エドゥアール・ヴュイヤール:アンティミストの画家

(Public Domain/‘Self-portrait’ by Édouard Vuillard. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

エドゥアール・ヴュイヤールは1868年フランスのキュイゾーに生まれました。モーリス・ドニやピエール・ボナールなどナビ派の画家のひとりとして知られており、室内情景や日常生活など身近に親しい題材を好んでおり、自らを「アンティミスト」と称したことでも有名です。晩年は室内装飾や日本美術に影響を受けた屏風絵など、その制作の幅は絵画のみにとどまることはありませんでした。そんなエドゥアール・ヴュイヤールの生涯と作品とは、どのようなものだったのでしょうか。

■エドゥアール・ヴュイヤールとは

エドゥアール・ヴュイヤールは1868年、フランスのソーヌ=エ=ロワール県キュイゾーに生まれました。ヴュイヤールの父親は退役軍人で、母親とは27歳も離れていました。そのため1884年には父親を亡くしており、その後は奨学金で学業を続けなくてはなりませんでした。コンドルセ高校に進学するとケル・グザヴィエ・ルーセル、モーリス・ドニらと出会い、芸術への関心を高めていきます。

1885年にはディオジェーヌ・マイヤールの絵画教室に入り、絵画の基礎的な訓練を受けます。その後1886年から1888年まではアカデミー・ジュリアンで学び、1887年には三度の入学試験に失敗するも念願のエコール・デ・ボザールに入学。画家としての一歩を踏み始めます。

1890年になるとピエール・ボナールやポール・セリュジエらとナビ派を結成。ナビ派はフランスにおけるポスト印象派のグループで、「ナビ」はヘブライ語で「預言者」を意味します。ナビ派のルーツはポール・ゴーギャンであり、ポール・セリュジエがブルターニュを訪れた際の出来事に端を発しています。

ゴーギャンは、「あの樹はいったい何色に見えるかね。多少赤みがかって見える?よろしい、それなら画面には真赤な色を置きたまえ…。それからその影は?どちらかと言えば青みがかっているね。それでは君のパレットの中の最も美しい青を画面に置きたまえ…。」と指導し、写実的な制作を当たり前と思っていたセリュジエは衝撃を受けます。パリに戻ったセリュジエはこの出来事を仲間に話し、ナビ派が結成。ナビ派の画家たちは19世紀において支配的であった写実主義を否定し、芸術の装飾性を主張するようになっていきました。

1898年になるとヴェネツィアやフィレンツェ、翌年にはロンドンに旅行。ミランやスペイン、ブルターニュなどにも足を延ばし、この時の出来事をもとにさまざまな作品を制作しています。1901年にはサロン・ド・アンデパンダン、1903年にはサロン・ドートンヌで展示し、高い評価を得ます。

1890年には芸術家が協力した文芸雑誌『ラ・レヴューブランシュ』に参加、また1892年には装飾絵画を制作するようになり、それ以降は室内装飾の仕事が増えていきました。1894年にはアレクサンドリア・ナターソン、1898年にクロード・アネット、1908年にバーンスタインらの邸宅の室内装飾を担当しています。そうした仕事が評価され、1937年にはパリのシャイヨ宮の室内装飾、1939年にはジュネーブのパレ・デ・ナシオンの室内装飾を担当しています。

■エドゥアール・ヴュイヤールの作品

ヴュイヤールはドレスメーカーであった母親と暮らしていたこともあり、家庭空間や室内装飾に非常に精通していました。作品にはそうした影響が色濃く表れており、装飾的で複雑なパターン模様がしばしば表れています。また日本美術に強い影響を受けたことでも知られており、日本と西洋絵画を融合させたような屏風絵も好んで描いていました。そんなヴュイヤールの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

《公園(遊ぶ子供たち、問いかけ、乳母、会話、赤い傘)》1894年

本作品は泥絵の具で制作された作品で、現在はオルセー美術館に所蔵されています。ナビ派の画家たちが活動の拠点としていた雑誌「ルヴュ・ブランシュ」の主催者のデ・ナタンソンの兄アレクサンドル・ナタンソンの依頼により制作された作品で、ナタ-ソンの食堂の装飾画として設置されました。

※画像はイメージです

本作品は9点1組のパネル作品となっており、「遊ぶ子どもたち」においては走り回る子どもたちとそれを見守る母親たち。「問いかけ」では母親が帽子をかぶる子どもに何か声をかけている様子が描かれています。それぞれの作品はいずれも親と子どもをテーマとしたもので、日本の版画を思わせるような平面性や明確な輪郭線が特徴的です。ヴュイヤールは日常生活を画題とし、装飾性豊かに表現することを得意としており、本作品はそうしたヴュイヤールの特長がよく表れている作品といえます。

《3つのランプのあるサロン、サン=フロランタン通り》1899年

(Public Domain/‘Le Salon au trois lampes rue Saint-Florentin’ by Édouard Vuillard. Image via WIKIMEDIACOMMONS)

本作品は泥絵の具で制作された作品で、現在はオルセー美術館に所蔵されています。本作品で描かれているのは「ルヴュ・ブランシュ」の主催者タデ・ナタンソンと、その妻ミシアが住むサン=フロランタン通り沿いのアパルトマンの一室であり、このサロンはルヴュ・ブランシュと呼ばれ、画家や詩人、文学者などが集まる場となっていました。ヴュイヤールもこのサロンに出入りしており、この一室を画題とした作品を多数制作しています。

左側にはアルバムをめくるミシア、右側には読書に没頭するタデ・ナタンソン、中央にはロッキングチェアに座っている劇作家ロマン・クーリュスが描かれており、三者三様にくつろぐ様子が表現されています。それぞれ穏やかな表現のように見えるものの、どこかよそよそしさを感じるような静寂が支配しており、なんともいえない絶妙なバランスが場を支配しています。

《アルバム》1895年

本作品は1895年に制作された作品で、現在はメトロポリタン美術館に所蔵されています。タデ・ナタンソンの依頼で制作された本作は5つに連なる大きなパネルに描かれており、絵の中心にはアルバムが描かれています。本作は《3つのランプのあるサロン、サン=フロランタン通り》と同様、ナタンソンのアパルトマンの一室を描いたものであり、暖かみのあるタペストリーのような装飾性のある作品に仕上がっています。

《ヴェルサイユ宮殿の礼拝堂》1917年-1929年

(Public Domain/‘Chapel of the Palace of Versailles’ by Édouard Vuillard. Image via WIKIMEDIACOMMONS)

本作品は1917年から1929年に制作された作品で、現在はオルセー美術館に所蔵されています。ヴュイヤールは作品のほとんどが家族や日常生活のワンシーンをモチーフとしており、そうした意味では公共の場を描いた珍しい一枚となっています。

第一次世界大戦で世の中が混迷する中、ヴュイヤールはヴェルサイユ宮殿の古典様式の装飾に強い関心を抱きます。こうした美しい装飾こそがフランスの精神を表すものであり、礼拝堂を描くことで自信を鼓舞する狙いもあったのかもしれません。

■おわりに

エドゥアール・ヴュイヤールはフランスのキュイゾーに生まれ、ナビ派またアンティミスムの画家として活動しました。ヴュイヤールは絵画にのみならず、舞台セットや衣装のデザインも手掛けるなど、幅広い分野で芸術家としての才能を発揮していきました。特に室内装飾においてはナタンソンやバーンスタインの邸宅やパリのシャイヨ宮といったフランスを代表する建築の室内装飾を担当するなど、その功績は非常に大きなものであり、総合芸術を体現した芸術家の一人といえるかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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