ジェームズ・アンソール:仮面の画家

ジェームズ・アンソールは1860年ベルギーのオーステンデに生まれた画家です。その仮面や骸骨をモチーフとした独特な表現は、最初こそ異端児と嘲笑されたものの、20世紀からは徐々に人気が高まり、フランスのレジオン・ドヌール勲章を受章するほどでした。そんなアンソールの生涯や作品はどのようなものだったのでしょうか。

■ジェームズ・アンソールとは

ジェームズ・アンソールは1860年、ベルギー西部のウェストフランデレン州にある都市オーステンデに生まれました。父親のジェームズ・フレデリック・アンソールはブリュッセル在住のイギリス人画家で、母親マリア・カテリーナ・ヘーゲマンはベルギー人という家庭でした。観光客相手の土産物店を営んでいたアンソール家は、民芸品や貝殻、カーニバルの仮面などを販売しており、のちにこの仮面はアンソールの作品における重要なモチーフとして登場することになります。

アンソール自身、絵への関心は高かったものの、いわゆるアカデミックな教育には関心がなく、15歳で学校をやめると、地元の画家のもとで絵画の基礎を学び始めます。

(Public Domain/‘Fernand Khnopff’ by N.A.. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

1877年には首都ブリュッセルの王立美術アカデミーに入学。アカデミーでは生涯を通じる友人となるフェルナン・クノップフと出会い、また1881年にははじめて個展を開催するなど、画家として順調なスタートを切ることができました。

アンソールは美術アカデミーで学んだ3年間を覗いて、長い生涯のほとんどを故郷であるオーステンデで過ごしており、両親の家の屋根裏部屋をアトリエとして制作活動を行っていました。旅行にはほとんど出かけず、1880年代にフランスに3回、オランダに2回旅行し、1892年には4日間のみロンドンに滞在するなど、孤独の中で制作することを好む画家でした。

そんなアンソールの作品はスキャンダラスなものが多く、その中でも《1899年、ブリュッセルに入城するキリスト》は非難の的になりました。当時の批評家たちはアンソールを無秩序で危険な人物と評しており、これに反抗したアンソールも1887年の版画《立ち小便をする人》で「アンソールは狂人だ」と書かれている壁に向かって小便をしている芸術家を描くなど、アンソールと鑑賞者、批評家の間には長く強い隔たりがあったのです。

しかし徐々にアンソールの作品は受け入れられるようになり、1895年の作品《ランプを持つ少年》はブリュッセルにあるベルギー王立美術館が購入し、1933年にはレジオン・ドヌール勲章を授与されるなど、評価は高まっていきました。

20世紀に入るとアンソールは絵画制作ではなく、演奏の時間を多くとるようになり、オルガンの即興演者として人前で弾く機会を持つようになっていきました。第二次世界大戦の砲撃の際にもアンソールはオーステンデにとどまり、1949年11月19日、病気で89歳の生涯を閉じています。

アンソールの作品

アンソールは初期には原色を多用した室内情景や静物画を描いていたものの、その後は仮面や骸骨をモチーフとして描くようになり、その独特の表現はパウル・クレーやエミール・ノルデといった多くの画家たちに多大な影響を与えました。また20世紀の美術運動である表現主義やシュルレアリスムなどにも影響を与えたことから、20世紀美術の先駆者としても高く評価されています。

そんなアンソールの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

《1899年、ブリュッセルに入城するキリスト》1889年

(Public Domain/‘Christ’s Entry into Brussels’ by James Ensor. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1889年に制作された作品で、現在はJ・ポール・ゲティ美術館に所蔵されています。本作品はアンソールが描いた中でもっとも有名な作品の一つで、お祭り騒ぎになっている群衆がロバの上に腰かけているキリストに押し寄せている様子が描かれています。この主題は伝統的に描かれてきたものですが、タッチや作風はまったく異質なもので、多くの批評家から非難の的になりました。

アンソールがこの主題を通して何を描こうとしたのかは明確ではないものの、前景に描かれているマスクをかぶっているような人々の群れは遠景になるにつれて遠近法の消失点があいまいになるなど、新しい空間表現に挑戦しようとしていたのではないかと思われる節もあります。また人々をさまざまな角度で描き、不飽和色を並べることで群衆の群れを表現する方法は、ポール・ゴーギャンが用いていた方法で、同時代の画家たちの手法を研究していたのではないかとも考えられます。

《聖アントニオスの誘惑》1887年

本作品は1887年に制作された作品で、現在はシカゴ美術館に所蔵されています。本作品で主題になっている聖アントニウスとは、エジプトのキリスト教聖人大アントニウスのことで、古くはヒエロニムス・ボス、マティアス・グリューネヴァルト、マルティン・ショーンガウアーなどが主題として作品を描いています。また20世紀においてもサルバトール・ダリが聖アントニウスへの誘惑をモチーフとして作品を描くなど、長くヨーロッパの画家たちの間で好まれてきた主題でした。

アンソールの《聖アントニウスの誘惑》は、キャンバスの上に51枚の紙をつなぎ合わせられており、それぞれの紙に描かれている絵はバラバラに制作されたものの、線をつないで立体感を打ち消し、一つの作品に仕上げています。

本作品でアンソールが描こうとしたのは、何だったのでしょうか。一説には当時の経済悪化や政情不安にあえでいたベルギー社会に対して抱いていた不安や衝動であるといわれており、その感情がゆがみや誇張、不気味さに表現されているといわれています。

《酢漬けのニシンを奪い合う骸骨たち》1891年

本作品は1891年に制作された作品で、現在はベルギー王立美術館に所蔵されています。ピンクと紫のパステルカラーの空を背景に、2体の骸骨たちが酢漬けのニシンをお互い口に加えている様子が描かれており、空は明るい色であるのに対し、骸骨たちが暗色で表現され、画面の中に強いコントラストを作り上げています。

この作品はアンソールに否定的な評価を下していたエドワルド・フェティスとマックス・サルバーガーへの当てつけとして描いたといわれており、攻撃的な批判に引き裂かれようとしているニシンの酢漬けは、なんとアンソール自身であるともいわれています。

アンソールは「私の好きな仕事は誰かを有名にしたり、醜くしたり、醜さをさらに増幅させたりすることだ」と語っており、身の回りの出来事を奇妙な画題として描くことで、自らの意志を示す機会としていました。そうした意味では風刺画家としての側面もあったのかもしれません。

■おわりに

ジェームズ・アンソールは1860年ベルギーのオーステンデに生まれ、ブリュッセルの王立美術アカデミーで学ぶも、その生涯をほとんど故郷のオーステンデで過ごしました。実家の土産物屋で商品として売られていたことに端を発する仮面は、アンソールの主要なモチーフとなり、その不気味な画風は批評家たちを戸惑わせ、時に攻撃的にさせました。

しかしその独特な画風は20世紀に入って高く評価されるようになり、1929年には男爵に列せられ、1933年にはレジオン・ドヌール勲章を得るなど、徐々に高い評価受けるようになっていきました。またシュルレアリスムや表現主義に強い影響を与えるなど、20世紀美術の土台を作った画家といっても過言ではないかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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