ルネ・ラリック:ジュエリー・デザイナーからガラス工芸家へ

(Public Domain/‘René Lalique’ by Aaron Gerschel. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

ルネ・ラリックは1860年フランス、シャンパーニュに生まれた芸術家です。アール・ヌーヴォーとアール・デコの両時代に渡り活躍したことでも知られており、当初はジュエリー・デザイナーとしてキャリアを確立したものの、50歳過ぎになってからガラス工芸の経営者に転身するなど、さまざまな工芸に取り組んだ多彩な人物でもありました。そんなルネ・ラリックの生涯と作品とは、どのようなものだったのでしょうか。

■ルネ・ラリックとは

ルネ・ラリックは1860年フランス、シャンパーニュ地方のマルヌ県アイ村に生まれました。1876年にパリの装飾美術学校に入学し、金細工師であったルイ・オーコックの指導を受け、1878年から1880年まではイギリスのサイデナム・カレッジで学ぶなど、装飾美術の技術を高めていきました。

※画像はイメージです。

ラリックはパリから戻ると1882年からジュエリー・デザイナーとして独立し、1885年にはパリのヴァンドーム広場にアトリエを構えるほど成長します。

(Public Domain/‘Sarah Bernhardt’ by Napoleon Sarony. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

ラリックの優美なデザインは上流階級の女性たちに好まれ、カルティエなどの有名宝飾店に作品を提供するほか、当時一世を風靡していた舞台女優サラ・ベルナールも顧客の一人でした。くわえて1900年のパリ万国博覧会でもジュエリー作品が大きな注目を集め、ラリックの名前は国内ではもちろん、国外にも知れ渡るようになっていきました。

こうして一躍売れっ子デザイナーになったラリックでしたが、ファッションの流行がボリュームのある服装からシンプルなラインを強調するスタイルに変化すると、派手な装飾は好まれないようになり、ラリックのジュエリーは時代遅れのものになっていってしまいます。1905年ごろには批評家たちから「悪趣味」といわれるほどになっており、ラリックは新しい挑戦を考えるようになりました。

(Public Domain/‘Francois Coty’ by André Taponier. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

そんな時にラリックの転機となる仕事が舞い込みます。それは1908年フランスの香水商で実業家であったフランソワ・コティの依頼により、香水瓶とラベルのデザインを担うことでした。当時優美なデザインの瓶に香水を詰めて販売するというのは斬新な試みであり、これをきっかけとしてラリックはガラス工芸に興味を持つようになっていきます。そしてついにラリックはパリ東方のコン=ラ=ヴィルにあったガラス工場を借り、本格的にガラス工芸品の生産に着手します。

1918年にはアルザス地方のヴァンジャン=シュル=モデールに新しい工場の建設を始め、このころのラリックはジュエリーからは完全に離れ、ガラス工芸に専念するようになっていました。香水瓶や花瓶、置時計やテーブルウェアといったガラス工芸品を手掛けるようになり、1920年代ごろからはガラス工芸家として人気作家のひとりにまでなっていました。

ラリックの幻想的で、それでいて優美な表現は当時の人々を魅了し、1925年にパリで行われた現代装飾美術・産業美術展ではラリックのために一つのパビリオンが与えられたほどでした。このころラリックは優美な曲線と自然のイメージを用いるアール・ヌーヴォーから幾何学的な文様を採用するようになり、これがのちのアール・デコにつながったと考えられています。

1920年代から1930年代においてはオリエント急行などをはじめとした室内装飾を担当するようになり、シボレーやジャガー、ロールスロイスのカーマスコット、ステンドグラスや噴水などガラス工芸にとどまらずさまざまな分野に活動の場を広げていきました。

こうしてジュエリーからガラス工芸、多様な分野へと挑戦の場を広げていったラリックですが、晩年はリューマチが悪化したためデッサンが描けなくなり、1920年代からは娘のスザンヌが手掛けることもありました。ラリックは1945年5月1日に85歳の生涯を閉じ、事業は息子のマルクが引き継ぎました。近年までラリックの孫娘であるマリー=クロードが経営に携わっていましたが、1994年に株を売却したことにより、血縁者は完全に経営から手を引いた形になりました。

■ラリックの作品

ラリックは当初はジュエリー・デザイナーとして活躍し、その後はガラス工芸、そして室内装飾やステンドグラスなどの多様なジャンルで作品を制作した多彩な作家です。ジュエリーを扱っていた際には宝石や動物の骨といった当時のジュエリー界では珍しい素材を用いており、ガラス工芸作品においては光の当たり方によって色合いが微妙に変化するオパルセント・グラスを用いるなど、それまでの表現からは考えられないような素材を用いることで新しい表現を生み出していきました。そんなラリックの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

《妻アリスのためのネックレス》 1899年

本作品は1899年に制作された作品で、現在はメトロポリタン美術館に所蔵されています。このネックレスはラリックの2番目の妻となったアリス・ルドリュのためにデザインされたもので、金色の女性の裸体と2羽の白鳥のモチーフ、そして金のフレームに乗った丸いオパールのモチーフをつなぎ合わせることで豪奢で美しいかたちを創り出しています。

ラリックはオパールやエナメル、象牙などそれまでジュエリー・デザイナーが用いることのなかった斬新な素材を好んでいたことで有名で、本作品はそうしたラリックの傾向を表しています。動植物や女性の姿などを曲線的にデザインするスタイルはまさにアール・ヌーヴォーを代表する作品といえます。

《ダナイデス》 1926年

本作品は1926年に制作された作品で、現在はラリック美術館に所蔵されています。ダナイデスとはギリシア神話に登場するアルゴス王ダナオスの50人の娘たちのことで、彼女たちはダナドスの双子の兄弟アイギュプトスの50人の息子たちと結婚することになってしまいます。しかし父親は娘たちに夫を殺害するように命じ、一人を除いて結婚初夜に自らの夫を殺害してしまいます。その罰としてダナイデスたちは冥界で穴の開いた器で永遠に水を運び続けることになったのです。

本作品にはラリックが好んだオパルセント・ガラスと呼ばれる乳白色のガラスが用いられており、光の効果で様々な色合いに変化するという特長が活かされ、娘たちの優美な曲線や流れる水に美しい光を加えています。

《ノートルダム・ド・フィデリテ修道院礼拝堂》 1930年

本作品は1930年に制作された作品で、現在はドゥーヴル=ラ=デリヴランドに所蔵されています。ラリックは1920年代から教会の内装を手掛けており、本作品はそうしたラリックの教会装飾作品のひとつになります。

1930年にノートルダム・ド・フィデリテ修道院は100周年を迎えることになり、ガラス製の十字架の制作を依頼しますが、ラリックは十字架だけでなく礼拝堂の装飾全般のデザインを申し出、祭壇や照明、窓などをガラスで制作しました。礼拝堂の中心となる十字架にはすりガラスでキリストの姿がかたどられており、祭壇や窓には聖母マリアと百合の花がデザインされており、ラリックらしい優美な作品に仕上がっています。

■おわりに

ルネ・ラリックは当初ジュエリー・デザイナーとして活躍していたものの、流行の移り変わりによってガラス工芸に携わるようになります。その後も教会の室内装飾やステンドグラス、噴水など活動の場は多岐にわたるようになっていきましたが、ラリックの作品の斬新さはそうした新しい表現に挑戦していくラリックの姿勢から生み出されているのかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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