こしてイギリスだけでなく、アメリカでも大活躍し、世界中での大規模なスタジアム・ツアーを行い、第一線で走り続けるロック界の生きる伝説のバンド。バンド名は、シカゴのブルースマン、マディ・ウォーターズの楽曲「ローリング・ストーン」に由来する。

ストーンズのギタリスト来歴

ザ・ローリング・ストーンズは、1962年ブライアン・ジョーンズ、ミック・ジャガー、キース・リチャーズらを中心に結成され、チャック・ベリーのカバー曲である「カム・オン」でデビ

デビュー当時はオリジナル曲が少なく、R&Bのカバー曲などがメインであった。結成時からの中心メンバーであったギタリスト、ブライアン・ジョーンズは、深刻なドラッグ依存症となり1969年アルバム「レット・イット・ブリード」のレコーディング最中にバンドを脱退。そのあとその「レット・イット・ブリード」にセッション参加していたミック・テイラーが新たにバンドに加入した。そのミック・テイラーも1974年にバンドを脱退、元フェイセズのロン・ウッドがオーディションの末、後任ギタリストの座に就いた。

ブライアン・ジョーンズ

ブライアン・ジョーンズは、ザ・ローリング・ストーンズの創設者であり、バンドの名付け親であり、リーダーでもあった。彼は黒人のリズム&ブルースへの造詣が深く、様々な名曲をバンド・スタイルでカバーしていくことにストーンズの存在意義を感じていた。また、彼のファッション・センスも時代をリードしており、バンド内のカリスマ的存在だった。しかし、ストーンズがレコード・デビューして、オリジナル楽曲の製作が必要になっていった時、作詞作曲能力のなかったブライアンは、次第に領主の座を奪われていくことになった。その後は様々な楽器が演奏できる能力を活かし、シタールやオルガン、ダルシマー、マリンバ、ビブラフォン、リコーダー、メロトロン、ハープシコード、サクソフォン、オーボエなどをアルバム「アフターマス」、「ビトウィーン・ザ・バトン」、「サタニック・マジェスティーズ」で次々と導入。

サイケデリックで実験的なアルバム作りに貢献し、ストーンズをただのブルース・バンドから、世界的なロックンロール・バンドへの道筋を作った。しかし、1960年後半には薬物依存から脱却できずにレコーディングやツアーに参加できない状態になる。1969年6月ブライアンはミックとキースに説得される形で遂にストーンズを脱退、同年7月3日自宅のプールで溺死しているところを発見された。享年27歳。
一週間後に行われた葬儀にミックとキースが参加することはなかった。その代わり葬儀にはわざわざアメリカから超高価な棺がボブ・ディランによって届けられた。
この後もロック界では、ドラッグによるスターの死が相次ぐ事になる。1970年にジミ・ヘンドリクスとジャニス・ジョプリン、1971年にはドアーズのジム・モリソンがこの世を去っている。

ミック・テイラー

ミック・テイラーは17歳の時、ジョン・メイヤー率いるブルースブレイカーズにギタリストとして参加し、プロとして活躍していた。ブライアンの後釜を探していたストーンズは、彼をアルバム「レット・イット・ブリード」のセッションに参加させ、そのまま正式なギタリストとなる。彼は「スティッキー・フィンガーズ」、「メインストリートのならず者」、「山羊の頭のスープ」、「イッツ・オンリー・ロックンロール」といういずれも傑作アルバムの制作に参加していて、またライヴアルバム「ゲット・ヤア・ヤ・ヤズ・アウト」でもその素晴らしいギター・テクニックを聴かせてくれている。

ミック・テイラーの加入により、リード・ギタリストとしての負担が大幅に減ったキースは、独特のリズム・ギタリストとしての才能を更に伸ばしていける環境となり、その強烈な個性に磨きをかけることができる重要な期間となった。
2012年、ミック・テイラーは、ストーンズ50周年記念ライヴにメンバーと共にステージに上がり、ストーンズ流ブルースの名曲「ミッドナイト・ランブラー」を演奏し、オールドファンを歓喜させた。

ロン・ウッド

ロンは、ジェフ・ベック・グループのベーシストとして参加、その後ロッド・スチュアートとフェイセズ(元スモール・フェイセス)のメンバーとして活躍する。ミック・テイラーのストーンズ脱退後の後釜として、サポート・メンバーを経て1976年に正式なギタリストとなり、同年のヨーロッパツアーに参加、アルバム「ブラック・アンド・ブルー」以降が彼の参加アルバムとな
また、1981年のアメリカ・ツアーを追ったドキュメンタリー映画である「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」では、ロンのお茶目でカッコいいステージ上の姿がたくさん観ることができる。
ミック・テイラーが嫌気を指したように、当時はキースが重度のヘロイン中毒に陥っていた時期で、バンドは活動存続の危機でもあったが、ロンが一人のギタリストとしてキースの分も奮闘する事で
ストーンズは活躍を継続する事ができた。また1986年アルバム「ダーティー・ワーク」発売後、ミックとキースの仲が最悪の状態となり解散説も噂された時にも、ロンの献身的な仲介によって最終的に2人は和解し、1989年アルバム「スティール・ホイールズ」を発表。ロンのおかげで危機を回避することとなった。ロンは常にバンド内の弟分として、バンドのつなぎ役としても大いに活躍している。

キース・リチャーズ

オリジナル・メンバーのギタリストで、重度のドラッグ中毒やそれに纏わる様々な警察沙汰・裁判沙汰を乗り越えてサバイバルしたロック界のレジェンドである。「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」、「サティスファクション」、「ブラウン・シュガー」、「ストリート・ファイティング・マン」など様々なストーンズの名曲で必殺のリフを作り出してきた。
ただ、彼は自分が目立とうとするプレイヤーではない。時にはミック・テイラーやロン・ウッドとのギター同士、時にはドラマー、チャーリー・ワッツとのリズム、またある時はミック・ジャガーのヴォーカル、というように彼は常にブルースマンのようにバンド内の調和したサウンドを重視している。
キースのギター・プレイの代名詞といえば5弦のオープン・チューニングである。キースのオープン・チューニングは、ブルースのスライド・ギターなどで使われるオープンGで、これは煙草を吸いながらギターを弾くため、と言われている。
全ての楽器は正確に弾ける事や早く弾ける事が全ての正解ではない、というロック的な回答を自らのプレイで示した世界最高のロック・ギタリストの一人。

時代ごとのライバルたち

ザ・ローリング・ストーンズは、デビュー以来、常にザ・ビートルズというライバルが身近に存在していた。ライバルだが友人でもあり、彼らのセカンド・シングル「アイ・ワナ・ビー・ヨア・マン」はビートルズの最強ソングライティング・チームである“レノン=マッカートニー”によるものである。ミックとキースも彼らのソングライティングに大きな影響を受けたことは間違いない。また、ビートルズがロック史上最高傑作と言われているアルバム「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の発売直後、ストーンズは「サタニック・マジェスティーズ」をリリース。これが「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の二番煎じと批評されることになった。

ビートルズが解散し、70年代になるとパンク・ロックのムーヴメントが発生。今度は若きパンクミュージシャン達がローリング・ストーンズを旧体制で、お金儲けのためのロックンロールだと批判するようになる。しかし、多くのパンクバンドたちは自爆するかのように消えていき、ムーヴメントは一瞬のうちに終わりを告げた。さらに1978年ストーンズはアルバム「女たち」をリリース。ソウル・ミュージックに裏付けされたダンスナンバーに、ブルースの香りが残るロックンロールと、伝統と新しさを融合させた傑作を生み出してパンクバンドたちへの堂々の勝利宣言を行なった。その後ザ・ローリング・ストーンズは、伝説を作りながらロックの王道を歩き続けている。

まとめ

ブルースや黒人音楽をイギリスの若手ロック・バンドがプレイするという、画期的な活動でロック界の最先端を行きながらも、これまた時代の流行であったドラッグから最後まで抜け切れる事が出来ず、命を落としたストーンズ初期のカリスマ・ブライアン・ジョーンズ。在籍期間は長くはなかったが、ストーンズが音楽的にとてもクリエイティブで脂の乗っていた時期に、圧倒的なギター・テクニックでバンドに名盤・名曲を多く残し、キースのプレイや、バンド自体にも大きな影響を与えたミック・テイラー。バンド内の繋ぎ役にもなり、バンド存続のために必要不可欠の存在となった、愛されキャラのロン・ウッド。ストーンズが過ごしてきたまさに激動の時代それぞれに適材適所の個性的なギタリストたちが存在した。これがザ・ローリング・ストーンズが今もなおサバイバルしているという奇跡の理由の一つであることは間違いない。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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