ドーム兄弟:アールヌーヴォーと新しいガラス技法

ドーム兄弟は19世紀後半から20世紀前半にかけてアールヌーヴォーを代表するガラス工芸家として活躍した兄弟です。兄オーギュストは1853年に、弟アントナンは1864年に、ガラス工芸メーカーのオーナー一族として生まれました。エナメル絵付けをはじめとして新しいガラス工芸の技法を開発し、ガラス工芸の表現を一段と高めたドーム兄弟の生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ドーム兄弟とは

(Public Domain/‘Dome Brothers (Auguste,Antonin)’ by Jean Daum. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

オーギュスト・ドームとアントナン・ドームのドーム兄弟はフランス、ロレーヌ地方のビチュに生まれました。ドーム兄弟の父ジャン・ドームは公証人であり、家族で穏やかに暮らしていましたが、1870年から始まる普仏戦争によって、状況は一変。1872年になると一家はアルザスからナンシーに移り住むことになります。

ドーム兄弟の父ジャンはナンシーで実業家たちと交流するようになり、1875年には経営破たんしたガラス工場である「ヴェルリー・サント・カトリーヌ」を買収、以降ガラス工芸の事業を行っていくことになります。もともと「ヴェルリー・サント・カトリーヌ」は1873年から74年ごろに創業し、もともとはゴブレットや香水瓶などの日用品を製造していたものの、当初より経営はうまくいっていませんでした。ジャンは創業時から経営者たちと親交があり、資金援助も行っていたため、それが縁で買収に至ったものと考えられます。その後は1878年に「ヴェルリー・ナンシー」という会社の事業を引き継ぎ、さらに事業は大きくなっていくことになります。

そうして大きくなった事業はとても父親だけでは切り盛りできない規模になり、それを見かねた長男のオーギュストは法律の勉強を中断し、1879年からガラス工芸の仕事を手伝うようになりました。ジャンが1885年に亡くなると、弟のアントナンも事業に加わることになり、ここからドーム兄弟のガラス工芸の歴史が始まることになります。

ドーム兄弟は、事業を運営していく上で、兄オーギュストは経理やマーケティングを行い、弟のアントナンは生産工程の責任者の仕事を受け持ちました。そうした役割分担は功を奏し、会社の経営は軌道に乗っていきます。

またこのころエミール・ガレもナンシーにガラス工場を設立します。エミール・ガレは植物や虫をモチーフとして取り入れたガラス工芸でアールヌーヴォーを代表する人物となっており、アールヌーヴォーの芸術家たちが集まる学校の名誉会長となっていました。

もちろんガレの作品は1889年のパリ万国博覧会においてガラス工芸で金賞、陶器作品で金賞、家具作品で銀賞を収めるなど、当代随一の工芸家であることは間違いありませんでした。そんなガレの功績を目にしたことで、ドーム兄弟も大きな影響を受けていきました。

1891年になるとアントナンは新しく美術部門を設立、工房にはエコール・ド・セーブルの出身のチャールズ・シュナイダー、アンリ・ベルゲそして、アマリック・ウォルターといった若き陶芸家たちが参加することになります。こうしたメンバーは新しい技術の開発に余念がなく、1906年にはガラス鋳造の技術を提案、アールヌーヴォーの作品100点余りが新しく生み出されていきました。こうした技術の革新もあり、1900年のパリ万国博覧会ではグランプリを獲得。これでドーム兄弟のガラス工芸はガレと同等の地位にあると認められたことになり、国内外にドーム兄弟の名前は広まっていきました。

ドーム兄弟は新しい技術の開発に力を注いでおり、ガラス素地に絵模様を描いて、さらにガラスをかぶせることで模様に奥行きを作る「アンテルカレール」という技法を開発。1899年には特許を取得しています。また1910年ごろからは色ガラスの粉をまぶしつける技法である「ヴィトリフィカシオン」を開発し、色彩が複雑にまじりあう重厚な色調の作品を製造しました。

こうしたドーム兄弟の功績はエミール・ガレにも認められることになり、1901年にはエコール・ド・ナンシーの教頭に任命。1898年には電球を二個使い、ガラスフードと細身の足でできたテーブルランプを発案し、この作品がパリ万国博覧会でグランプリを獲得します。

フランス国内はもちろん、国外でもその技術力の高さが認められたドーム兄弟でしたが、第一次世界大戦が勃発すると美術部門は閉鎖。戦時中は医療関係のグラスを生産し、工芸品としてのガラス製品はオーギュストの息子であるポールが引き継いでいきました。第一次世界大戦が終結するとアールデコ調のスタイルで、そののちは透明クリスタルのガラスの置物を生産するなどして、20世紀のガラス工芸の歴史を築き上げていきました。

■ドーム兄弟の作品

ドーム兄弟のガラス工芸は、エナメル彩色やヴィトリフィカシオンといった独自の技法が特長です。またドーム兄弟の工房で制作されたガラス工芸品にはマークが入っており、これはフランス北東部のロレーヌを象徴する紋章で、ロレーヌ十字やエルサレム十字と呼ばれています。キリスト教のシンボルである十字架に一本棒を加えたもので、横棒は「ユダヤ人の王イエス」と記された罪標を示しているといわれています。こうしたマークからも、ドーム兄弟がいかにロレーヌへの愛郷心をもっていたかが伺えます。そんなドーム兄弟が生み出したガラス工芸の作品とはどのようなものだったのでしょうか。

《風雨樹林文花器》1898年-1902年

本作品は1898年から1902年に制作された作品で、雨に打たれ風にたわむ木々を表現した作品です。ガラスの表面に雨のしずくを浮き彫りにしており、情景を立体的に表現しています。デザインはアンリ・ベルジェによるものですが、雨を線で表す表現は葛飾北斎や歌川広重など浮世絵版画の影響を受けたものではないかといわれています。同じような図柄を用いて制作された作品は非常に多く、このイメージをドーム兄弟が非常に好んでいたことが伺えます。

《すみれ文ランプ》1900年

本作品は1900年に制作された作品で、すみれの繊細な姿を描いた作品です。エッチングとエナメル彩色を用いることにより、すみれの生き生きとしたかたちと鮮やかな色が表現されており、ランプによって幻想的なイメージとして浮かび上がります。

■おわりに

オーギュスト・ドームとアントナン・ドームのドーム兄弟は父のガラス工芸工場を引き継いだことにより、はじめてガラス工芸の道に進みましたが、彼らは伝統的な表現はもとより、「アンテルカレール」や「ヴィトリフィカシオン」といった新しい技術も開発。当時ガラス工芸の第一人者として有名であったエミール・ガレにも評価されるようになり、若手の中でも注目するべきガラス工芸家として国内外に知られるようになっていきました。

オーギュスト・ドームは1909年、アントナン・ドームは1930年に亡くなっていますが、現在でもドーム兄弟のガラス工芸事業は受け継がれており、フランスでの世界的クリスタルブランド「クリスタル・ドーム」として存続しています。ここまでドーム兄弟のガラス工芸が受け継がれているのは、これまでの技術に満足することなく、新しい技術や才能をどん欲に取り入れる、ドーム兄弟の指針が活かされているからなのかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧