3月のライオン:優しさに包まれた本作の、「優しさ」とはどのようなものなのか

この物語は、様々な人たちが失った何かを取り戻していく、そんなお話。心温まるストーリーと淡い恋模様、そして様々な葛藤を描き、登場人物たちの等身大の思いが大きな反響を呼んでいる。原作は甘酸っぱい恋愛を描いた「ハチミツとクローバー」で有名な羽海野チカ。こちらも本作同様に胸に刺さると大きな評判を得たが、その作者による待望の新作は、さらに多くの人の胸に突き刺さっているようだ。そして視聴者は必ず、胸にじんわりと広がる温かい気持ちを実感する。その根源である優しさに満ち溢れた本作の「優しさ」の所以について、みていこうと思う。

■登場人物たち全員が何かを失っている

本作が心に響くのは何故だろう。人の温かみに触れられるからか、親しみやすい登場人物たちの等身大の気持ちが描かれているからか、胸が熱くなるような熱戦が繰り広げられるからか。どれも心に響く要因にはなると思うが、登場人物たちが全員、何かを失っているからという点が大きいように思える。それを取り戻していったり、少しずつ和らげていったりするから心に刺さるのだろう。

例えば主人公の桐山零は幼い頃に家族を失い、父の友人であった棋士、幸田の内弟子として迎えられる。しかし幸田家では将棋でしか評価されず、幸田家の子どもたちからも冷たい扱いを受けていた。元来から控えめな性格であることから、学校でも友人はおらず、どこに居ても彼の居場所はなかった。誰かに必要とされるのも、認められるのも、将棋を介してしか手にすることができなかった。しかし力をつければ疎む人々もいて、零はただ1人で黙々と、将棋に打ち込むしか拠り所を作れなかった。

幸田家の長女、香子も何かを失った1人。彼女の場合は内弟子として自分の家にきた零に父親をとられた、と感じていた。また、零との力の差を棋士である父親から指摘され、将棋の道も奪われた。大好きな父親に認めてほしいから将棋に精をだしていたのに、パッと出の他人にほしかった立場をとられ、その父親から将棋を諦めろと通告されたのだから、心からポッカリ何かが失われてしまったとしてもしょうがないことだろう。

零の棋士仲間たちも、当てられる焦点の大小問わず何かを失っている人たちだ。
零が敵対心を燃やす後藤九段は悪党のような立ち回りをしているものの、妻が長期入院をしており、密かに寂しさを募らせている描写が見受けられる。零の所属する研究会を開いている島田八段はというと、背負ってきた期待に応えたい気持ち、しかし応えられないという葛藤を抱いている。そして将棋に全てを賭けてきた分、失ったものも多かったようだ。
島田八段と激戦を繰り広げた柳原棋匠はというと、現役最年長ということから、かつての仲間や同志たちをたくさん失ってここまで歩んできた。気付けば1人ポツンと将棋界に残り、その背中には託されたのは数えきれない襷のみ。あまりに重たく、自分の身を縛りつけるものから逃げられずにいた。
そして零のライバルであり、親友の二階堂。彼も零と同じで、将棋しかない幼少時代を過ごしてきた。重い腎臓病を患い、外で遊ぶことは夢のまた夢。友達も当然おらず、そんな彼がヒーローとなれるのが盤上だけだった。二階堂はその明るい性格からは想像もできないほど、寂しい幼少期を過ごしており、将棋以外のものは何ひとつ手にすることが叶わなかったのだ。

そして忘れてはならない本作のキーパーソン一家、川本家。
長女のあかりはとても優しく、まるで母親そのもののような存在である。いつもニコニコ、みんなのために温かい環境を作り、ひなたやモモ、零を包み込んできた。しかしあかりは父親が他に女を作って家を出ていったことを捨てられたと感じており、心に大きな穴を抱えていた。その後に母親も亡くしたことから、穴は広がってしまい、埋まることはなかった。幼かった妹たちの母親代わりにならなければと、しっかりしなければという意思のみで頑張り続けたことも、傷を癒せなかったひとつの理由だろう。何年経っても、いつも明るい家族や零、その他の人たちと接していても、未だ生傷のまま彼女の胸の内には残り続けているようだ。
とにかく元気で、太陽のような次女のひなたは作中きっての元気印のような女の子。妹の面倒を見て、祖父の店を手伝い、周囲に気を配る優しさもある。そして、ひなたの傍にいると自然と元気になれるような、キラキラした存在だ。ひなたはまだ幼い頃に母親を亡くしたことがとても大きなこととして心に残り続けているようだ。あかりがどれだけ母親のような振る舞いをしてくれても、多くの友人や家族に囲まれていても、彼女の中で失ったものの大きさは尋常ではなかった。また、ひなたは中学校でいじめを受けるというエピソードがある。泣きながらも「自分のしたことは間違っていない」と、必死で舵を手放さないよう意思を示しながら抗うものの、いじめのせいで転校してしまった友達、これまでの自信など、大きな傷を負うこととなる。
三女のモモは、まだまだ幼稚園児であるから自分が何を得ていて何を失っているかはまだ分かっていないだろう。ただ、これから成長してくにつれて父親の存在、母親の死と直面しなければならない。そのとき、モモは「失った」あるいは「失っていた」と感じるのだろうか。

まだまだ登場する多彩な登場人物たちも同様で、皆何かしら失ったものがある。「心に何か抱えている」というのは誰でも当てはまるだろうが、「失ったものがある」というのは誰しもが当てはまるとは言えないはずだ。
それでも本作では、その欠片を拾い集めるように、少しずつ、失ったものを取り戻していく。多くの出来事、色々な場面での人々との交流、それらを通して、心に「あたたかい」という感覚を募らせていく。そして彼ら彼女らは、いつか気付くのだろう。あぁ、もう大丈夫だ、ちゃんと手の中にある、と。

その過程がゆっくり、丁寧に、映し出されているのが物語な大きな特徴といえる。同じでないにしろ、どこか共感できてしまうようなエピソード、思わずいいなと思い馳せてしまうようなエピソードがギュッと詰まっている。それは胸にじんわりと広がるように染み渡り、きっとその心地良さを体感できるから、本作は多くの人の心に響くのかもしれない。

■2つの側面

本作は主人公、零を中心として1つの物語を描いているが、その中でも2つの側面があることをご存知だろうか。零は1人の孤独な少年でありながら、職業プロ棋士という側面もある。どちらも共通して様々な人たちと関わっているのだが、前者の「孤独な少年」を色濃く描くエピソードでは主に川本家の面々との関わりを、後者の「プロ棋士」のエピソードでは零と同じプロ棋士たちとの関わりを描いているのだ。
れぞれで零の立ち位置は微妙に異なり、それぞれで見せる表情や心情も異なってくる。これが零という人物の真髄に迫っていくようで実に面白い。その違い、2つの側面についてご紹介しよう。

川本家との物語

川本家は三日月町に住むあかり、ひなた、モモの3姉妹とその祖父で構成される。ときに叔母の美咲も登場し大きなインパクトと重要な立場を務めるが、大きくは3姉妹とのエピソードに絞られる。

川本家と零の出会いは、あるときに道で倒れていた零をあかりが拾ったことがきっかけだった。お酒をさんざん飲まされ泥酔していた零を心配し声をかけたあかりは、放っておけないと家まで連れて帰る。零が翌朝に目覚めると、そこはこぢんまりとしながらも温かさに包まれた空間で、ひなたとモモ、そしてペットの猫たちの姿が。この出会いを機にあかりもひなたも零を気にかけるようになると、最初こそ遠慮していた零も徐々にその環境に溶け込まれていく。零は人に対して壁を作り、遠慮をしてしまう気質の持ち主だ。だが川本家の面々はそんな零の心情を察して、優しく、ゆっくりと接していく。そうしていくうちに、零と川本家の関わりは親密になり、互いにいなくてはならない家族のような存在へとなっていくのであった。

零は川本家をこう言っていた。「あの家はなんかコタツみたいだ」と。1度その温かさに身を預けると、2度と出たくなくなるように。
その温かさはあかりの母性を発揮した接し方、ひなたの明るくほがらかな性格、モモの元気満点な様子、全部が混ざり合って作り出されるのだろう。いつもみんなで楽しそうに、幸せそうに暮らしている3姉妹に纏う雰囲気は柔らかさと愛情で満ちている。また、零を心から大切に思っているという姿勢も影響していることは明らかだ。零はその生い立ちから、他人の気持ちに非常に聡い。例えば相手が自分を欲していないならば、その場に居座るということもしない。けれども、あかりもひなたも零を本当に思い、どんな零でも受け入れる。それを無意識に伝えており、零に届いているから、零も安心することができるのだろう。後述する棋士としての側面では、零はプロとして1人でその世界に立っている。自分を律し、盤を介して向かい合う相手に弱みは見せない。だが、川本家ではつい甘えるような心情を抱いてしまうようだ。

優しさに包まれた零は、確実に心の穴が埋まっていく。幼い頃から1人で寂しそうにしていた姿など忘れるほどに。冷たく固まっていた表情も、様々な表情に変化していく。心からの笑顔や、怒った顔、心配している顔、困った顔、まるで百面相のようにコロコロと表情は移り変わる。ここに零の心が溶けていく過程がみられるだろう。

他にも多くの事情を知った上で、大人の立ち位置から零に接するおじいちゃん、時々登場して一歩引いた場所から零を評価する叔母の美咲、この2人も零に影響を与えている。

人数は多くなくとも、確実に零の人間らしい姿を取り戻してくれるのが川本家。もし棋士たちとの関わりで野心や闘争心などの強い気持ち、冷静な側面を映し出しているとするならば、こちらでは人間として温かみのある感情たちを、人間らしさを映し出しているといえるだろう。そうして零は、春の雪どけのように心を溶かし、確実に癒えていく。そんな過程をみられる側面だ。

棋士としての物語

もう1つの側面として、零のプロ棋士としての物語が紡がれる。
零は中学生ながらも15歳にしてプロ入りを果たし、大人の世界で戦っている。同じく若手と呼ばれるまだ若い棋士から、60歳を超える玄人たちまで幅広い世代に囲まれながらも、臆することなく、一国一城の主としてその場に立っているのだ。

零が将棋に打ち込むのはただ才能があったからではない。
幼い頃、実の父とのコミュニケーションであった将棋を大切なものと思っていた。それを守りたかったからという思いもある。しかし最も大きな理由は、零には将棋しか残されていなかったということ。家族全員を事故で失い、あと一歩で施設に預けられるはずだったところに現れたのは亡き父の友人でありプロ棋士の幸田だった。幸田は零にこう問いかけた。「将棋は好きか」と。これが、零に与えられたたった1つの選択肢であり、将棋の神様との契約の瞬間だった。以来、零はプロ棋士である幸田の家に内弟子として引き取られ、将棋に打ち込んでいった。それしか他人の家で自分を保てる方法がなかったからだ。

そうして零は確かな実力を身につけたのだが、残酷で寂しい過去は、かわらず零の心を凍らせたままだ。子どもたちが参加する将棋の大会などに出場していたことから、プロ棋士たちの中には幼い頃から零を見てきた者たちがいる。その者たちから見ても、実力があり、優勝経験も多いにも関わらず、孤独だったという。トロフィーを手にしても嬉しさなど見せず、影で1人泣いている零を見てきたのだそうだ。
友達もいなければ家族もいない、そんな零には将棋しかなかった。けれども将棋に打ち込んでも胸に抱く寂しさは増すばかりで、孤独感ばかりが募っていたのだろう。だからきっと、1人で泣いていたのかもしれない。

けれども零は盤を介して相手と対峙できることに、ある種の安堵感を抱いてもいるようだ。面と向かって零と対峙してくれる者は誰1人いない。だが対局となれば必ず相手が必要で、どんな相手でも零に向き合ってくれる。対戦チケットは、零にとって唯一の、他人としっかり向き合える夢のチケットだったのだろう。

寂しさ、孤独、全てを抱えて、プロとして戦う零の姿はひた向きで、ただひたすらに純粋だ。そして川本家の面々と一緒にいるときには見られない胸に秘めた熱い闘志や敵対心をみせている。いつも客観的に物事を判断し、冷静に分析し、自分のことを犠牲にばかりしている姿からは想像できないような姿が映し出される。それが零の棋士としての一面だ。ときには多くの優しい先輩たちに囲まれながら闊歩する。そして勝ち負けというシビアな世界で1人立っている。

幸いなことに棋士の仲間たちは、年代は違えど同じ立場にいる身から対等に向き合ってくれているようだ。零の胸に抱えている孤独を察して優しく寄り添ってくれる者もいる。そして何より零にとって大きいのは、零の実力を正等に評価し、プロ棋士としての零を認めていることだろう。だからこそ隔たりなく皆、零に接してくれるのだろう。

零自身もそんな先輩や仲間たちに囲まれて、次第に心を開いていくようになる。これまで孤独を埋めるだけだった将棋を「大切にしろ」と叫ばれて、自分の能力を認めた上で付き合いを深めてくれる。そんな大人の世界の優しさは、零の心の穴を埋めるだけに留まらず、零にとっての将棋のあり方にも変化を与えているようだ。

将棋を通して大切なことを教えていくこちらの側面も、零にとってなくてはならない大切なものである。そうして世界は広がっていき、純粋に将棋に向き合っていけるようになったら、もっと物語は温かさで包まれるだろう。
そして2つの物語が交差するとき、これまでバラバラだった零の世界の全ては1つになる。優しさに満ちみちて、全ての面を誰の前でも表現できるようになる等身大の少年へと、真の姿を取り戻せるのだろう。

■棋士たちにも注目

本作はプロ棋士である先崎学が監修を務めているだけあって、対局シーンは本格的なもの。数多の戦術や棋士たちの譲れぬ拘りなど、色々な面が描かれている。また、本当の将棋ファンをも飽きさせない本格的な内容に負けず劣らず、各棋士たちの個性は一級品に輝いている。

三角龍雪

零の先輩にして、他人の些細な心の変化も敏感に察知して場を調整する三角龍雪。あだ名はスミス。いつもお洒落なスーツに身を包み、金髪おかっぱ頭に眼鏡がトレードマークの人物。普段はムードメーカーのような立ち位置に収まりつつも、実は誰より冷静沈着、物事をドライにみている。その冷静さが零の心のわずかな動きにも反応する所以であり、空気を読む能力も高いことから場のバランスを取る役割も担っている。ただ、A級棋士からするとまだ「軽い」点があることから、己の信条についての言及もされている。その無邪気ながらも冷静な一面のギャップ、見た目の奇抜さから、没個性とは程遠いキャラクターである。

島田開

次に零の所属する研究会の発足人である島田八段。モヤシや牛蒡を彷彿とさせるヒョロっとした細身、素朴な身なりが特徴の人物である。将棋に対しては闘志に滾っており、とにかく熱い。見る者を虜にするような、棋士ならば誰もがこんな将棋を指してみたいと思わせるような将棋を打つ。
性格傾向はとにかく温かく、人を惹き付ける魅力を備えている。零もその魅力にとり憑かれた1人で、その真の正体は分からずとも島田を慕っている。島田の周りには、そういった人物が溢れており、とにかく人望の熱さは作中随一とも言えるだろう。登場する度に胸に秘めた闘志、人情味、ときに冷徹な客観的思考をみせてくれる姿に心を捉われてしまう、そんな人物だ。

二階堂晴信

零の棋士としての側面を語るならば欠かせないのが二階堂。ぽちゃっとした豊満ボディにとにかく熱い性格を持った、超絶お坊ちゃま棋士。その熱さには零もうんざりするようだが、熱さの根源は将棋をこよなく愛する精神と、零を1人の棋士として、そして友人として彼を心より認めているからであり、それを感覚的に掴んでいるからか、零もあまり無下には扱えない様子。厚かましさはあるものの、人の良さが滲み出ていることから愛されキャラに収まっているのだった。
二階堂は棋士としてというよりも、友人として零に助言することの方が多く感じられる。そのため零の心にも響くようで、視聴者としても意表を付かれるような発言に心を掴まれてしまう。氷のように冷たく時を止めてしまった零にとって二階堂という存在は、再び時を刻み始めるのに欠かせない人物だろう。

藤本雷堂

藤本棋竜はとにかく言いたい放題の、「オブラートに包む」という概念を持ち合わせていないような濃い棋士だ。実力はやはりタイトルホルダーなだけあって申し分ない。しかしあまりに自分の世界に浸ってしまい周囲が見えなくなる傾向があることから、敗着手を指してしまうこともしばしば。でも根は良い人なのでなんだかんだ多くの人から愛されている。「迫力」という意味でのインパクトは誰にも負けない棋士である。

滑川臨也

実家は葬儀屋、いつも黒いスーツに身を包み、「立てば不吉」「座れば不気味」「歩く疫病神」とまで言われている。まるで死神を現世に呼び起こしたような滑川だが、実は人間が大好きらしい。
将棋に関しては、気に入った相手に対してだけとてつもない粘り強さを発揮する。盤を介して、少しでも長く相手と向き合っていたいかららしい。その真相を知った棋士たちは滑川を不気味ながらも憎みきれないらしく、対応に苦慮している。周囲を巻き込む圧倒的負のオーラに包まれたキャラクターだ。

本作には、まだまだ個性豊かな棋士たちが揃っている。そんな個性豊かな棋士たちが活躍するのはなんといっても対局シーンだ。これまで数々の激戦が描かれてきたが、どれも棋士たちの譲れぬプライド、闘志、背負ってきたものがひしひしと伝わってきて、対局内容よりも棋士たちに感情移入してしまうようなものばかりであった。その中でも必見の対局がこちら。

【棋匠戦】柳原朔太郎VS島田開

まずは柳原棋匠と島田八段の棋匠戦がとにかく熱い。
柳原棋匠は普段はのらりくらりとした振る舞いをしているものの、現役最年長にしてタイトルホルダーという、島田曰く「モノノケの類」に属する人物だそう。実力は申し分なく、積み重ねてきた経験と知識を余すところなく発揮すると同時に全く新しい手も指し、相手を撃破しようという姿勢をみせる。
臆するということを知らない柳原棋匠、しかし背負ってきたものはあまりに大きかった。若かりし頃の同期、志半ばで去っていった仲間たち、何十人、何百人という思いを背負って挑んでいた。しかしそれは柳原棋匠の重荷になるどころか更なる闘志に変わり、勝利への一手に繋がっているという証拠をみせつけてくれていた。
対局相手の島田はと言うと、何がなんでもタイトルがほしい、その一心で対局に挑んでいた。相手が誰であろうとこれまで自分が歩んできた道を信じ、自分を信じてくれる人のために、一手一手刻んでいった。
その意地と意地がぶつかり合うような死闘はファンを始めとする観衆だけでなく、プロの棋士をも虜にする対局となった。対局結果に言及するものは誰1人おらず、ただ両者の1人の棋士としての存在を確かに実感し、その思いだけで胸が溢れるような満足感に満ち足りているのであった。

【記念対局】宗谷冬二VS桐山零

主人公、零の対局ならば宗谷名人との記念対局が名戦といえるだろう。この対局は零が新人王を獲得したことから実現した。宗谷は将棋界の神様のような存在だ。
とても静かでただそこに立ち、圧倒的な実力を持って将棋界のトップに君臨する。史上最年少で名人位を獲得し、7大タイトル独占という功績からも、その実力が伺えるであろう。穢れを知らない無敗の姿は本当に神のようだ。オールラウンダーであることから、対局では相手によって色々な戦法を使い分けている。そして宗谷は盤を介して向き合っている相手に対して、一手を通して語りかけてくる。その感覚は「とても静かで何も怖くない場所にいる」と思えるような、不思議なものなのだとか。島田八段も言っていたことだが、宗谷と対局すると、また指したいと思ってしまうらしい。零も記念対局の際この感覚を体感し、また指したいと思ったようであった。この一局は、ただただ美しい。
静かに進み、何も言葉を発していないにも関わらず2人は確かにコミュニケーションが取れていて、それが視聴者にもひしひしと伝わってくる。将棋の凄さなのか、宗谷がそうさせるのか、こちらも頭の芯がぼーっとするような感覚を味わえながらみられる一局であった。

獅子王戦】宗谷冬二VS島田開

何がなんでもタイトルが欲しい挑戦者の島田、防衛するべく立ちはだかる宗谷。この2人は同期でありながらも、これまでの歩み方も存在も正反対であった。宗谷は天才と称され、元からの強さがありながらも研究を怠らず、強さを維持してきた。一方で島田はというと、小さな頃は生まれ故郷の中で天才と呼ばれていた。しかしいざ東京に出てくると自分はただの凡人で、才能などないと現実を突きつけられる。それでも一歩一歩確実に歩みを進め、ゆっくりであるが確実に、堅実に積み重ねてきた。
この正反対の2人が盤を通して向き合い、互いの積み重ねてきたものを盤に出し切った。宗谷はきっと、対局を通してより美しい世界へと行きたかったのかもしれない。ただひたすらに島田に対して「言葉」を発し、美しい一局を作り出そうとしていた。
それが結果として宗谷の力の強さとなり、島田を苦しめる。島田もありったけの力を振り絞り、ただひたすらに「生」を感じながら勝利へと向かっていた。そして七番勝負の中で第六局目の舞台、生まれ故郷の天童市に辿り着きたいと願っていたのだ。長い間、応援し続けてくれている故郷の人たちの思いを背負い、その期待に応えたかったのだろう。
この対局で1番心を持っていかれるのが、幕引きである。島田の投了で獅子王戦は終わりを迎えたのだが、その後に宗谷はある一手を指す。その一手は圧倒的大差で負けていた島田の手を挽回するもの。たった一手で盤上の景色はガラリと変わるということ表し、そこに気付いてほしいと相手に願っていた宗谷、気付けなかった島田の2人の心境が映し出されていた。また、最後に島田が故郷を去る際に言われたひと言「焦るな、開」。このひと言がどこまでも島田を救い、また新たに歩を進めようと決心させた。期待につぶれそうな島田を見守る人々の姿勢と、全てを分かったようにそっと伝えられるひと言の温かさがたまらなく伝わってくる。このじんわりと胸に響く終わり方は、獅子王戦に詰め込まれた魅力を底上げしていたといえるだろう。

■さいごに

ただ優しいだけでなく、ときには激情的な面も描かれる。緩急をつけた感情のあり方は登場人物たちの個性を際立たせ、物語に深みを与える。そうしてハッとさせられる場面も作り出されている。

た、ただ人間味の溢れたエピソードを描くだけではない。大きなテーマである将棋も本格的に描いているため、純粋に将棋を楽しむこともできるのだ。特にプロ棋士たちが繰り広げる熱戦や、戦法についての激論は将棋マニアにはたまらないだろう。これらの場面は将棋が分からない人でも楽しめるようコミカルに描かれているので、将棋初心者の人でも安心してご覧あれ。

きっと一般的には、本作は「ハートフル」なんて表現をされるのかもしれない。けれどもそんな言葉では言い表せない温かさと優しさが詰まっている。テレビアニメは2期に渡り放送されたが、ぜひ視聴してその伝えきれない「優しさ」を体感してみてほしい。視聴後、必ずや胸にじんわりと広がる何かが待っているだろう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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