ウィリアム・ホルマン・ハント:ラファエル前派創始者の一人

ウィリアム・ホルマン・ハントは1827年イギリスのロンドンに生まれました。ラファエル前派の創設者として知られています。また同じくラファエル前派の主要メンバーであったミレーとロセッティは徐々に方向性を変えていきました。ですがハントは、最後までラファエル前派の画家としてあり続けた画家として知られています。版図は聖書や伝説などを主題とし、画面の隅々まで徹底的に描きこんでおり、ラスキンの「自然の忠実な再現」という思想をもっとも忠実に実行した画家でもありました。そんなハントの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ウィリアム・ホルマン・ハントとは

ウィリアム・ホルマン・ハントは1827年ロンドンの商店の息子として生まれました。実家は裕福なわけではなく12歳のときには不動産の事務員として働き始めることになります。そんな日常を過ごしつつ絵画に興味を抱くようになったハントは、ロイヤル・アカデミー付属美術学校への入学を試み、17歳の時に3度目の挑戦で見事合格します。しかしアカデミーの教育はアトリエでのデッサンばかりで、次第に疑問を抱くようになっていきました。

そんなハントにとって転機となったのは、1847年ジョン・ラスキンの「近代絵画論」に出会ったことでした。ラスキンは「自然をありのままに再現するべきだ」という思想を持っており、ハントはラスキンの思想に大きな衝撃を受け、画家として新しい道を見出していきます。そんなハントの仲間になったのがジョン・エヴァレット・ミレイ、ダンテ・ガブリエル・ロセッティでした。ハントら3人はアカデミーがラファエロの絵画を最高のものとして、それ以外の新しい表現を認めない方針に不満を抱いていました。その為中世や初期ルネサンスを手本として制作活動に励むという方針の下「ラファエル前派」を結成することで独自の表現の作品を制作するようになります。

ラファエル前派のメンバーは作品を制作すると、自らの署名と共にラファエル前派、すなわち「Pre-Raphaelite Brotherhood」の頭文字である「P. R. B.」の文字を描き込み、メンバーが制作した印としました。ラファエル前派の存在はほとんど知られることなく、この用語の意味もわからない人がほとんどでした。しかしラファエル前派がロイヤル・アカデミーにたてつく集団であると知れ渡ると、大きな批判を受けることになってしまいます。美術批評家であるジョン・ラスキンがラファエル前派を擁護する記事をタイムス紙に掲載したことで、騒動は下火になり、その後ラファエル前派のメンバーは表立って作品を制作していくことができるようになりました。

ラファエル前派の活動の中で、ハント以外のメンバーは徐々に作品の方向性を返還させていきましたが、ハントは生涯「自然を忠実に再現する」というラスキンの思想を守り続け、緻密に描きこんだ作品を制作し続けました。またハントの絵の特徴としては聖書や伝説、宗教的な主題で作品を制作していおり、より正確に描くために民族史の資料を研究し、自然を観察するなど、モチーフの研究にも励んでいます。それをもっともよく表しているのが1850年代中頃のエルサレム滞在です。聖書の物語を絵画化するためには物語が起きた現場を見なければ描けないという信念のもと、エルサレムを3度も訪れ、数々の作品を制作し最終的には自分の家を建てるまでになりました。ハントの主題への献身ぶりはすさまいエピソードの一つになっています。

ハントはその後も精力的に制作活動を続け、1886年にはロンドンで回顧展を行いました。1900年ごろからは目を患い、1910年に83歳で生涯を閉じています。

■ウィリアム・ホルマン・ハントの作品

ハントは日常を主題にした風俗画や風景画の他に、聖書や伝説を主題にした作品を描きましたが、そのどれもが熱心な研究が行われたうえで描かれており、隅々まで緻密な描写が行われていることが特長です。また宗教的主題においては民族学的資料も参照しており、伝説の出来事でありながら、どこか現実に合ったかのようなリアルな表現となっています。そんなハントの作品はどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

《良心の目覚め》1853年

(Public Domain/‘The Awakening Conscience’ by William Holman Hunt. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1853年に制作された作品で、現在はテート・ブリテンに所蔵されています。室内でくつろぐ男女が描かれていますが、女性の左手には結婚指輪がないことから女性が愛人であることを示唆しています。またテーブルの下にいる鳥で遊ぶ猫やガラスの中に閉じ込められた時計、ピアノの上にかけられた未完成のタペストリー、ほつれた糸などは女性が愛人であることを示す寓意でもあります。

背景の鏡には外の世界が映し出されており、部屋の中の閉塞感とはほど遠い明るい世界が表現されています。女性の視線から、この女性は男性との関係やこの部屋よりも外の開放的な世界に惹かれていることが表現されていることがわかります。

本作品が描かれた当初、女性の表情は苦痛と恐怖でゆがめられていました。批評家はもちろん、作品をハントに依頼したトーマス・フェアバーンも女性の表情を見るのは耐え難いとハントに訴え、ハントはより柔らかい表情に描きなおしたというエピソードが残っています。

《死の影》1870-1873年

(Public Domain/‘the shadow of death’ by William holman hunt. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1870年から1873年に制作された作品で、現在はマンチェスター市立美術館に所蔵されています。本作品で描かれているのは宗教家になる前、大工として働いていた若きイエス・キリストで、腕を伸ばして休憩をとる様子が描かれています。その影は背後にある木の板にかかり、ゴルゴタの丘での磔刑をイメージさせるような表現を創り出しています。キリストの母であるマリアも左下に描かれており、キリスト誕生の際に東方の賢者たちから贈られた箱をのぞき込む様子が描かれています。

本作品は大変な人気となり、版画作品として売り出されることになりました。その利益で原作をマンチェスター市に寄付することになり、現在に至っています。

《雇われ羊飼い》1851年

(Public Domain/‘The Hireling Shepherd’ by William holman hunt. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1851年に制作された作品で、現在はマンチェスター市立美術館に所蔵されています。本作で描かれているのは羊飼いの男が赤と白の衣服をまとった魅力的な女性に惹かれている様子であり、その後ろには羊飼いが放置した羊たちの群れが描かれています。

《雇われ羊飼い》は性的なイメージをほのめかしたこともあって、ハントは多数の批判を受けてしまいます。ハントはキリスト教の神学論争をカップルに象徴するために描いたと主張したものの、本作品のイメージの意味は論争の的となりました。

■おわりに

ウィリアム・ホルマン・ハントは幼いころから絵画に関心を持ち、ロイヤル・アカデミー付属美術学校に入学したものの、その教育方針に満足いかず、ラファエル前派という新しいグループを創設した画家です。またハントはラスキンの「近代絵画論」に衝撃を受け、モチーフとなる対象について徹底的に観察、あるいは研究を重ね、伝説の出来事であってもまるで本当の出来事であるかのようなリアルな表現を生み出すことに成功しました。

最後までラファエル前派のモットーを守り続けたハントの作品は世界中の美術館に所蔵され、現在も人々を惹き付け続けています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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