ジョルジュ・スーラ:点描の画家

ジョルジュ・スーラは1859年にフランス、パリに生まれた画家です。スーラは印象派の画家たちが用いた「筆触分割」という方法を応用し、点の集合を描いていく「点描」という方法を編み出しました。点描は非常に数学的かつ合理的なもので、構図や色彩、光などを緻密に計算されたこれまでにない新しい表現方法でした。そんなスーラの生涯と作品とは、どのようなものだったのでしょうか。

■ジョルジュ・スーラとは

ジョルジュ・スーラは1859年、フランス、パリのレナ・ブーランジェ通りの家で生まれました。父アントワーヌ・クリュソストモス・スーラはシャンパーニュ出身の法務職員で、不動産投資に成功して裕福になった人物でした。スーラは幼いころから芸術に関心を持っており、マゼンダ通りにあった自宅近くの私立学校で彫刻家のジャスティン・ルキエンの指導を受けました。

1878年になると国立高等美術学校エコール・デ・ボザールに入学し、ヘンリ・レイマンの指導を受けます。エコール・デ・ボザールでは彫刻のデッサンや巨匠絵画のドローイングなどであり、非常にアカデミックなものでした。フランス最高の美術教育を通して、スーラの作品はコントラストや構図において非常に理論的なものになっていきました。

その後1年間兵役に就いたのち、スーラは再びパリに戻り友人のアマン・ジャンとアトリエを構えます。このころスーラが熱中したのはモノクロによる素描技術であり、1883年には最初の素描作品がパリ・サロンで展示され、注目を集めます。この作品は23歳のスーラにとって初めて展示された作品であり、ともに制作活動を行っていたアマン・ジャンの肖像画でした。

(Public Domain/‘Portrait of Edmond Aman-Jean’ by Georges Seurat. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《アマン・ジャンの肖像画》では古典的とも思えるバランスの取れたポーズに、ジャンの思慮深い横顔が表現されており、非常に印象的な作品となっています。また作品全体に明暗のコントラストが効果的に用いられており、理知的でありながら、どこか劇的な効果も生み出しています。

同年、巨大なキャンバス作品である《アニエールの水浴》を制作。パリ労働者階級の人々が住む郊外で、水浴を楽しむ若い男性が描かれています。この作品においてスーラが注目したのは印象派の色使いであり、新古典主義的な緻密な構図に鮮やかな色彩が施され、《アニエールの水浴》が制作されたころから徐々にスーラの作風に点描の兆しがみえるようになっていきます。

《アニエールの水浴》はスーラの記念碑的な作品となったものの、サロンでは拒否され、1884年に開催された「独立芸術家集団」展で展示されます。しかし展覧会を運営する組織はすぐに解散してしまい、それに幻滅したスーラはシャルル・アングランやポール・シニャックとともに「独立美術協会」を設立。会費さえ払えばだれでも無審査で出品できる「アンデパンダン」展を開催します。

こうした新しい表現の場を作る一方で、スーラは新しい表現技法の研究にも力を注いでいました。1884年には《グランド・ジャット島の日曜日の午後》の制作に取り掛かります。この作品はあらゆる社会階級の人々が公園でそれぞれ楽しんでいる様子を描いたもので、隣り合わせになる色を変えることで、離れたところから見ると視覚混合が起こり、絵の具を混ぜて色彩を表現するよりもより明るく表現することができるという効果を創り出しました。

《グランド・ジャット島の日曜日の午後》はまさに点描表現を確立した作品であり、シニャックやカミーユ・ピサロなどは点描に関心を持ち、新しい画家たちにも広まっていきました。点描を用いる画家たちは新印象派と呼ばれ、新しい表現の画家たちとして世の注目を集めていきます。

しかしこうした新印象派の動きに対してモネやルノワールといった印象派の作家たちは否定的な姿勢を見せます。そのためスーラは第8回印象派展に推薦されたものの、印象派の画家たちと同じ部屋で展示することはありませんでした。

こうした印象派の画家たちと不和があったものの、スーラは点描を室内画や夜の人口の灯りのもとでの表現などに応用していき、美術史に残る作品を制作していきました。しかし1891年、スーラは31歳という年齢でその生涯を閉じてしまいます。死因は不明ですが、髄膜炎や肺炎であるといわれています。

■ジョルジュ・スーラの作品

スーラはアカデミックな教育を通して色彩や構図に理論を持ち込んだ画家です。そのスーラの最たる表現が点描であり、色彩混合による表現はキャンバスをより明るく表現するという新しい表現を生み出しました。そんなスーラの作品とは、どのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

《アニエールの水浴》1883年-1884年

(Public Domain/‘Bathers at Asnières’ by Georges Seurat. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1883年から1884年に制作された作品で、現在はナショナル・ギャラリーに所蔵されています。パリの郊外のセーヌ川沿いにあるアニエールでは労働者が多く住んでおり、本作品で描かれているのはそうした労働者たちが日光浴や水浴、ボート遊びなどを楽しんでいる様子です。

作品全体において用いられているのは印象派的な表現であり、のちのスーラの作品に見られる徹底した点描描写はまだ行われていません。しかしところどころで点描が用いられており、このころからスーラが点描の研究を行っていたことがわかります。

《グランド・ジャット島の日曜日》1884年-1886年

(Public Domain/‘A Sunday afternoon on Île de la Grande Jatte’ by Georges Seurat. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1884年から1886年に制作された作品で、現在はシカゴ美術館に所蔵されています。作中で描かれているのはセーヌ川の島の郊外にある公園のひとときで、さまざまな社会階級の人々がそれぞれ休日を楽しんでいる様子が描かれています。

スーラは《グランド・ジャット島の日曜日》を描く上で、野外で見える色の研究や光学現象に関する科学の本も読んでおり、色相や色調、網膜によってもたらされる色彩混合の考え方など点描で表現するための基本的な理論を作り上げていきました。本作品は1886年に行われた最後の印象派展に出品さ、スーラの記念碑的な作品となりました。

スーラはこの作品を数回描き加えており、最初は小さく水平に動かす筆使いで補色を使い塗り重ねていたものの、1889年には赤やオレンジ、青などで境界線を描き加えています。点描の記念碑的な作品とされている本作ですが、スーラにとっては点描の実験的な作品であったといえるかもしれません。

《サーカスの客寄せ》1887年-1888年

(Public Domain/‘The Circus Parade ’ by Georges Seurat. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1890年から1891年に制作された作品で、現在はメトロポリタン美術館に所蔵されています。作品に描かれているのは当時のパリでもっとも人気のあるアトラクションであったサーカスの一場面で、ガス灯の下でトロンボーンを吹く男性を中心に街を行き交う人々が表現されています。

《グランド・ジャット島の日曜日》などスーラは陽の光のあたるモチーフを主に扱ってきましたが、ここでは夜の街灯による表現にも挑戦しています。青が印象的に用いられることで、作品全体に幻想的な空気が漂っています。

■おわりに

ジョルジュ・スーラはエコール・デ・ボザールで学んだ後、新しい表現を追求するようになり、点描を編み出した画家です。スーラの表現は新印象派と呼ばれるようになり、のちの画家たちに大きな影響を与えていきました。スーラ自身は31歳という若さで亡くなってしまいますが、もし長生きしていたらどのような作品を創り出していたのでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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