ジョン・シンガー・サージェント:アメリカを代表する肖像画家

ジョン・シンガー・サージェントは1856年イタリア・フィレンツェに生まれました。フランスで美術教育をうけたのち、ロンドンとパリで活動し、上流社交界の人々の肖像画を描いたことで有名です。代表作である《マダムXの肖像》や《カーネーション、リリー、リリー、ローズ》などは肖像画でありながら、これまでにない表現であるとして、大きな注目を集めました。そんなサージェントの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ジョン・シンガー・サージェントとは

サージェントは1856年アメリカ人医師の子どもとして、イタリアのフィレンツェに生まれました。12歳のころにはローマでドイツ系アメリカ人の画家カール・ヴェルシュに絵を習い、1870年にはフィレンツェでアカデミア・デッレ・ベッレ・アルティに通うなど、幼いころから美術教育を受けていたことが分かっています。

(Public Domain/‘Carolus-Duran’ Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

その後18歳の時にはパリに居を移し、カロリュス=デュランに師事しながら、エコール・デ・ボザールに通いアカデミックな美術教育を受けます。イタリアとフランスで美術教育を受けたサージェントは1877年からサロンに出品するようになっていきます。

そんなサージェントを一躍有名にしたのは、1884年のパリのサロンに出品した《マダムXの肖像》です。本作品は当初《・・夫人の肖像》としてモデルの名前を伏せた形で発表されたものの、フランス人銀行家ピエール・ゴートローの妻をモデルにしていることが一目瞭然でした。人妻を描いたものとしてはあまりにも官能的であると当時の批評家から大きな批判を受けてしまいます。

《マダムXの肖像》によるスキャンダルにうんざりしたサージェントは、1885年にパリを離れてロンドンに住まいを移すことになります。もともと1882年からロンドンのロイヤル・アカデミーに作品を出品していたこともあり、サージェントはすぐに肖像画家としての地位を確立していきました。1897年にはロイヤル・アカデミーの正会員となった後は、ロンドンが主な制作の地となっていきます。

1891年にはボストン公共図書館の壁画制作にも関わるなど、ヨーロッパのみならず、祖国アメリカでも制作活動を行っていきました。

1916年にはボストン美術館の大ホールの天井画を依頼され、古代ギリシアやローマ神話からインレーションを得た天井画に加えて装飾レリーフや空間全体の設計を担当するなど、アメリカ文化にも大きく貢献していきました。

サージェントは肖像画家として知られていますが、1907年からは肖像画の依頼を受けることなく、晩年は水彩画に専念するようになります。そして1925年にロンドンで69歳の生涯を閉じました。

■サージェントの作品

サージェントは「最後の肖像画家」と呼ばれており、印象派やフォービスム、キュビスムなどの新しい表現が次々に生まれた時代において、伝統的な古典技法により多数の肖像画を描きました。
サージェントの観察眼による肖像画は、上流階級の人々に広く好まれ、サージェントは生涯で900点の油彩画や2000点の水彩画、そして膨大な数のスケッチやドローイングを残すなど、精力的に制作活動を行っていきました。そんなサージェントの作品はどのようなものだったのでしょうか。

《マダムXの肖像》1883年-1884年

(Public Domain/‘Portrait of Madame X’ by John Singer Sargent. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1883から1884年に制作された作品で、現在はメトロポリタン美術館に所蔵されています。作中に描かれた女性は宝石で飾られたストラップの付いた黒のドレスに身をまとい、右手はテーブルにつき、左手は扇を持ち、軽く体をひねらせています。モデルの女性の白い肌は作品の中で美しく浮かび上がるように表現されており、どこか官能的です。

モデルとなったのはバージニー・アメリ・アヴェーニョ・ゴートローというアメリカ出身の女性で、フランス人の銀行家ピエール・ゴートローの妻となった人物です。彼女はその美貌からパリの上流社会では大変な有名人であり、サージェントもその美貌に魅了されていました。そしてゴートローを描くことで次のサロンで大きな注目を集めることができるのではないかと考え、自らゴートローにモデルになってくれるように願い出ます。

そうしたサージェントの考えとは裏腹に、1884年に本作品がサロンで展示されると、そのあまりに官能的なタッチからスキャンダルへと発展してしまいます。出品された際には《・・夫人の肖像》とモデルの名を伏せていましたが、描かれているのがゴートロー夫人であることは明らかであり、当時の批評家たちからは強く非難されてしまいます。この事件によってゴートローは面目を失い、サージェントはパリを離れざるを得ない状況に追い込まれましたが、同時に彼の名が知られるきっかけにもなっています。

《カーネーション、リリー、リリー、ローズ》1885年-1886年

(Public Domain/‘Carnation, Lily, Lily, Rose’ by John Singer Sargent. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1885年から1886年に制作された作品で、現在はテート・ギャラリーに所蔵されています。白い服を着た二人の幼い子供が薄暗くなる中、紙提灯に灯りをともす様子が描かれており、どこか幻想的な雰囲気が漂っています。

(Public Domain/‘Fred Barnard’ Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

モデルとなったのはサージェントの友人でイラストレーターのフレデリック・バーナードの娘たちで、舞台はイギリスのコッツウォルズにあるイギリス式庭園です。この作品は《マダムXの肖像》をめぐるスキャンダルから逃れて彼がイギリスへとやってきた直後に制作されています。
制作にあたってサージェントは夕闇の光を美しく描くことに注意を払い、1885年の9月から11月にかけて毎日、理想的な夕暮れの光に包まれた短い時間に少しずつこの作品を描き進めていきました。その結果として作品全体に夕暮れの紫がかった美しい色合いが表現されているのです。

《イザベラ・スチュワート・ガードナー》1888年

(Public Domain/‘Isabella Stewart Gardner’ by John Singer Sargent. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1888年に制作された作品で、現在はイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館に所蔵されています。イザベラ・スチュワート・ガードナーはアメリカでも最大級のプライベート・コレクションを持つアート・コレクターで、サージェントは共通の友人である小説家のヘンリー・ジェイムズの紹介でガードナーと交流を持つことになります。

(Public Domain/‘Isabella Stewart Gardner’ Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

ガードナーは《マダムXの肖像》を称賛しており、サージェントの芸術を理解する強力なパトロンでもありました。彼女はサージェントの作品を生涯に60点も購入しています。
1888年にサージェントがボストンに滞在していた際、ガードナーは自身の肖像画を描くようにと依頼しており、制作にあたっては顔の部分を彼女が気にいるまで何度でも描き直させたと言われていま

この肖像画が完成した時、彼女はその出来栄えに満足してボストンのセント・ボトルフ・クラブに展示しました。しかし彼女の夫はこの作品をひどく嫌い、自分が生きている間は二度と公開しないようにと妻に頼んだそうです。この作品も《マダムXの肖像》と同じように様々なゴシップの種になっており、そのことも関係していたのかもしれません。

■おわりに

ジョン・シンガー・サージェントはイタリアとフランスで美術教育を受けたあと、さまざまな作品をサロンに出品していきますが、その中の《マダムXの肖像》が大きなスキャンダルとなり、ロンドンに移住せざるを得なくなってしまいます。しかしその後サージェントはイギリスで肖像画家としての地位を確立し、母国アメリカの公共建築にも貢献するなど、19世紀を代表するアメリカ人芸術家となっていきました。

《マダムXの肖像》によるスキャンダルの際には、誰がそんなサージェントの人生を想像したでしょうか。サージェントの作品は、世界各地の美術館に所蔵され、人々を惹き付け続けています。

《マダムXの肖像》によるスキャンダルの際には、誰がそんなサージェントの人生を想像したでしょうか。サージェントの作品は、世界各地の美術館に所蔵され、人々を惹き付け続けています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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