モーリス・ド・ヴラマンク:フォーヴィスムを代表する画家

モーリス・ド・ヴラマンクは1876年フランス、パリのレアールで生まれました。芸術に造詣の深い両親のもとで生まれ育ったヴラマンクは幼いころから芸術に関心を持ち、アンドレ・ドランやアンリ・マティスらとともにフォーヴィスムの活動に身を投じていくことになります。そんなブランマンクの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■モーリス・ド・ヴラマンクとは

モーリス・ド・ヴラマンクは1876年フランス、パリのレアールで生まれました。父エドモンド・ジュリアンはヴァイオリンの教師、母ジョセフィーナ・キャロライン・グリエはピアノの教師という、芸術に造詣の深い両親のもとで生まれ育ちました。幼少の頃は父親からヴァイオリンを教わっていましたが、絵を描き始めたのは10代後半と遅く、専門的な教育はほとんど受けずに独学で絵を描き始めます。

16歳の時に家を飛び出したヴラマンクは、シャトゥーに居を構え、18歳のときには最初の妻であるスザンヌ・ベルリーと結婚。当時は自転車選手をしたり、オーケストラでヴァイオリンを弾いたりして生計を立てていたといわれています。

(Public Domain/‘André Derain’ by Meurisse press agency. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1900年にはヴラマンクの生涯の友となる画家アンドレ・ドランと出会います。2人は絵画の話で意気投合し、それをきっかけとして共同のアトリエをもち、ヴラマンクも作品制作に力を入れるようになります。その翌年シャトゥー近郊に移ったヴラマンクは、ドランやアンリ・マティスといったフォーヴィスムを代表する画家たちと展示を行いました。当時のヴラマンクの作品はヴィンセント・ファン・ゴッホの影響を受け、多様な色を大胆に用いたものでした。

新しい表現を生み出した画家として注目されたものの、まだまだ職業画家として身を立てるには程遠く、1902年から1903年の間には挿絵を描いたり、ヴァイオリン教室を行ったりして生計を立てていました。またミュージカルバンドと演奏もしていたという記録が残っており、画業に限らずさまざまな活動を行っていました。

1905年にはサロン・ドートンヌに参加。アンリ・マティス、アンドレ・ドラン、アルベール・マルケ、キース・ヴァン・ドンゲン、シャルル・カモワン、ジャン・ピュイらと作品を展示しましたが、その激しい色使いは論争を呼び、批評家ルイス・ヴォクセルは「あたかも野獣(=フォーブ)が檻の中にいるようだ」と評したことから、フォーヴィスムと呼ばれるようになっていきます。

1913年にはドランやマティスらと共同でマルセイユにアトリエを構え、作品制作にいそしむ生活を続けました。しかし第一次世界大戦が勃発するとパリ郊外の小さな村リュイユ=ラ=ガドゥリエールに移り、1925年からはフランス国内を旅行しながらパリ近郊のセーヌ川を題材に描き続けていました。

一世を風靡したフォーヴィスムですが、次の新しい表現としてパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックらのキュビスムが台頭するとヴラマンクは憤慨し、「フランス絵画を悲惨な結末と混乱状態に陥れた」としてピカソを非難します。1942年に発刊された雑誌「Comoedia」ではキュビスムやピカソを批判する記事を書いたほどでした。

画家としてだけでなく文筆家としても執筆活動を行い、1958年に82歳で亡くなっています。ヴラマンクの力強いタッチの作品は、世界中の美術館に所蔵されています。

■ヴラマンクの作品

ヴラマンクは自身の才能を強く信じた画家であり、それまでの伝統や表現を拒否したことで有名です。しかしその一方でゴッホやセザンヌの影響を受けたことが作品を通して伝わります。

またヴラマンクのタッチは絵具チューブから絞り出したそのままの絵の具を塗りつけたように荒々しく、それでいて明るさと陰鬱さが漂っているのが作品の大きな特徴です。そんなヴラマンクの作品はどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

《シャトゥー》1906年

本作品は1906年に制作された作品で、現在は日本のポーラ美術館に所蔵されています。セーヌ川沿いの小さな村シャトゥーを描いたもので、この村は1837年にパリと鉄道で結ばれて以来、舟遊びができる行楽地として有名でした。

ヴラマンクは10代後半からシャトゥーで作品を制作するようになり、アンドレ・ドランとは共同のアトリエを構えるなど、ヴラマンクにとってシャトゥーは画家としてのはじまりの地でもあります。画面手前の木には赤や黄色、ピンク、緑、青など様々な色を用いて明るく塗られているのが特徴です。

《赤い木のある風景》1906年

本作品は1906年に制作された作品で、現在はフランスのポンピドゥー・センターに所蔵されています。1905年のサロン・ドートンヌに参加し、フォービスムの画家として知られるようになったころに制作された作品です。本作品では木の本来の形にとらわれることなく、感覚的に描かれているのが特長です。キャンバスは青い絵の具で埋め尽くされており、その上に鮮やかな赤が載せられています。ヴラマンクは本作品について「私は衝動的に青の上に赤を使い、私が描いているものについて考えずに、私のブラシで気持ちを表現したかった」と語っています。

《橋》1912年-1913年

本作品は1912年から1913年にかけて制作された作品で、現在はウェールズ国立博物館に所蔵されています。ポール・セザンヌから大きな影響を受けたと思われる作品で、プーシキン美術館に所蔵されている《クレテイル宮殿にかかる橋》の構成を参考したと考えられます。ヴラマンクも含め、セザンヌは若い画家たちの尊敬を集めており、多くの画家たちがセザンヌから新しい表現を学び取ろうとしていました。

《湖》1913年

本作品は1913年に制作された作品で、現在は日本のポーラ美術館に所蔵されています。1907年のサロン・ドートンヌに展示されたセザンヌの作品を目にしたヴラマンクは大きな衝撃を受け、その後セザンヌの画面構成や技法を研究するようになりますが、本作品はそうした試行錯誤の中で描かれた作品であると考えられています。

作品に描かれた光景はアヌシー湖の風景であると考えられており、セザンヌも同地で作品を制作しています。左右の内側に傾いた木々はおそらく実際にあるものではなく、セザンヌの《大水浴図》を参考にしたものであると考えられており、いかにヴラマンクにとってセザンヌが大きな存在であったかがわかります。

■おわりに

ヴラマンクは自分の才能以外の何物も信じず、絵画を描くに至ってもあらゆる伝統や教育を拒否し、ほとんど独学で自身の表現を探求した画家です。

親友アンドレ・ドランをはじめ、アンリ・マティスやアルベール・マルケらとフォーヴィスムの画家として一躍有名になったヴラマンクでしたが、その後もセザンヌを研究し新しい表現を確立するなど、常に新しい表現を追求し続けた生涯でした。その力強いタッチは今もなお、人々を惹き付けてやみません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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